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▼ あぁもうだめだと、心が分かってる

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「今夜飲もうぜ」

報告がひと段落してじゃあこれでとすれ違う瞬間、耳元で囁かれた言葉に、黙ってこくりと頷いた。
ごく自然な流れの中で告げられた言葉は、簡単に言えばセックスしようぜ、今夜という意味で、こくりと首を立てに振った私はそれにOKを出したわけだ。
まさか昼下がりの、クルーでごった返す廊下でそんなやりとりがあったなんて、きっと周りをすれ違う誰もが気付いていないに違いない。

私とサッチの関係を簡潔に言葉で表すとすれば、セフレだ。
きっかけを作ったのはどちらだったかなんてことは、もうかれこれ数年もだらだらと関係が続いている今となっては、考えてみても意味がない。ただ、不毛だなとは思う。モビーに乗って早数年。私は初めてサッチと出逢ったあの日からずっと不毛な恋に捉われている。


「おう、遅かったな」
「んーエースに捕まってた。っていうか捕まえてた?」

キッチンに酒瓶を取りに行ったらエースが盗み食いをしていた。だから捕まってたというより捕まえてたのだと話しながら、ドアを開けて立つサッチの脇をすり抜けて部屋へと入る。

「そりゃあまた災難だったな」
「だよね。エースも食べるならもっと夜遅くなってからにしたらよかったのに」
「違ぇよ。アンがだっての。や、俺がか?」

ドアを閉めたサッチはおどけた仕草で首を竦めながら、こちらを振り返って笑った。風呂上がりなのだろう、自慢のリーゼントは綺麗さっぱり下ろされていた。タオルを肩にかけたままということは、まだ乾かしている途中だったんだろう。

「ん?サッチが?」

ベッドにすとんと座りながら近づいてくるサッチを見上げて、どういう意味だと首を捻る。

「おうよ。だってよ、」

サッチは私の手にあった酒瓶とグラスを受け取って、サイドテーブルに置いた。
ギシリ。追加された片足分の重みがベッドを軋ませて、私も背中からベッドに沈んだ。

「エースのせいで、お預け食らっちまったじゃねぇか」

言いながらサッチはやっぱりおどけて見せるけど、その笑顔には既に妖艶な艶が滲んでいて、かちりとぶつかった翡翠色の瞳は一瞬で熱い欲を湛えて、色さえ深まった気がした。

「それってじゃあ私もお預け食らったってこと?」
「ん。お前だって早くシたかったろ?」

早々に降ってくる唇の合間に自分で言った言葉に、返ってきた返事に、ぎりりと胸が握りつぶされるように痛んだ。
私たちはあくまで合意の上での後腐れのないイイ関係。そう信じ込ませるような態度を取り続けているのは私だけど。だからこそ成り立っている関係だけど。それを望んだのは自分だけど。ツキリと痛むこの胸に渦巻く切なさだけは自分でもどうしようもない。

不毛な考えに囚われそうになった私は気持ちを切り替えるべく何かを言おうとして、タイミングよく、頬に触れる髪が思ったより濡れていることに気付いた。そっと手を伸ばして髪に触れる。

「髪、ちゃんと乾かさなきゃ」

胸の痛みを誤魔化せるなら、髪でも髭でも、なんならなぞなぞでもクイズでも何でもよかった。私はただのセフレだと、この人はただのセフレなんだと、改めて自分にそう言い聞かせられるだけの数秒が確保できればそれでよかった。でもタオルの隙間から見えたサッチの表情に、何気なく口にした一言はまたチョイスミスだったと思い知る。その瞳は安心しきったまま閉じられていて、まるで幸せそうに口角が緩んでいたから。

「すげー気持ちいい」
「うん」

わしゃわしゃと動くタオルの中でサッチのくぐもった声が聞こえる。
これじゃあまるで恋人みたいじゃないか。
肉体だけの関係であっても相手をぞんざいに扱うような男ではないってことも、一緒にいるひと時だけは恋人のように接したがる人だってことも頭では分かってはいる。分かってるけど、それにしてもサッチは私に気を許しすぎだと思う。

「お前といるとほっとすんだよなぁ」
「そうなんだ」

「お前に男できたら、俺ってばどうすりゃいいんだろう」
「それ私に聞かれてもなぁ。でもいつかはそういう日が来るかもね」

「え、まじで?好きなやつとかいんのか?」
「可能性の話だってば」

ガバッとタオルが動いたと思ったら、心底驚いた顔が飛び出して来るもんだから、思わず苦笑いを返した。どれだけモテないと思ってるんだ。そりゃあモビーの誰からも想いを告げられたことなんてたったの一度もないけど。

「あるとすれば、」

サッチのほうじゃない?と続けそうになった言葉を慌てて飲み込む。これ以上墓穴を掘って傷つくのはさすがに御免だと思ったからこそ言葉を切ったのに「そりゃねぇよ。お前も知ってんだろ?」サッチはご丁寧にも続きを推察して笑った。蕩けるような笑顔で以て、私の心臓に止めを刺す。

「俺は誰とも付き合わねぇっつーの」

「カワイコちゃんとは島でいちゃこらできりゃあそれでOK。それ以上は必要ありません。それに、家に帰ればお前がいるしなー」

おどけて笑うサッチに、私は言葉はおろか表情さえ返せなくて、タオルですっぽり顔を隠してやった。息できねぇと騒ぐ、ともすれば幸せそうにも聞こえる声色が、タオルの中からもぞもぞと出てくる時には平然と笑い返せるように、目を瞑って深呼吸。

特定の女は要らないというなら、サッチの中で私は一体何なのだと。どういう意味だとか、期待をしていいのかとか。口に出して問いただしたいことばかりだけど、それだけは絶対に聞かない。聞いたところで返ってくるのは、結局まるで恋人に対するように甘くて蕩けるような言葉だということは分かってるから。

勘違いしちゃいけない。
さも私は特別だと言うようなサッチの言葉やしぐさに飲まれてはいけない。
これはサッチなりのサービス精神なのだ。

今一緒にいるのが私だから、私に大してそう紡いでいるだけで、例えばここにいるのが他の誰かだとしても、サッチは間違いなく似通った甘い台詞を吐くにちがいないのだ。そういう男なのだ。酷い男なのかといわれたら、そうじゃない。これはあくまで合意の上の関係であって、サッチはその一瞬を楽しみ、相手にも楽しんでもらいたいと思っているだけなのだから。
だからサッチは自分に惚れている女には手を出さない。筋が通っているじゃないか。分かりやすいじゃないか。自分の気持ちに嘘を吐いて、こうして関係を続けているのは私で、不毛だと、辛いと嘆いているのは私の勝手なのだ。でも、だからこそ私は見極めなきゃいけない。潮時ってやつを。

いつの間にか始まった口づけと交わりの狭間で、ベッドサイドの酒瓶とグラスが不意に目に入った。
結局今日も飲まなかったな。
関係が始まった当初は形だけでも少しは飲んでいたのに、いつの間にかセックスの合言葉に成り下がってしまった規則的に揺れる琥珀を見て、あぁ、と思った。

【あぁもうだめだと、心が分かってる】




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