用心するは美しき華 | ナノ

私は、馬鹿なのかもしれない。


いや、馬鹿なのだ。


だって……こんな状況、ありえない!








*─*─*



ザワザワと騒がしい人混みを掻き分けて進む。

しかし、掻き分けても掻き分けても、前には人、人、人。
これでは、10メートル進むのに何時間もかかってしまいそうだ。


「何で……こんなに人が多いのよ……」


今まで、こんなことなかった。
どちらかといえば、この街は人気が少なく、活気の全くない殺風景な街だったはずだ。
なのに、この人の数。

なにかイベントでもあるのかと疑ったが、なにしろこの人混みだ。
原因が分からないまま人に流されていく。


(こんなことなら、家で静かに本でも読んでればよかったわ……)


人の流れに逆らうことを諦め、流されるままに歩いていると、前の方から激しい金属音が聞こえてきた。

するとさっきまでの人混みが嘘のように直径40メートルほどの空間ができてあり、その真ん中には、数人の男に刃物を振るうひとりの男がいた。


「えっ……」


そのひとりの男には見覚えがある。

グレイだ。

この世界でのグレイは、私の知っているグレイとはかけ離れていた。
優しくて頼りがいのある彼は、この世界には存在せず、どこか野性的で荒っぽい彼だけが存在している。


(最初は、戸惑ったけど……グレイはグレイなのよね)


違っていると思う反面、今の世界と前の世界のグレイに共通するものはある。

それに、今がグレイの過去なんだと思えば、それなりの心の処理ができた。


考えに耽ながら、戦う姿を呆然と見つめていると、一段落したグレイとバッチリ目が合ってしまう。


(げっ……)


周りを気にする素振りも見せず颯爽と距離を縮めてくるグレイに、私は危険を察知し、逃げようとしたが

「待て、どこへ行く」

腕を掴まれ、逃げるどころか捕まってしまった。




*─*─*



「ね……ねぇ、どこへ行くの?」


私の腕を掴んだまま早足で歩いて行くグレイに、遠慮がちに聞いてみる。

さっきよりかは人が少なくなったが、それでも引っ張られてる私は、何度も人とぶつかった。


「知りたいか?」


男らしい鋭利な瞳が細められ、形の良い唇が歪められる。
その表情がなんとも色っぽくて、私はつい視線を逸らしてしまう。


(これはダメだわ……)


前の世界で、私とグレイは友達以上恋人未満がしっくりくるような関係だった。
恋愛に関して臆病な私は、グレイの本心を聞くのが怖くて一歩を踏み出さなかったのだ。

だから、正直な話……後悔している。


「おい……」

「……なによ」


名前も呼ばず、“おい”と呼ぶグレイに、私は鈍い痛みを感じる。

前のグレイは、低く優しげな声で“アリス”と呼んでいた。

同じグレイでも、違うグレイなのだ。


「……お前、そんなに俺が好きか?」

「なっ……!」


グイッと近づけられた顔に、思わず熱があがる。
そんな私に、グレイは意地悪く笑い

「お前なら……遊んでやらないこともない」

と耳元でそう言った。
そんなグレイの言葉に、私の心臓がドキドキとうるさくなる。

この人は、グレイであってグレイではない。

そう思うのに、言い返せないのは、私の恋心のせいだ。

近づいていく顔に抵抗などしないまま、グレイと私の唇が重なり合う。



「……暇つぶしくらいには、なりそうだ」




真っ赤になる私に、グレイは残酷な言葉を紡いだのだった。




*─*─*





ついにしてしまった。

私は、やらかしてしまったのだ。

好きだけど、好きじゃない男と……してしまった。


白いシーツを握り締め、隣で寝息を漏らす男を見る。
その姿は、私が好きな彼だけれど、彼とは全く違う人間だ。

(なに流されてるのよ!)

自分の意志の弱さを悔やむしかない。

彼と同じ声で囁かれてしまっては、私の良心なんてものは崩壊してしまう。


「好き……だったのに……」


伝えたかった言葉は、もう彼には届かない。

眠るグレイの髪に触れようと手を伸ばした瞬間、強い力で腕を掴まれた。


「その言葉……誰に伝える気だった?」


強い力に比例するような強い声。

鋭い怒りを含んだ瞳は、射抜くように私を見ている。


「だ……誰って……あなたには関係ないじゃない」


視線を逸らそうとしたが、うまくいかない。
何か、強い引力が働いているかのように、逸らすことを許さないのだ。


「それに……もうこれで私達は終わりでしょ?……私は、あなたが思うような面白い女ではなかったわけだし……」


焦るように話す私をグレイは、何も言わずに見つめる。

すると、掴まれた腕を引っ張られ、そのまま私はグレイに押し倒される形になった。

私を見下ろすグレイは、体が冷えてしまうような恐ろしさがある。


「気が変わった……一生、相手してやるよ……」


グレイは、そう言うと、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。



*─*─*




噛むようなキスに荒っぽい手の動き。

彼とは、全くかけ離れているのに、私は懐かしい彼の匂いに酔ってしまう。

馬鹿だと嘲笑う自分がいるのに、もうひとりの自分は肯定し続けていた。

私は、つくづく彼に弱いのだ。












馬鹿な私には

あなたで充分






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