オレンジの引力 | ナノ
知らないうちに目の前にいて

知らないうちに遠くにいる


そして

知らないうちに惹かれている




***







「アリスっ!」


動きが止まってしまうほどの大きな声が私を呼ぶ。
それに応じるように振り返れば、忠犬……いや、忠兎が瞳を輝かせながら走り寄ってくる。

その姿に、体の底からふつふつと湧き上がる何とも言えない感情が私を支配した。


「アリス?」


長い耳を下げながら私を見つめるオレンジ色の大男に、私は触りたい欲求をなんとか堪え、平静を装い続ける。


「どうしたの?……エリオット」


「実は、ブラッドから休みを貰ったんだ!」


そう言って、まるでお座りをした犬のように、褒めてもらいたくて堪らないといった表情を私に向ける。


「そう……じゃあ、ピクニックでも行かない?ちょうど今、お昼になったところだか
ら、行くなら今のうちよ」


エリオットが求めているであろう言葉をかければ


「おう!じゃあ、にんじん料理を持って行こうぜ!」


案の定、私が求めていた(予感していた)言葉をエリオットは口にした。



***



大きな木の下に敷いたブランケットの上にエリオットと2人で座る。


「これが、にんじんパイで、これがにんじんジュースで……」


カゴの中に詰まった、にんじん料理の数々をエリオットは嬉しそうに取り出しては、私に見せてくる。


「ねぇ、エリオット……にんじん料理よりも、私と話しをしない?」


私がそう言うと、にんじん料理を取り出す手を止めて、私をジッと見つめるエリオット。


「話し……?」

「ええ、にんじん料理もいいけど……私と話しをするのもそんなに悪いものじゃないと思うけど?」


私の提案にエリオットは一瞬、考える素振りを見せた後、いつもの笑顔で大きく頷いた。

その姿に安堵して、私は何を話そうかと考えを巡らせる。


(にんじん料理は、勘弁してほしいわ……)


何かある度にエリオットは、にんじん料理を勧めてくる。
そんなに何度も食べれる程、私はにんじん好きじゃないのだ。


「ねぇ、エリオット……オレンジの卵の話って知ってるかしら?」

「オレンジの卵?……いや、知らねえ」


そう言ってにんじんパイを頬張るエリオットを横目に、私は話を続ける。


「白い卵しか産まないはずの鶏が、ある日オレンジ色の卵を産んだ。
それを見つけた飼い主が『これは、奇跡の卵だ!』って言って、街中に自慢しに回ったの。
すると街一番の大金持ちの主人が『その卵を買わせてくれ』って申し出た。
するとその飼い主は……悪知恵を働かせたのね。
白い卵をオレンジ色に塗って、その主人に売ったの。
『これが、奇跡の卵です』ってね」

「……なんで、そもそもそいつはオレンジ色の卵なんか欲しがるんだ?」


にんじんサラダ……というか、にんじんそのものを頬張るエリオットの質問が、凄くエリオットらしくて思わず笑いがこみ上げてくる。


「そうね……人は物珍しいものが好きなのよ。それが例えなんの役にもたたない無駄なものだったとしても……希少性だけで欲しくなっちゃうの……」


“私みたいに”という言葉を寸前で止める。

少なくとも、エリオットは珍しいから私に懐いてくれているわけではないはず。
そんなエリオットを困らせるような言葉は言いたくない。

自分の考えに耽っていると、頭の上にポンと手が乗せられる。

視線を上げてエリオットを見ると、真剣な眼差しで私を見つめていた。

「アリス……」

綺麗な瞳に吸い込まれていくように、エリオットから視線を逸らすことができない。

そして、そのまま私はエリオットに包まれた。

ギュッと強く抱きしめられながら、私はエリオットの温かさを堪能する。

落ち着く。
エリオットに抱きしめられると安心できるのだ。


「……離れねぇから」

耳元で、小さく掠れた声でそう言ったエリオットに、私は顔を隠すようにエリオットの胸板に顔を埋める。

こぼれそうになる涙を必死で堪え、エリオットの優しさに身を委ねた。

「あり……がとう……」



***


「エリオット?」


いない。

エリオットのいそうな所をだいたい探したのだが、どこにもエリオットはいなかった。

出かけてるのかしら……?

