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▼ 君はこんなにも近くにいるから、

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「…すごい」

深夜、喉の渇きを覚えて厨房に行った。寝付けないのだ、どうしても。気分転換に甲板に出てみると、満点の星空が広がっていた。

「綺麗なもんだろ」
「イゾウ」

掛けられた声に振り返ると、イゾウは酒瓶を片手に、いい酒あんぜと言った。そのままこちらを気にするそぶりもなく船首へと歩き去ってしまうもんだから、飲む気分ではないのだと言うタイミングを逃してしまった。まぁ言ったところで付き合わされるんだろうけど。無理強いをするわけじゃないけど、イゾウの雰囲気は他の隊長とは違って優雅というか独特で、気がつけば付き合ってしまうのだ。きっとそれは自隊の隊長だから、という理由だけではない。不思議な人なのだ、イゾウは。妖艶かと思えば、率先してバカ騒ぎをしたりもするし、悪戯を仕込んで楽しんだりもする。その巧妙さときたらこの人は大魔王かなんかかと思う程で、モビーの頭脳ともいえるマルコが絶対敵には回したくないと漏らすほどだった。つまりこの場合、大人しくついていくのが正解。

「こんなに星が綺麗だってぇのに酷ェ顔だな」

船首付近の船縁に凭れるようにして座ったイゾウは、笑いながら盃を寄越した。反射的に受け取ったけど、酷い顔って…

「聞き捨てなんないんですけど。そりゃイゾウからすれば酷い顔かもしれないけど」
「前の島で珍しい酒手に入れてよ」
「え、ちょ。まさかのスルー!?」

ってほら、また。
サッチみたいなことを言ってしまった自分に、あぁと落胆。想いを消そうとしたって、忘れようと思ったって、結局口から飛び出す科白にはサッチの色が滲んでいて、もうどこまでが私自身なのかすら危うい。わっと騒いで、途端にしゅんと頭を垂れた。

「盃が小さくてすまねェな」

隣で凹んでいる私など意に介さず、イゾウは全く悪いなんて思っちゃいないだろう口調で謝罪しながら、透明な液体を注いだ。そのまま手酌で自分の杯にも注いで、杯を軽く掲げる。

「俺の国のモンだ。やってくれ」

ままごとのような陶器はすべすべとした質感で、手によく馴染んだ。嗅ぎなれない種類の匂いにおっかなびっくり盃を傾ける。喉にピリリと滑らかな酒だった。後味がすっきりとしていて飲みやすい。いぶかしそうな顔から一転、感心した表情を見せると、イゾウはそれを見て満足そうに口角を上げた。

「手間ァ掛かるくせに出来るのはほんの僅かって代物なんだ。この船には嗜むってのが分からない野郎ばっかでいけねェな」

イゾウはぐるりと甲板を見渡した。いつもの賑やかな宴を思い出しているのだろう、甲板を見る目元は随分穏やかだった。

「いいタイミングで手に入ったもんだ。こんな夜にぁもってこいの酒だ」
「確かに。星も綺麗だしね」

イゾウにつられて私も見上げる。ひとえに星と言ってもひとつひとつ大きさも違えば、光の強さも違う。目を凝らしてみると、まるで呼吸でもしているように瞬いていた。暫くの間お互い空を見上げていると、不意にイゾウが口を開いた。

「しかしまぁ、今年の空は無粋だな」
「ん?何が?」

何の話だ。きょとんと聞き返すとイゾウは空を見上げたまま楽しげに笑った。

「今日は七夕じゃねぇか」
「そっか今日だっけ!あ、じゃああれが天の川かな。っていうかなんでいまいちなの?」

晴れてるんだから、無事再会できてめでたしめでたしじゃないか。尋ねれば、イゾウは、雨でも曇りでも雲の上は晴れてるから、やつらは毎年会ってるんだと夢のないことを言った。空になった盃にまた酒を注ぎながら上がる口角や伏せた長い睫毛は、あけっぴろげな言葉とは裏腹に色気すら湛えてるんだから、神様ってやつは随分罪なことをする。

「雲がねェと隠れる場所がなくていけねェ」
「…隠れて何する気デスカ」

ドン引きしている私の横で、イゾウは自分の発言がツボに入ったらしい。瓶を抱えるようにして、げらげらと上戸を発動させた。

「…あー笑った」
「自分の科白に噎せるまで笑えるってどうなの」

げほげほと噎せたイゾウは目の端に溜まった涙を拭って、はぁと大袈裟に息を吐いて呼吸を整えた。

「やっぱ故郷の酒は回りがいいのかねぇ」
「それ絶対関係ないよね?!」

「…で?」
「え?」

呼吸をするように自然な流れで話を振られた。え?と聞き返した私は間違っちゃいない筈だ。なにが、…で?だ、と思いながらも、頭の片隅ではイゾウの問いかけが何を指しているのか分かっていたりなんかして。

