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▼ 貴方の心を振り向かせたいと、そう願うことは間違いなのだろうか

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ほどほどにしとけよい。
そう忠告してくれたのはマルコ隊長だった。

もし私がもう少し早く生まれていたら。
ベッドに潜り、眠りに着く前。月明かりが揺れる天井を見上げて、そんなことを考えるようになったのはいつのことだったか。
寝る前のこの習慣はもう随分前に形成されたもので、今となっては切なくて胸が痛い時間だけど、それでもはじめの頃は楽しいものだったように思う。
サッチとの些細なやり取りを頭の中で再現したり、キッチンでフライパンを振る後ろ姿や、こっそり隠れてキスした時のいたずらな笑顔を思い浮かべるこの時間は私のささやかな楽しみだった。

「アンか」

サッチには日課がある。
夕食がひと段落して、風呂がわいわいとにぎやかになる時間。飲み始めるよりもまだぽってりとふくれた腹を摩っているクルーが多い夜七時半の甲板。サッチは誰もいない船尾の船縁に寄りかかって、煙草を吸う。海というより海と空の境目をぼんやりと眺めながら、ゆっくりと紫煙を燻らせる。

「うん、サッチ何してるの?」
「んー別に、ただの休憩よー?」

そか、私はこくりと頷いて、同じように海に身体を向けた。
サッチのこの日課に気付いたのは、恋人という関係になってからだった。
吸うのは決まって一本だけ。
普段の見慣れた銘柄ではない黒いパッケージのやつで、少し甘い香りがする。

「なんかあったのか?」
「ううん、なんでもない」

心配そうにこちらを見るサッチになんでもないと首を振った。
ならいいけどよ。サッチは少し眉を下げて、小さく紫煙を海に投げた。

なんで気付いてしまったんだろう。
たった数分の、ほんの些細な日課なのだ。
できれば気付きたくなかった。知らなければサッチの恋人になれたという幸せの中でずっとずっとほわほわしていられたのに。
実際もう何年も船に乗っている私でさえ、つい最近まで全く知らなかったのだから、このまま気付かずにいることもできたんだと思う。家族たちの生活パターンを熟知しているサッチはそれほど巧みに、家族たちの目をすり抜けていた。

「なんで、」
「んー?」

つい口から洩れた言葉に、なんでもないとまた首を振る。
なんでかとその理由を考える度、ご丁寧にも私の頭は毎度正解に辿り着いてしまう。ほんのささやかな日課にさえ気付いてしまったのは、私が好きになりすぎたからだ。この人の全てを知りたいと願ってしまったからだ。

「なんじゃそりゃ」

サッチが笑う。困ったようにほんの少しおどけた仕草で肩を竦めた。その拍子に、ふわり甘い香りが風に舞って私の鼻腔を擽る。その香りを嗅ぐ度、私は思ってやまない。
もし私が、もう少し早く生まれていたら。
もし私が、あの人より早く出逢っていたら、と。

ほどほどにしとけと、そう警告してくれたのはマルコ隊長だった。
今ならその意味がよく分かる。
サッチから与えられる愛情は途方がない。抱えきれなくなってどんどん零れて、床に零れ落ちた愛情たちに埋め尽くされて身動きさえとれなくなる。まるで蟻地獄に似たそれは心地良くて苦しい。だけどそれを与える当の本人はそんな私を見て、ただ、愛しそうに目を細めるのだ。

「冷えて来たなぁ。中入るか?」
「うん」

不意にそう言ったサッチは、最後に一度紫煙を吐き出して、吸殻を海に放った。こくりと頷いた私に穏やかに微笑んで、ぽんと頭を撫でる。
そのまま足を進めるサッチの後ろで、まだうっすらと漂う紫煙に小さく手を伸ばそうとして、やめた。

もし、私がもう少し早く生まれていたら。
もし、私があの人より早く出逢っていたら。
そうしたらきっとサッチは大切なものを失うことはなくて、もしかしたら私に溺れていたのかもしれない。

サッチは決して本気の恋はしない。
その心はすでに奪われているから。
もう二度と逢えない影を愛しているから。

ほどほどにしとけ。
マルコ隊長は今日もそう言って「…だって好きなんだもん」私はまたお決まりの科白を零した。




【貴方の心を振り向かせたいと、そう願うことは間違いなのだろうか】





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