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▼ その口調から推測するに

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モビーに乗るようになってすぐに声を掛けてきたのはマルコのほうだった。後になって聞いてみればマルコが入ったばかりのクルーにちょっかいを出したのは私が初めてのことで、皆一様に驚いたのだという。嬉しくないわけがない。私はすぐにマルコに傾倒した。

マルコの浮気に初めて気が付いたのは、付き合い始めてまだ日も浅い頃、冬島に停泊中の寒い夜だった。賭けに勝ち不夜番をエースと交代することに成功した私は意気揚々と皆が飲んでいる店へ向かい、その道中でドレスを纏った女を連れたマルコを目撃した。つい数時間前、私と歩いた道を。私の髪を撫で繋いだ手が、他の女の腰に回っていた。

翌日食堂に行くと、マルコはいつも通り新聞を広げコーヒーを飲んでいて、私を見つけると「お疲れさん」と不夜番に対するねぎらいの言葉と共に頭を撫でた。何の残り香も余韻もない。見事なものだった。夢を見ていたのかと思った。

二度目も、三度目も、四度目も。マルコは巧みに私の目をすり抜けた。
否、本人はそのつもりだろうけど、一度疑いの目を持ってしまった私は、小さな小さな違和感を機敏に察知することができるようになっていた。かと言って普段のマルコは本当に優しいもんだから、直接問いただすことも別れを切り出すこともできない。きっと上手く甘えられない私が悪いのだ。可愛げがないから物足りないのだ。こんな、私だから。

今日には島に着くという航海士長の弁によりその日のモビーは朝から浮き足立っていた。ケトル島は花で溢れた、一周10キロほどの小さな島だ。陸に上がる頃には夕方になっていた。マルコは隊の部下を連れて飲みに出かけると言っていた。声を掛けられたけど、用事があるとつい嘘をついてしまった。皆と騒ぐ気分になれなかった私は、大通りをそれた小道にあった静かに飲めそうなバーに入った。

「…ベン・ベックマン」

カウンターに座る先客に目を見張る。赤髪が上陸したという話は聞いていない。腰に差した刀に手をやると、ベックマンは可笑しそうにくつりと笑いながら両手を挙げた。

「おいおい、物騒なもんは仕舞ってくれないか。ただの偵察だ、白ひげのアンと一戦交えるつもりはない」
「何故私の名を?」
「前に一度会っただろう」

確かに、初めて会ったわけではなかった。一度だけなにかの交渉で赤髪が親父さんに会いに来たことがある。でもモビーに上がったのは赤髪一人で、ベン・ベックマンは、遠く離れたレッドフォースにいた。少数精鋭の赤髪海賊団の面々は手配書で見たことのある顔ばかりで「あぁあれがベンベックマンとヤソップとラッキールウか」と呑気な感想を抱いた記憶がある。

「座らないのか?ちょうど退屈していたところだ」
「あなた、一人なの?」
「たまには息抜きくらいさせてくれ」

ひょいと肩を竦めて溜息を吐いてみせる様子に、噂に聞く赤髪の自由奔放さが頭に浮かんだ。どうやら苦労しているらしい。

「あんたに付き合ってもらえると酒も美味くなるんだが」
「まさか。私のお酌じゃ美味しくなんてならないわ。それに赤髪の副船長ともなれば女が放っておかないでしょう」

私の言葉にベックマンは小さく驚いて見せた。

「…なに?」
「いや、すまない。まさかあんたほどの女がそんな科白を口にするとは思わなかった」

何を言われたのか一瞬理解できなかった。返事に臆していると、彼は煙草を灰皿で消して隣の空席に目を遣る。先ほどから感じていたいい香りはこれだったのか。

「ずるい人ね」
「海賊には褒め言葉だな」

座るも帰るもその判断は私に委ねているようで、その実帰るという選択肢を選ばせる気などないのだ。わざわざ煙草を消したのが証拠だ。駆け引きを楽しんでいるのだろう。勝てる気がしない。それに、ただのおべっかだと分かっていても、この男にあんたほどの女などと言われて嬉しくない女などいないだろう。

紳士。海賊稼業を生業としている者には似合わない言葉だけど、ベンベックマンの言動は間違いなくそれだった。穏やかな語り口で広がる話題は経験と知識に裏打ちされたものばかりだし、互いに踏み込みすぎる話題は持ち出さない。会話の端々にこちらが話しやすくなるような気配りが感じられた。

何度目かの乾杯を交わす頃にはすっかり気を許してしまっていた。もともと一人になりたくて入った店だったこともありほかのクルーが誰も来なかったこともあるが、一番の理由はベックマンの中にマルコと似た部分を感じていたからだ。