「オイタの過ぎた馬鹿を懲らしめてンのかと思ったら、随分辛気臭ェ面してんじゃねぇか」
「あぁ…そう、ね。みんなは私が振ったって思ってるみたいだけど、実際振られたのこっちだし。勘違いしてくれてる方が私は有難いけど」

「成程な。島の女か?今更お前以外に懸想するなんざ、想像できねェな」
「残念ながらそうでもないみたい。相手はミレーさんだってさ」

「そりゃあまた。難儀だねぇ」
「だよねぇ」

難儀なヤツだ。
呟くように言ったイゾウの言葉には、私を慰めるような色合いが混じっていて、胸が苦しくなった。

「船、乗せたりするのかなぁ」
「そりゃあねェだろう。ここは惚れた脹れたで乗るような女が立っていい場所じゃねぇさ。まして得物も持ったことのねぇ素人女なんざ、お荷物にしかならねぇよ。置いていくのが正解だ」
「…イゾウ?」

「1年に一度会えりゃあ十分じゃねぇか。なぁ?」

星の瞬きでいつもより幾分明るい夜。天の川を見上げて言ったイゾウの言葉は、まるで己に向けて話しているようで。私は手に馴染む小さな盃を包みながら、ただ隣で空を見上げていた。

「なんか…私、頑張ろっと」

別れても、もうお前は特別ではないのだと言われたとしても、それでも同じ場所に立って同じ誇りを掲げて生きられる私は、きっとすごく恵まれてるんだろう。

「もしミレーさんがここに乗ることになっても、私ちゃんといつも通り笑って馬鹿やって、それで、」
「そりゃ駄目だな。やめときな」

「え?」
「笑えもしねぇのに笑うなんざ、痛々しくて目も当てられねぇ」
「…そうかもしれないけど。でも私、強くなろうって決めたから」

そうだ、私は心の強い女になるんだ。
でも、今までの経験上、イゾウにやめておけと忠告されたことをやってうまくいった試しがないのも事実。私もしかしてなんか間違って、る?

「そりゃまたご苦労なこって。お前がそうしたいってんなら俺ァ構いやしねぇさ。精々木っ端微塵になるまで頑張りな」
「わーわーなんかわかんないけどゴメンナサイ!見捨てないでー」

何この人怖いンですケド!?知ってたけどね!
びくびくと怯えている私を見たイゾウは大層ご機嫌に笑っている。こんの大魔王め。あ、嘘ですすいません。こわい。

「強いってェのは、無理するって意味じゃねぇだろう。笑えねぇっつうなら笑う必要はねぇし、会いたくねェなら会わなきゃいい。幸い我が家は広いしな。鬼ごっこでもすりゃあいいさ」

珍しいこともあるもんだ。イゾウがこんなに直球で心配だと伝えてくれるなんて。

「お前があの馬鹿を想ってる気持ちってのは半端なもんじゃねぇだろう。今、無理に蓋して閉じ込めたっていい結果にはならねぇ、違うか?」
「…そう、かも」

「なら気持ちが整理できるまで、必死に足掻いてみな。鬼ごっこの加勢が必要だってンなら、野郎共が手ェ貸してくれるさ」
「…まさか賭けのネタにするつもりじゃないよね?あ、でも私が避けてたって、サッチはどうでもいいのか。むしろ気まずくなくて好都合だったりして」

「さぁどうさねェ」
「イゾウ、今かなり悪い顔してるよ」

「あぁ?」
「うそですごめんなさい。さぁ飲もう!」


「乾杯!」

カチャンと小気味いい音を立てた盃を空に掲げた。
空には折りよく身を隠すにはうってつけの雲がひとつ。織姫と彦星は今頃、あの雲に身を寄せて、蕩けるような愛の言葉を紡いでいるのだろうか。

「ったくやってらんねぇな」
「ほんとだよ、全く」

イゾウはこの天の川と、織姫と彦星に、誰とのどんな思い出を重ねてるんだろう。私は聞かないし、きっとイゾウも話しはしないだろうけど、それでも私は今日が七夕でよかったと思った。

星が綺麗だったから。
酒に溺れる口実にしちゃあ、なかなか粋な理由じゃないか。


【君はこんなにも近くにいるから、】
自分を取り戻せるその日まで、雲隠れさせて。





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