僕が想い描く未来はね
君のいない未来なんだよ
─☆─☆─☆─
「あの、寿先輩?」
子猫の鳴き声のような可愛らしく儚げな声が僕を呼ぶ。それが、とても心地よくて何度でも呼ばれたくなる。
「ん?なぁに後輩ちゃん」
いつものおどけた態度をとりながら、内心冷めっきった考えが駆け抜けていく。
真っ直ぐ僕を見つめる彼女は穢れをしらない天使のようで、僕なんかが関わってしまってはいけない気がした。
「……大丈夫ですか?最近……疲れてませんか?」
ほら、まただ。
心配げに伏せられた瞳に、僕はまた、囚われそうになる。
そんな風に心配しないでほしい。そんな風に僕を見ないでほしい。全て勘違いなんだ。君のその感情も、僕のこの胸の痛みも、全部デタラメなんだよ。
「そんな顔……しないでください」
絞り出された声と共に、固く拳を作っていた手に彼女の柔らかく小さな手が触れた。
この手を振り払ってしまえたなら、どれだけ楽か。彼女を突き放すことができたなら、どれだけ楽か。
そんなことをしてしまえば、僕は息さえも出来なくなるというのに。
「そういえば昨日リリースされた寿先輩の歌、聴きましたよ」
「え……?」
僕の手を握ったまま彼女は明るい声でそう言った。
なぜ、今、その話をするのだろうか。
突拍子もない話題にさっきまでのセンチメンタルな雰囲気は飛んでいってしまった。
「私……やっぱり寿先輩は凄いなぁって思いました。寿先輩の歌で世界が変わったんです。どんな小さな事でも、寿先輩の歌を聞くと、全部楽しさに変身して、輝きだすんです」
彼女はいつだって、僕より先にいる。
そして、いつだって笑っている。
彼女の優しさが、あまりにも優し過ぎて、春の日差しのように温かい。
「だから、歌ってください!ずっと、いつまでもっ!」
最初から、僕が彼女を突き放す必要なんてなかった。
彼女は分かっていたんだ。
彼女を選ぶことの出来ない僕を。
彼女から離れることの出来ない僕を。
最初から、彼女は望んでなどいなかった。
「……うん」
どうか、不完全な僕を許して。
─☆─☆─☆─
あの日から、いつもの調子が出ず、彼女に会いたくなる衝動が抑えきれない。
彼女との関係に線を引いたのは自分自身なのに、その線を消したくなる自分に苦笑した。
なんて都合の良い男なんだろう。
『あ、一ノ瀬さん!』
扉の向こうから僅かに聞こえてきた声に反応してしまう。
彼女の声だ。
『七海さん、お久しぶりですね』
彼女の声に続いて後輩である一ノ瀬トキヤの声が聞こえてきた。普段の無愛想さからは想像できないほど、柔らかく、優しげな声だ。
きっと、特別な想いがあるに違いない。
聞き耳をたてるのは悪趣味だとは思ったが、聞かないふりをすることはできなかった。
彼女が関わっているのだから。
『この前のバラエティー、一ノ瀬さんすごかったです!』
『それは……褒められていると受け取って良いのでしょうか?』
『はい!』
彼女に何の感情も抱かない人間が聞いたなら、仲むつまじい若い男女のただの会話だけれど、僕からするとそれは、自分自身を破壊へと導く悪魔の囁きだ。
もう止めてくれ。話さないでくれ。
彼女の口から他の男を褒める言葉など聞きたくない。
そんな権限など持ち合わせていないのに、汚い欲が溢れ出てくる。
『……あなたという人は……』
一ノ瀬トキヤのため息のように吐き出された言葉は、彼女に呆れているというよりも嬉しさを噛み締めているように聞こえた。
許せない。
純粋でいられる彼が。
強くいられる彼女が。
こんなにも醜い自分が。
許せない。
だから、また、汚い仮面を被って彼女の前に立つんだ。
「トッキー!ぼくちんへの挨拶は、どうしたんだよぉー!」
驚いた表情で僕を見る可愛くない後輩に声をかけると、あからさまに嫌な顔をする。
その表情は、もしかしたら僕の本性を知っているせいなのかもしれない。
「いつもながら騒がしいですね……私は仕事があるので失礼させてもらいます。……では、七海さん、また」
「あ……はい!」
彼女への優しい態度から一変、冷たくなった彼に僕は苦笑する。
いや、そうじゃない。彼はただ単に嫉妬しているのだ。彼が興味があるのは彼女だけで、僕には1ミリの関心もない。僕の本性なんてどうだっていいのだろう。
男なんてそんなもんだ。馬鹿で欲深い。
「ねぇ……トッキーのことどう思う?」
「……どうして……そんなこと聞くんですか?」
俯いてしまった彼女の腕を掴み楽屋の中に引き入れ、彼女を壁際に追い込む。
突然の行動に驚いた彼女の丸い瞳を覗き込むようにして見つめ、とびっきりのスマイルを見せた。
「君のことは何でも気になるんだ」
自分でも驚くくらい、低く冷たい声が響く。
汚い仮面はどこへいった。
彼女は怯えたような、不安げな瞳を揺らしている。
ほら、やっぱり。怖いんじゃないか。
僕の本性は、君を笑わすことができるような優しい人間じゃない。
自分の感情すら誤魔化そうとする、嘘にまみれた人間だ。
「駄目じゃない……後輩ちゃん……こんな……こんな男に優しくしてさ……傷つくのは君だよ?」
何回、苦しそうな表情をさせたことか。
何回、悲しそうな表情をさせたことか。
何回……無理に笑わせたことか。
今更、自分に何ができる。
「私は……全部を受け止めたいと思っています」
「そんなの……」
「寿先輩が望んでいないのは分かっています!だけど……私は……離れたくないんです。どれだけ苦しくても……不安でも……寿先輩と居る時間が……幸せだと、そう感じるんです……」
潤んだ瞳で真っ直ぐに僕を見つめ、声を震わせながらそう言った彼女に、思わず息を呑む。
こんな自分と居ることが幸せ?
どうしてそんなことが言える。
「……そんな……苦しそうな顔しないでください。全部……全部、受け止めます。……なにがあっても一緒にいますから……
自分自身を許してあげて下さい……」
「っ……」
彼女の言葉が鋭い矢になって僕を貫く。
その瞬間から、なにかが崩れ落ちていくような感覚に温かな涙がこぼれていき、恐ろしいほどの喪失感に思わず彼女を腕の中に閉じ込めてしまう。そんな僕に応えるように彼女の細い腕が僕の背中に回された。
「大丈夫です……私は幸せです……寿先輩が好きだから」
「僕っ……も……おかしくなるくらいに……君が好きなんだっ……他の男と話すだけで……嫉妬に……狂いそうになる」
一度、吐き出してしまうと止まらなくなる。
溢れ出る想いに歯止めなんて利かなくて、醜い自分が怖くなる。
けれど彼女はそんな自分さえ受け止めてくれるのだ。
「好きなんだ……好き過ぎて……君が好き過ぎて……僕以外を見ないで……僕だけを見て欲しい」
そう言って、縋るようにした彼女へのキスは、涙に塗れたキスだった。
僕の知る未来は
君がいないものだった
けれど
今、見える未来は
隣に君がいる