と、自分の部屋に戻ろうとした瞬間。


ガシャン!、とガラスが割れたような大きな音が響いた。

「な……に!?」

慌てて音が鳴った方へ足を進めたが

「アリス!来るなっ!」

探していたエリオットの、焦るような声が聞こえてきた。

「エリオット!?」

声は聞こえても姿が見えないため、私キョロキョロと周りを見渡す。

すると、

「キャッ!」

どこらからか飛んできた銀色の鋭い物が私の頬をかすった。
微かだけれど、表情が歪むのには十分の痛みが頬にくる。

切れた頬を押さえながら後ろを見ると、鋭く研がれたナイフが壁に突き刺さっていた。

「っ……!」

もし、これが命中していたら、今頃私は血だらけで床に倒れていたはずだ。
そう思うと、指先が冷えて体が震えだす。

「アリスっ!」

私を呼ぶ声が聞こえるのに、その主の姿が見えない。
その状況に不安が押し寄せてくる。

底知れぬ恐怖に体を支配され、動くことができない私に向かって、パンッとこの世界では聞き慣れた銃声が鳴った。

その瞬間、腕に鈍い痛みが走り、赤く滑りがある液体が手の平に流れてくる。

「いっ……」

私を殺すつもりはないらしい。
相手は、わざと急所をはずして死なせない程度に狙ってきている。

ジンジンと体に響く痛みに堪えながらも、冷静に考えを巡らす自分に呆れてしまう。

冷や汗を流しながら、自嘲していると、前から走ってくる足音が聞こえてくる。

「アリスっ!アリスっ!」

私を呼ぶ声に顔を上げると、焦った表情で私を見つめるエリオットがいた。

「エリ……オット……」

「アリスっ!大丈夫かっ?」

「大……丈夫なわけ……ないじゃない……」

痛みで暑くなってくる体に、朦朧としてくる意識。

倒れそうになった私をエリオットは抱きかかえた。

「おい……そこから出ろ」

真上から聞こえてきた低く響く声は、私を撃った人間に言っているようだ。

「お前は……死にたいみてぇだな」

そう言ってエリオットは、私を抱き上げて近くに置かれたソファへと寝かした。

その後、すぐに響いた銃声に私はうっすらと目を開けてみる。

そこには、黒いスーツを着た人間の胸倉をつかみ上げ、銃を突きつけるエリオットの姿があった。

「エ……リ……オッ……ト……」

薄暗く据わった目をしたエリオットが銃声を鳴らしたと同時に、私の意識もブラックアウトしていった。



***


右手に穏やかな温もりがある。
その温もりは、私がいつも求めているものだ。

「……エリオット」

「アリスっ!」

名前を呼べば即座に返事がきた。
大好きな大きな声が耳に馴染んでくる。

「大丈夫か?」

長い耳をダラリと下げて心配そうに私を見るエリオットは、意識を失う前に見たあの凍えるような目をしたエリオットとは別人に思えるほど違っていた。

そうよね、エリオットはマフィアなんだもの。

もしかしたら、あのエリオットが本当のエリオットではないのかと思う。
私の知ってるエリオットは、ムリをしたエリオットなのかもしれない。

「アリス?」

「どうかした?」

「いや、なんか……寂しそうな目、してたから」

妙なところで鋭いエリオットに私は笑みが零れた。

「そんなことないわ。……だって、エリオットがいるもの」

私にしては、大胆な発言だ。
私のそんな発言に、エリオットは目を丸くする。

「そうだな!」

そう言って、笑顔になるエリオットに私は自分に言い聞かせた。

大丈夫。
エリオットがどんなエリオットだって、私はこの笑顔のエリオットが好き。

それが魔法のように私の心に染み渡って、ストンと胸のつっかえが落ちた。

「アリス!俺はアリスを傷つけるやつは容赦しねぇ!俺はアリスが大好きだからなっ!」

純粋な言葉とは裏腹に、恐ろしい内容ではある。
しかし、その言葉が私にとって何よりも必要なのだ。




「私だって、大好きよ。エリオット」









他の誰でもなく

私だけが

あなたの傍で


あなただけに惹かれていく





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