誰にも触れさせない
俺の腕の中で
花はもう一度 美しく咲き誇る
***
「ユイ…」
名前を呼べば、振り返り綺麗な笑顔を見せる彼女。
「お帰りなさい…シュウさん」
白いワンピースを翻す姿は、数年前のあの弱々しい彼女からは想像できない。
嬉しそうに近づいてきた彼女を抱き締めると甘く柔らかい香りが俺を包み込む。
「……ただいま」
嫌に重たく感じるロングジャケットを脱ぎ、ソファに投げると、彼女が心配そうに俺を見上げた。
「大丈夫?……何かあった?」
彼女は俺の異変に鋭い。
少しの変化でさえも見逃さなかった。
彼女を抱き上げベッドへと運べば、あの日のことを思い出す。
「…………ユイ」
俺が当主となったあの日、彼女の記憶は無くなった。
それは、俺にとっては好都合で、今こうして彼女が存在しているのも記憶の無くしたおかげだ。
しかし、赤を見ると辛い記憶がフラッシュバックして発作を起こすため、彼女の視界から全ての赤を取り払い、そのおかげで今の穏やかさを保っていた。
だから、彼女の部屋は白一色だ。
「…………シュウさん?」
「…大丈夫だ。何もない」
美しく輝く彼女の瞳を俺は曇らせるわけにわいかない。
***
「……去れ…と言っただろう」
目の前で立ち竦む人物にそう言えば、何かに耐えるような苦しげな表情をする。
「……あいつは…記憶を無くしたのか?」
「……ああ、そうだ。スバル…お前の存在も覚えていない」
俺のその言葉に、スバルは強く拳を握り締め悔しそうに顔を歪める。
当主になったあの日、俺は兄弟全てを殺すつもりだった。
けれど、彼女がスバルを殺そうとした俺を止めたのだ。
その理由は、俺をどうしようもなく苦しめ、冷たい暗闇へと突き落とした。
「……ユイは……発作を起こした時にいつも、お前の名前を叫ぶ…辛そうに……苦しそうに…」
「………」
その度に、いつも殺してしまいたいと思ってしまう。
あの時から彼女の心にいたのはスバルで、俺はどこにも存在しなかった。それが、変えようのない事実で、抗えば抗うほど俺の首を絞めていく。
「……もう、ユイに近づくな」
スバルの存在を彼女から遠ざけても変わりはしない。
彼女の中にスバルは存在し続けるのだから。
けれど、そうでもしなければ俺がどうにかなりそうになる。
「シュウさん?」
高く透き通った声が俺を呼んだ。
その声にスバルがあからさまに反応し、姿を隠そうとしたが
「…誰?」
彼女の声がスバルの動きを止めた。
スバルの存在に気づき、目を見開く彼女に、嫌な予感がする。
「……スバル…くん?」
彼女がスバルを呼び、そしてガタガタと震えだす。
「…いや……いやっ!………死なせてっ!…死なせてっ!」
過呼吸をおこし、叫ぶ彼女に、スバルは立ち竦んでいた。
俺は、彼女に近づき、あやすように抱き締める。
「ユイ……大丈夫…大丈夫だ」
段々と落ち着いていく呼吸に安堵し、スバルへと視線を向ける。
スバルの視線は彼女に向いたままで、動かない。否、動けないのかもしれない。
「……消えろ……ユイの前から消えろ」
枯れたような俺の声は、自分でも驚くほど震えていた。
そんな俺にスバルは瞳を揺らし、何も言わず立ち去っていく。
これでいい、とそう思うのに彼女を抱き締める手は震え、身が引きちぎられるような痛みに苛まれる。
「……いや……スバルくん……傍に……傍にいて……」
そう言った彼女の声を、聞かないように耳を塞いだ。
***
─
愛に飢えた狼は、ひとりの少女に出会いました。
その少女は、真っ白な心を持ち真っ直ぐな瞳を持っていました。
狼は、一目見て恋に落ち、遠くから少女を見つめていました。
しかし、少女と話すことも、触れることも狼には出来ません。
なぜなら、狼は自分の醜さを知っていました。
凶暴な牙、鋭い瞳、その少女とは正反対の容姿。
それは、狼を追い詰め、少女への想いを邪魔しました。
─
「ユイ……」
本を淡々と朗読する彼女を呼ぶと、嬉しそうに微笑む。
「ねぇ、シュウさん……この物語ね?凄く悲しい物語なの……でも私は違うと思った……」
本に視線を落とし、憂いを帯びた瞳でそう語る彼女に疑問が上がってくる。
彼女の読んでいる本は、誰もが知る悲恋を題材にした児童図書だ。
それ以下でもそれ以上でもない。
「……どう思ったんだ?」
「この狼さんは醜くなんかない。……女の子は
それを知ってるはずなの……だから、この物語は悲しいままでは終わらない」
そう言った彼女は唇を噛み締め、本を見ているにもかかわらず、どこか遠くを見つめているようだった。
「……その本に続きはない。それで終わりだ」
「ううん……終わらないの…………」
本から視線を上げた彼女は、俺を見て悲しそうに笑う。
そして、耳元で
“この女の子は、狼さんと幸せになる。
……全てを捨てても、狼さんの所に行っちゃう”
と、囁いて離れていった。
その言葉がどうしようもなく俺を不安にさせ、頭にこびり付く。
「………どういうことだ…………ユイ」
***
目を瞑って思い出すのは、愛おしい彼。
久しぶりに見た彼は、困惑で顔を歪めていた。
「スバルくん……」
それでも変わらない彼に愛おしさが膨らんでいく。
私は、赤色を見るとパニックを起こすが、その時の記憶はある。
しかし、シュウさんの前では記憶がない振りをした。
彼の名前を呼べばシュウさんは苦しそうに、辛そうに私を抱き締めるのだ。
それが私には辛かった。
シュウさんの想いに応えられない私は、シュウさんを傷つけることしかできない。
「……ごめんなさい」
謝るのは自分の為か、シュウさんへの同情か。
それは分からないが、私は彼の下へ行く。
(彼がいないと私は駄目なの)
***
「……ユイ?」
部屋中を見回しても彼女の姿が見当たらない。
彼女の居ない部屋は殺風景で、真っ暗になったかのように色を失う。
「ユイっ!」
叫んでも人の気配は、全くない。
彼女は、この部屋にはもういなかった。
机には、何か書かれた紙が置いてあり、その字は彼女のものだ。
そこには“さよなら。ごめんなさい”と書かれていた。
「……っ…」
紙にポツポツと染みが出来ていく。
生暖かいそれは、溢れては落ちて、気持ちが悪い。
「……ははっ…………許すわけないだろ」
彼女は、俺の傍にいるべきだ。
それなのに、離れることなど有り得ない。
スバルの傍で幸せになどさせない。
彼女の幸せは、俺とでこそ成り立つ。
「……離さない…………絶対に」
咲いた花が他の誰かの為なら
枯れたとしても
俺が取り上げる