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▼ 【恋と歩こう】

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サッチが彼女を作ったらしい。
そんな噂はモビーの誇る隊長間通達よりもはるかに早いスピードで船全体に広がった。
尾びれ背びれがついた話のどこまでが真実なのかは大いに疑問ではあるけど、サッチが誰かといい雰囲気になっているというのは事実のようだった。遊びでちょっかいを出すことは多々あれど、特定の女と親密になることなどなかったサッチの吉報に、家族たちは密かに浮き足立った。やっとサッチが前を向いた。誰も言葉にはしないけど、要はそういう喜びが古株たちの間には広がっていた。

聞きたくもないのに入ってくる情報を整理した結果、相手は最近船の乗ったナースらしかった。綺麗というより可愛い人だった。私よりひとつ年上なだけの人だった。

「これはないんじゃないかな。これはないんじゃないかな」

なんということだ。明日はサッチの誕生日だというのに。折角プレゼントだって用意したのに。私は嘆いた。マルコ隊長を巻き込んで、大げさなくらい嘆き悲しんだ。ふざけるようにおどけていなければやってられなかった。私が何年も何年もずっと勝負を挑んできた元彼女はただの仮想のライバルだったのだ。

もっと早く生まれていたって、
もっと早く出逢っていたって、
サッチは私になんて振り向きはしなかったのだ。

嘆いている隙間で、あぁやっぱりとも思った。本当は心のどこかで分かっていたのかもしれない。
それでも私は考えた。じゃあどうすればよかったんだろう。
もっと大人っぽくセクシーにすればよかった?
身体だけでもいいって迫ればよかった?
鍛えたりせずに、女の子らしいままでいたらよかった?

でもどれだけもしもと唱えてみても妹のままでいたらよかったのだと、妹のままでいるべきだったのだとはどうしても思えないということはつまりやっぱり私は本気で好きなんだろう。
決着をつけるべきだ。負け戦上等じゃないか。きちんと振られて終わりにしよう。


明日の仕込みが終わった夜のキッチン。サッチはいつも誰もいなくなったそこで一人煙草を吸う習慣があるから、きっと今日もいるに違いない。
食堂の扉からそろり覗き見。いた。調理台に凭れて定位置に仕舞われた調味料をぼんやりと目で追いながら紫煙をくゆらせている。そんな気だるげな横顔ですらかっこよく見えてしまうんだから私は重症だ。
そろり。音を立てず顔を引っ込めて、手に持ったラッピングを見つめた。

「…今日で最後かぁ」

壁に凭れて小さく呟いた。
きちんと告白して、きちんと振られる。
そのためだけに私は今ここにいるのだから。

「…よし」

意を決して一歩踏み出して、すぐに足が止まった。
サッチは声を掛ける前から扉のほうを向いていた。きっと私なんかがいくら気配を消したところでばればれだったんだろう。ただ、私が足を止めてしまったのは驚いたという理由だけじゃない。
私を見るサッチの目が、すごく優しかったから。

「どした?」

声まで、穏やか。相変わらず調理台に凭れたままサッチは言った。

「えっと、」

言いかけて視線を落とすとプレゼントをしっかりと手に持ったまま。慌てて隠して、見ちゃいました?との意味を込めてちらりとサッチを窺った。

「ん?」

穏やかに微笑んで首を傾げる。どうやら見てませんけど何もという体でいてくれているらしい。優しいなぁと思う反面、じくじくと胸が痛んだ。だって、これじゃあまるで年下の妹とそれを見守る兄じゃないか。少なくともサッチからは告白されるかもドキドキなんて様子は感じられない。

「あのね、サッチ」

あの、優しい目はただただ家族を愛でている時のものであって、一人の女として見ている相手に向けるものじゃない。

「これ、誕生日おめでとう」

大した経験なんてないけど、それくらいは私にだって分かる。

「おう、あんがとな」

プレゼントを渡すとき、大きくて暖かい手がそっと私の指に触れた。
その瞬間、想いを告げることが怖くなった。
わざわざ自ら進んで傷つきにいく必要があるのか。どうせ終わりになるのならもうこれで十分じゃないか。無事サッチへと届けられたプレゼントを目で追いながら、そう思った。

「じゃ、じゃあそういうことで。おやすみ」
「へ?」

え?
そそくさと踵を返した背中に素っ頓狂な声。振り返るとサッチがまさにきょとんとしたでこちらを見ていた。

「そんだけ?」
「…そんだけ?とは?」

「他にねェの?」
「えーっとごめん、前の島ではそれくらいしか」

「や、そうじゃなくて」

だろうね。まさかもっといいもの寄越せやこら、なんて意味じゃないことは流石に分かるしサッチがそんなことを言うとも思えないけど。

「…」
「……?」

はて。どうしたものか。私は内心首を捻った。どうやらこれ以上のヒントを出す気はないらしい。サッチは押し黙ったまま私が口を開くのを待っているようだった。

「誕生日、おめでとう」
「おう」

「今年もよろしく、ね?」
「…ん」

「…」
「…」

「………彼女と、お幸せに」

祝福を口にした瞬間かち合った瞳の深い翠色は、私の黒くてじくじくした本心すら見透かしてしまう気がして視線を逃がした。足元を見つめる頭の上でサッチが困ったような声を出した。

「あー…そうしたいのはやまやまなんだけどよ。どうも相手はそうでもないっつーか、大して俺に興味ねェっつうか」
「そんなわけないよ。だってサッチだよ?」

「や、でも俺ってばおっさんだし?」
「お、おっさんじゃないとは言えないけど」

「言えよ、そこはお世辞でもいいから全力で否定しとけ。まぁでもマルコと違って鳥とかなれねぇし?イマイチ派手さに欠けるっつうか?」
「それは違うよ。確かに不死鳥はものすごくかっこいいけど!なんか光ってるし!」

おっと、地雷か。無言で睨まれた。サッチとマルコは時々こうしてお互い妙に張り合う時がある。そのスイッチがいつ入るかはいまだによく分からない。

「でもほらサッチは優しいし、かっこいいし、頼りになるし…夜寝付けないときにココア淹れてくれたり、体調がちょっと悪いだけでもすぐ気付いてくれたり」
「あー…家族的な?いいオカン的なことか?」

機嫌がどんどん悪くなっている気がするのは気のせいだろうか。心なしが幾分低くなった声に、焦る。

「そうじゃなくてサッチと一緒にいたら安心するし…あ、ドキドキもするんだけど。もっと一緒にいたいとも思うし、だからえっと、」

「ん。だから?」
「だから、」

「…」
「……す、好き」

「誰が?」
「わ、私が」

「誰を?」
「…あれ?えっと…あれ?」

おかしなことになっている、そう気付いたのは自分の足元だけを見ていたはずの視界に見慣れたデッキシューズが入り込んでいるのに気付いたのとほほぼ同時で。はっと顔を上げると翡翠色の瞳が至近距離に迫っていた。

「誰を?」

耳元で囁くように問われた言葉に、「サ、ッチ」惚けたような返事を返した。

「よくできました」

いつのまにか頬と腰がサッチの手に包まれていて、私はなにがなんだか分からないままふわふわと幸せな気分になってそっと目を閉じた。



【恋と歩こう】
一歩、一歩

「彼女できたんじゃないの?」
「マルコからお前が誕生日になんか企ててるって聞いたから、こりゃあいよいよかと思って」
「…先走ったわけね」





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