「やばい〜!間近で見た皇天馬ちょうかっこよかった〜」

「ね、ね、あたしあの部屋にドリンク運びに行きたい〜」

「は?あたしもイケメン拝みに行きたいんだけど!」

「つか天馬くんが何飲むのか気になる〜」


きゃっきゃっと笑い合う同僚たちをチラリと横目で見て、目が合いそうになって慌てて私も笑みを浮かべる。バイト先のカラオケに、あの皇天馬が来た。O高の学ランを来た姿にめっちゃ近所じゃん!!と彼女たちは騒いでいたけれど、私は正直笑えなかった。その有名人の隣に並んでいたのがウチの学校の摂津くんだったからだ。

摂津くんとは話したことはない。あの容姿でかっこいいと囁かれることはあるけれど、結局見かけも態度もヤンキーだから、花咲学園でいう"一般生徒"たちは彼を恐れているところもある。教師たちもあまり彼に注意する事もないのは摂津くんがヤンキーでも成績がいいからだろう。まあ、つまり、あまりお近づきになりたくない存在なのだ、程々に"一般生徒"の私にとっては。

皇天馬がこちらに興味を示すとはこれっぽっちも思ってないが、隣の男は分からない。一応同じ教室に毎日一緒にいるのだから−−−結構な確率でサボっていて教室にいない事も多々あるけど−−−なんか見た事ある顔だなと思われなくないかもしれなくない、かも。そう思うと同僚のようにきゃっきゃっと騒ぐ気にはなれず、けれど詮索されるのも面倒なので適当に笑って、サラリと他の部屋にドリンクを運びに行った。

こうしていつも通り淡々と仕事をこなす事で摂津くんの事は頭の隅に追いやってしまっていたが、受付やスタッフルームに戻る度に話題になっている皇天馬の話を聞いて"ソレ"は頭の中心へと戻って来て、その度に内心ドキリとする。そんな事を繰り返していたのだが、さすが金曜日。最初は学生たちや年配の方で盛り上がっていたウチの店もお酒の入ったお客さん達で溢れてくると忙しくり、同僚たちも皇天馬に騒いでいる暇などなくなった。私も今度こそ摂津くんの事など考える余裕もなく、せっせとドリンクやフードを作っては部屋に運んでいた。


「…あ、しまった」


しかし、あまりに忙しすぎて自分の能力を過信しすぎてしまったようで。大部屋からのオーダーにいくつものドリンクをお盆に乗せ運びに来たのはいいが、そのお盆が重すぎて片手を離す事も出来ず、お客さんの待つ部屋のドアを開ける事も出来なかったのだ。押して開くタイプのドアだったらなんとかなったかとしれないが、この部屋のドアは引いて開くタイプだ。これは不覚だ。情けない。仕事中だと言うのに思わず独り言が漏れてしまう。一度キッチンに戻って量を減らしてまた来るか、とため息を吐き出す。

その瞬間、すぐ目の前のドアが開いた。無意識に項垂れてしまっていた頭をパッと反射的に持ち上げたが、目の前に人は誰もいなかった。むしろ部屋の中で楽しそうにしていたお客さんたちこそ突然開いたドアに若干ビックリしたような顔をしていている人もいて、こちらもビックリする。何が起こったのだろうか?けどとりあえずドアが開いたことでこの大量のドリンクをお客さんに渡せると我に返り、「失礼します」と部屋の中に入ってはドンドン飲み物を机の上に置いて行く。我ながら、よくこれだけの量を持てたなと感心しながらさっさと退散する。せっかく仲間内で楽しく歌っているのだから邪魔をしてはいけない。

開け放たれたままのドアを今度は自分の手で閉めようとした瞬間、そのドアのすぐ脇に立っていた男と目があった。「あ、」思わず声を出してしまったが、きっと歌って盛り上がっているお客さんたちには届かなかっただろう。目と目が合った男は、摂津くんだった。
ドアが閉まった瞬間、お客さんの気持ち良さげに歌うその歌声は私と摂津くんとの間を纏うようなボヤけた音へと変わった。


「えーと、もしかしてさっき、ドアを開けてくれたりしました?」

「まーな。アンタ両手塞がってたみてーだし、困った顔してたしな」

「ありがとうございます。助かりました」

「つーか、苗字だよな?」

「は?」

「ああ?違った?」

「いや、合ってる、けど…」


心の中では「摂津くんだ摂津くんだ摂津だ」と焦りに焦りまくっていたけれど、いくら相手が関わりたくない摂津くんでも目の前にいるのはお客さんだ。いつもの営業スマイルを浮かべて、ドアを開けてくれたことに対するお礼を伝える。ニコニコと我ながらいい笑顔だろう。けれどその笑顔を崩したのはやはり目の前の摂津くんだった。笑顔どころか接客の基本である敬語ですらふっ飛んでしまった。

