夜の風景 *


 溜め息を吐きつつ店のドアに手をかけようとしたとき、カランカランと音をたてドアの方が先に開いた。

「あ、来たの? 奥にいるよ。僕は帰るけど」

 ほどよく酒が回ってちょっと赤らんだ顔で話しかけてきたのはいつものメンバーのひとりだったりする。

「え? 帰るんですか?」

「帰るよ。カミさん、待ってるし。だから君を呼んだのよ。選手交替」

 飄々とした表情でそう言うと僕の肩をポンポンと叩いて「じゃあね」と帰って行った。仕方なしに店に入ると、「こっち、こっち」と上機嫌で手を振る酔っ払いたちがいる。

「アイツに会った?」

「そこで会いましたよ。アンタたちもお開きにして帰ったらどうです?」

「あぁ、ムリムリ」

 ケラケラと笑う酔っ払いに呆れながら今さらビールでもないかと「ウィスキーをロックで」とカウンターの向こういるバーテンダーに声をかけた。

 グラスを受け取り酒をひと口含んでから目に入った光景にガックリと肩を落とした。

「わかってんだからやめましょうよ」

「何が?」

「あの人ですよ。……壁と喋ってんですけど。ああなるんだから飲ませないようにしなさいよって言ってんです」

「勝手に飲んじゃうからムリー」

 酒は先に飲んで酔っ払った方の勝ちだ。赤らんだ顔で「面白いからいいじゃん」と笑う酔っ払いたちに溜め息を吐いた。

 電話がかかってきてわかっていながら誘いに乗る自分が悪いとは思うが、断る気にもなれず出かけて行くのはやっぱり楽しいからで、自分の手の内が知れるのは嫌だからと同業者とは必要以上に連まないようにしているヤツらも多い中で自分の手の内だのなんだのに拘る素振りを見せずに、おそらくそこには負けず嫌いの見栄もあるのだろうけど、ここにいる人たちは自分を見せることは不利なるからと人付き合いを拒むヤツらよりもずっと潔くて気持ちいい。負けるのは自分の手の内を見せたからではなく、自分がまだ弱いだけだとここにいる誰もが言うだろう。

 氷が溶けて薄くなったウィスキーを一気に飲んでから店の隅に視線を移した。相変わらず馬鹿が壁に向かってグラスを片手に喋っている。席を立って壁と喋る人のところへ行く。

「アンタ、将棋が指せてよかったですね」

 呆れ気味に声をかける。そして、その人の傍らにあった焼酎の瓶を手に取り、空のグラスに注いでやったあと自分のグラスにも注ぐ。将棋が指せなかったらただのダメな大人だろうと苦笑いする。その苦笑いは目の前の酔っ払いに対してだけでなく自分に対するものでもある。

「あぁ、お前も来てたの?」

「来たんですよ。電話がかかってきたから」

「それはごくろうさん」

 ヘラヘラと笑う酔っ払いは、酔っ払いとしてはタチのいい方だろう。もう飲むなだとかそういう無意味なことは言わない。酔っ払いに何を言っても無駄なことはよく知っている。ほどほどに付き合いつつお開きの方向へと持って行くのが最善手ではないけれど正しい手だ。

 考えても考えても答えの出ないことを考え続けて、無駄だからとわかっていても考えることをやめられなくなるときがある。冴えた頭では眠ることもできず酒を飲む。それは『逃げ』とはちょっと違うような気がしている。

「続きは家でやったらどうです? アンタ、明日、対局あるんでしょ? また遅刻してどやされますよ」

「……だなぁ〜」

 そうして、もうこれも空くからと瓶に残った焼酎をその人と自分のグラスに注ぐ。

 後ろを振り向いて「帰るらしいですよ」と声をかけると「わかった」と返事が返ってきた。ひとりがヨロヨロと立ち上がり「いくら?」と訊いている。ゴクリと焼酎を飲み干して、この人を連れて帰って部屋に押し込むのは自分なんだろうなぁと思った。



(酒とおっさんたちの話)






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