「引き止めておいてなんだが、時間は大丈夫なのか」
「ええ、私は平気だけど。そろそろ出ましょうか」

あぁだめだ。
似てる似てると思い始めると否が応でも思い出す。脳裏でマルコが女を抱く。

「いや、生憎俺は全く予定がない」
「そう‥よかった。本当はもう少し一緒にいたかったの」

一人になりたくない、なんて。
子供みたいだ。自分の弱さが情けなくて、ついグラスに視線が落ちる。

「‥際どいセリフは避けてくれないか」
「え?」

驚いて隣を見ると、ベックマンの瞳は思いがけず困惑の色を湛えていた。一瞬目が合ってすぐに逸らされる。

「誘われているのかと勘違いする」

ベックマンは小さく咳払いをしてブランデーを口に含んだ。つい横顔を凝視してしまった。冗談を、言ったのだろうか。だとしたら今の私にはちょっと笑えない。

「そんな魅力、持ち合わせてない」

私は恋人一人満足させられない程度の女なのだから。

「あんたは自分の魅力をもう少し自覚したほうがいい」

視線が絡む。真剣な瞳が本心だと物語っているような気がして、頬がかっと赤らむ。目の前にいるこの人は私を女として見てくれている。自分に魅力があるなんて到底思えないけど、人から認められるその事実が素直に嬉しいと思った。
褐色の瞳に碧が重なった。

「教えてくれる?」
「どうやって?」
「‥言わせるの?」

静かなやり取りと沈黙の後、ベックマンは静かに立ち上がり、私の椅子を引いて右手を差し出した。

「生憎、方法はひとつしか知らない」

巧く笑えただろうか。
手を重ねて立ち上がると、ベックマンの左手は流れるような仕草で私の腰に回っていた。手が震えているとバレたくなくて、自分のシャツを小さく掴む。ベックマンのエスコートは慣れたものだった。マルコ然り他の隊長然り、海賊といえども四皇の船となればそれなりの晩餐に顔を出す必要があるのは同じなのだろう。

店を出ると外はすっかり夜だった。オレンジの街灯が灯る煉瓦道に二人の陰が伸びる。どこへ行くのか尋ねようとしたところで野暮かと思い直した。
曲がり角に差し掛かったところで、不意にベックマンが笑った。

「どうやらここまでのようだ」

苦笑いのようなそれは密着している今、音よりも振動として伝わったと言ったほうが正しいかもしれない。

「‥っ」

曲がり角の先にマルコがいた。建物の壁に背中を預けて立っている。気づかなかった自分の五感に本気で不安を覚えるほど明らかな殺気が肌に突き刺さる。

「‥どういうつもりだい」

「マルコ」
「どうやら分が悪いようだ。アン続きはまたの機会にしておこう」

揉め事を避けるためにしては随分思わせぶりな台詞を残してベックマンがその場を後にする。マルコはその後ろ姿が街角に消えるまで射るように睨みつけ、私は私でどう弁解すればいいのかとか、いやそもそも考えてみればまだ何もやましいことはしていないのではないかとか、頭の中は大混乱だ。

「どういうつもりだ」

ようやくこちらに視線を向けたマルコが先程と同じ言葉を投げかける。質問というよりも詰問。淡々とした低い声はとても冷静だった。嫉妬からくる怒りではないらしい。敵である人間と親密にしていたことへの怒りだと感じた。隊長として、部下を叱る。当たり前のことをだけど、私とマルコは恋人なわけで。私なら、いやあの時の私は、もっと取り乱したし傷ついた。

「別に、何も」
「その割には随分親しげだったじゃねぇか」

「たまたま店で会っただけよ」
「はっ、そんな科白を信じろとでも?」

「マルコだって…マルコだってしてるじゃない、浮気」

虚を突かれたのだろう、マルコは一瞬きょとんとした顔を見せた。だがそれもほんの一瞬、瞬きひとつで持ち直して眉を寄せた。

「なんの話だ」
「私気づいてたのよ」

「へぇ。仕返しのつもりかい」

何故、この状況で笑えるのか。マルコはともすれば楽しんでいるようにさえ見えた。知っていながら傍にいたのかと馬鹿にされているように感じた。

「別れよっか」

声は小さく震えてしまったけど、紛れもない本心だ。バクバクと音を立てる心臓を落ち着かせる為にはぁとひとつ息を吐いたところで、突然背中に痛みが走った。なにがどうしたのかと思えば、急に視界が暗くなり目の前にはマルコの顔。どうやら壁に押さえつけられたらしかった。
青い瞳が月の光で鈍く光る。

「そんなにあの男がよかったのかい」
「だから、あのベックマンは関係ない」

「今日言ってた用事って予定ってのはこのことだったのかい。まさか赤髪の副船長との密会とは、流石に予想してなかったよい。わざわざ差し合わせて会うなんて随分用意周到じゃねぇか。そうまでして会いたかったのかい」

違う。何度否定しても聞き入れてくれないマルコに涙が出てくる。

「だが、流石に赤髪ンとこの副船長となれば関係を認めてやるわけにはいかねぇな。残念だが諦めろい」

違う、そうじゃない。
泣きながらいやいやするように頭を振れば、マルコの手がそっと髪に触れた。その手つきが思いがけず優しかったものだから私は驚いた。髪を梳くようになでる手につられて顔を上げると、その先でぶつかった瞳はなぜか少し揺れていた。

「…馬鹿だねぃ、本気になるなんて」

少し上ずった声に、目を閉じる。


【その口調から推測するに】
ああ、呼吸の仕方すら忘れてしまいそうだ。





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