「久しぶり」
「うん、久しぶり」

紬が所属している劇団で、今度紬が主演の公演をやるらしい。私はそのチケットを紬から貰うために紬と会っていた。

「さすが紬、オシャレなところだね」
「そうかな? ここは雰囲気もいいし紅茶も美味しいから名前も好きかなって」
「大好き」
「思った通りだね」

紬はコーヒーを静かに飲む。私と紬の間に静寂が生まれるけれど、それは全然居心地の悪いものではない。私にとってはここはまるで、好きなものでいっぱいの宝箱のようなものだった。美味しい紅茶に、もうすぐ出てくるであろう美味しそうなケーキ、そして目の前には大切な人。好きが詰まった空間で、ただただ心が安らぐ。

「紬は、なにか食べないの?」
「ん〜、まだ迷ってるんだよね」
「シャーベットは? ほら、美味しそうじゃない?」
「本当だ、美味しそう」

ふたりでメニューを見ると、思わぬ近さに少し心臓が痛くなる。相変わらず紬の肌は綺麗だ。

「お待たせしました、チョコレートケーキになります」
「あ、ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」

ケーキに目を落として、落ち着け自分と言い聞かせる。一口食べて、紬をちらっと見ると紬は笑顔だった。

「…どうかしたの?」
「いや、相変わらず美味しそうに食べるね」
「だって美味しいもん…一口いる?」
「……ううん、名前が食べてるの見て俺は十分」

一口大に切ったケーキを紬に差し出したけれど、紬はそれを断った。あぁ…少し調子に乗ってしまったのかもしれない。別れた恋人からのあーんなんて嫌に決まっているのに、そんなことも分からなかったなんて…

「…紬、彼女出来た?」
「え、ちょ…!? い…いきなり過ぎない?」
「ごめんごめん」

紬はまさか聞かれると思ってなかったのか、ものすごい慌てている。この反応は、彼女がいるのかもしれない。

「…いないよ」
「へぇ、そうなんだ」
「名前は?」

私は紬の顔を見て、ドキッとした。「私は今でも紬が好きだよ」と、口を開いたら出てきてしまいそうになる。それをぐっと飲み込んで、出来る限りの笑顔をつくる。

「出来るわけないでしょ、今は仕事が恋人」
「…そうなんだ」

紬は少しほっとしたように笑う。お願いだからやめて欲しい。期待してしまうじゃないか、しちゃダメだと言い聞かせているのに心のどこかでもしかしてと思う自分がいる。

「名前は綺麗だし料理も上手だし、家事も上手いしすぐ彼氏できるよ」
「…最後の二つでアピールしたら結婚迫ってる女になっちゃうじゃない」
「はは、本当だ」

紬がそんな風に私のことを言ってくれるとは予想もしていなくて、心臓が痒い。私が頼んだ紅茶はホットで、アイスを頼んでおけばよかったと後悔した。

「…ねぇ、名前」
「うん?」
「俺ってわがままかな」
「紬がわがまま? それはないでしょ、逆に言ってほしいって思ってた」
「はは、そうなんだ」

紬は照れくさそうにコーヒーを飲む。私はケーキを食べる手を止めて、紬の顔を見つめた。

「どうか、したの?」
「俺の一生分のわがまま、名前に言ってもいい?」
「…まぁ、別にいいけど」

心臓の音が聞こえる。体全体が心臓になったみたいだ。体が熱いし痛い。手が震えているのに気づいて、バレないように机の下に手を隠す。

「遅いかもしれないけど、もう少しだけ待ってて欲しい」
「……もう少しだけでいいの?」
「えー、んー」

紬は「やっぱり…」と言いながら、私の大好きなあの笑顔を見してくれた。目が細くなって、少し目尻に皺ができる。私はまるで向日葵だ。その笑顔を見るために、紬を見つめ続けていたのをつい最近のことのように思い出す。あの頃の気持ちも、まだ私の心の中にある。誰にも踏み荒らされないように、そっと隠していた私の気持ち。

「結構待ってもらうかもしれない」
「……私の前世って、本当に向日葵かも」
「え? 向日葵?」
「何でもない……取り敢えず、紬主演の舞台観てから色々話し合おっか、これからのこと」
「…そうしようか」

私はケーキを食べて、紬はゆっくりコーヒーを飲む。何回も何回も繰り返したこの状況がまだ続いていくかもしれない、その嬉しさを噛み締める。

「名前が向日葵じゃなくて、俺が向日葵じゃないかなぁ」
「…ふふ、私が向日葵だよ」
「納得いかないなぁ」

私は多分、紬とまた別れる未来が来たとしても紬の笑顔を街中で探してしまうんだろう。向日葵は太陽の方を向いてしまうから、それはしょうがないことにしてもらおう。



おひさまに愛された人