パチパチと瞬きを繰り返し、摂津くんの顔を見上げれば、彼はプッと吹き出す。「んだよその顔」と私をバカにする言葉と共に。慌てて自分の口元を手で押さえてみるが、出てしまった言葉が戻ることはない。それに対しても「遅ぇから」と笑うから、口元を押さえたまま摂津くんをチラリと見上げる。摂津くんってこんな風に笑うんだな、なんてのんびり考えながら。


「…ふーん、なんか学校と雰囲気違くね?」

「そ、そうかな?」

「ん。あぁ、そっか」


周りの部屋からはボヤけた歌声や音楽、笑い声やタンバリンの鳴る音が相変わらず漏れていたが、今このフロアの廊下にいるのは私と摂津くんだけ。彼の少しつり上がった目はこちらを見下ろしつつもゆっくりと動いていて、まるで私の頭から足の先まで見ているようで居心地が悪い。持っていたお盆をサッと両腕で抱える。ようやくジロジロと眺める目の動きが止まったと思えば、今度はバチリと目が合ってしまい、思わず目を逸らした。
すると摂津くんは一歩私の方へと近づいた。反射的に一歩、私も後ろへと下がってしまったがここは狭い廊下。すぐに壁に背中がぶつかってしまう。ゆっくりと伸ばされた摂津くんの手は私の顔の横へと伸び、一つに纏め上げていた髪の先に触れた。


「カワイイじゃん。こっちのが似合ってんじゃね」


自分の背中で纏めてある髪を、自分の真横で弄られては一体どんな風に触られているのか全く分からない。けれど僅かに私の髪を弄る摂津くんの手の甲が頬や首筋に当たって、くすぐったくて、ドキドキしてしまって、思わず動きをピタリと止めてしまう。
目の前にある摂津くんの顔は楽しげに笑っている。摂津くんはよく学校や授業をサボっていて中々見る機会自体少ないけれど、それでもこんな表情を学校で見たことない。摂津くんって怖い人じゃないのかもしれない、なんてその笑顔一つで絆されてしまう。
「万里さん」男の人の声が聞こえてきて、我に帰る。近くのドアを開け顔を出し声を掛けてきたのは噂の皇天馬だった。忙しさと摂津くんとの遭遇ですっかり忘れてしまっていたが、近くで見る皇天馬はさすが芸能人というか、同僚たちの様に騒ぐ気にはなれないけれどそれでもクラスの男の子とは違って格好良いと私でも思ってしまう。
「悪ぃ、今戻るわ」と返事をしたのは目の前の摂津くん。芸能人と友達なんだなこの人、と目の前の横顔と皇天馬をキョロキョロと見比べてしまえば、「見過ぎ」とぐしゃぐしゃと前髪をかき混ぜられる。その力強さにびっくりして慌てて前髪を整え直すが、一つに纏めていた髪には被害がなくてほっとため息が溢れる。


「んじゃ、また来週な、名前ちゃん」

「うん…て、え!?今、私の!?えぇ!?」

「ぷっ!あははは!焦りすぎだろ」


突然名前を呼ばれたことにも、摂津くんが私の名前を知っていたことにも、口を大きく開けて子供のように笑う彼にも、全部に驚いて持っていたお盆をカランと落として叫んでしまう。けれど様々な音が混じり合うカラオケ屋の廊下では私の叫び声も目立たず、摂津くんの笑い声を大きくさせるだけだった。
そのまま皇天馬のいた部屋へと入っていってしまった摂津くんに置いていかれた私はノロノロと先程落としたお盆を拾う。こんなに賑やかな廊下なのに、自分の心臓の音が煩くて仕方がない。心なしか顔まで熱い気がする。
やがて聞こえてきた奇妙な歌にチラリと彼らの部屋を覗けば、気持ち良さそうにその奇妙な歌を熱唱する摂津くんと皇天馬。今度学校で彼に会ったら揶揄ってやる、と意気込んでその場を後にする。忙しい金曜日が待っているというのに、キッチンに戻る足取りは軽い。そして何故か彼らが歌っていたあの歌がいつまで経っても頭から離れなかった。


「ラララさくら〜、うめ〜、もも〜」



優しい世界の作り方