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▼ 好きになるかもなったかも

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「っしゃーい!!」

会社勤めも早数年。
コンパやら飲み会やらといった類ではしゃぐような歳でもない私が仕事帰りに寄るところと行ったらお腹を満たすためだけの店くらいなもんで。

「あー疲れた」

いつの間にか定位置になっている席に身を沈めると自然とため息が洩れた。
入りたいと思っていた会社だったけど、実際に働いてみたそこは何の面白みもないただ書類をこなすだけの空間だった。そのくせに上司だのお局だのと人間関係だけはややこしい。辞めてやる、辞めてやる、そう思いながらも結局朝起きたら電車に乗るのだ。
そんな日々に疲れきっている私は当然ながら家に帰って自炊をする気力なんてなくて、今日もまたこうして通い慣れた店に足を向ける。

女一人でも辛うじてOKと私が思っているこの店は、寿司屋のような定食屋のような店で。看板には「寿司」と書かれているけど、私の中では新鮮な魚が食べられる定食屋という位置づけ。

「今日は何にすんだ?」
「「今晩のおかずセット」?」

え?
何故か重なった注文の声に顔を上げると「…は」寿司屋らしからぬ風体の男がカウンターの中でニコニコしていた。
ドレッド…何故ドレッドが寿司カウンターに。握るのか、寿司を。っていうかバンダナ巻いてる意味が迷子。

「あんたいっつもそれだよな。たまには他のにしたらどうだ?」
「え?あぁうん。でもほら、これ毎日変わるし」

一瞬、いや数秒、特徴的すぎる髪型に思考が奪われたけどなんとか返事を返した。


「あーそれもそうか。頭いいなぁお前」

はははと豪快に笑うドレッド野郎は随分親しげだ。
話の流れから察するにどうやらこの店で前から働いてるみたいだけど、あいにく全く記憶にない。一回見たら絶対忘れないと思うんだけど。前から働いていたのかと遠慮がちに尋ねると「え!俺のこと知らねぇのか?まじで?え???」そんなわけないとばかりに大騒ぎ。
なんだこのおっさん。

今確信した。
私はこんなにうるさい男、絶対知らない。

じゃあなんでこのドレッドはこんなに騒ぐのか。
困ったことになった。
どうやらこの男は私のことを知っているらしい。直球で知らないなんて伝えるのはさすがに憚られるし、もし私が忘れてしまっているなら申し訳ないとも思う。

「あの、ごめんなさい。えっと、「俺いっつも奥にいたじゃねぇか!!」…は?」

奥ってもしかしてあの扉の向こうか?ここからは見える筈のないキッチンのことを言ってるのか、このおっさんは。
前言撤回。申し訳なく感じる必要なんてなかった。
っていうかこの人…

「…バカなの?」
「え?」

なにやら可愛い睫毛をぱちくりしながら小首を傾げたおっさんに「やっぱバカじゃん」久しぶりに心から笑えた気がした。



あれから私は以前よりも頻繁にこの店を訪れるようになった。
ラクヨウは急に休んだ人の代役としてフロアに立っていただけらしく、あの日以来特徴的なドレッドを拝むことはなかった。

少し残念に思っていたりする。
楽しかったのだ。ラクヨウとの会話は。
でもきっとそれだけ。

本日の定食を食べながら僅かに開いた扉にチラチラ目を遣ることに意味なんてのはないはずだ。
一瞬見えたドレッドにドキンと胸が鳴るのにも意味なんてない。

あの日以来何故かキャベツが山盛りになったことに笑みが零れるのも、
帰り際見えやしないキッチンの奥へと視線を向けてしまうのも、

「ただのおっさんじゃん。しかもバイトとかありえないし」

きっと全てが錯覚で。


お会計をしていたらラクヨウがふらっとやってきた。レジの人となにやら楽しげに一言二言言葉を交わしながら、壁に据付けられたタイムカードをガチャン。

「帰んのか?ちょっと待ってろよ、俺今日早上がりなんだ」
「え?」

帰んの?一緒に?
早上がりなのは見てれば分かるけど私を待たせる意味が分からない。
混乱している私を他所にラクヨウは片手でガバっとバンダナを外してニカっと笑った。

「ちょっと待っててくれ。すぐ来るからよ」

バンダナを片手で振り回しながらキッチンの奥へと戻る後ろ姿を私はぽかんと見送った。


「ねぇラクヨウってなんでドレッドなの?」
「んー?あーこりゃあポリシーだ、ポリシー」

「もしかして音楽とかやってる?」
「おぉ!すげぇななんで分かったんだ?あのよ、俺近くのバーで、、」

二人並んで夜道を歩く。
まだ22時を過ぎたばかりのこの道は人通りも少なくはない。下を向いて歩くサラリーマン、コツコツとヒールを鳴らして家路を急ぐ女の人。向かう方向はそれぞれだけど皆一様に疲れ顔。明日も仕事か、あー嫌だな。昨日の私ならその波に溶け込んでいるに違いないけど、今日は違う。
楽しくて、可笑しくて。
心に溜まったストレスが解けていく。

照れたり、大声で笑ったり、身振り手振りが激しかったり。
ありきたりなしぐさでもラクヨウがすれば何故か楽しそうに見える。
たぶんこの人はいつもこんな感じなんだろう。

「え!CD出してるの?!すごいじゃん!」
「だろ!?スタジオってすげぇんだぜ。音がな、こうガガッって感じでよぉ」

「すごいすごい!かっこいい!」
「あーそ、そうか?」

褒めすぎたらしい。初めは得意気に話していたラクヨウだけど、すごいすごいと連呼すると恥ずかしそうに照れた。ドレッドの筋をなぞるように掻いて、いやまぁあれだなんて歯切れの悪い言葉を呟きながら照れ笑いなんかして。正直ちょっとキュンと来てしまった。

聞けばラクヨウはパンデイロやスンガという打楽器の奏者なんだとか。よく分からないと首を傾げたら、ブラジルの楽器だと言いながらやたらと陽気なリズムを口にしながら両手で空気を叩くもんだから、すれ違ったサラリーマンが驚いた顔で数歩離れた。

やっぱりよく分からなかったけど、とにかくリズム感がいいってことと楽しそうだってことだけは理解できたからそれを伝えると「楽しいって感じんのが大切なんだートッカトドオント、トッカトドオント」とこれまたよく分からないリズムが返ってきた。
笑顔でアンは素質があるなんて言われたけど、喜んでいいのやらちょっと反応に困る。


「移住するの?」
「おう、もうすぐ金も貯まんだぜ」

才能が認められて現地のアーティストとも競演したりもしているラクヨウは、既にある程度の実績もあって声を掛けてくれる人もいるのだとか。

なんか、すごいな。

羨ましい、と思った。

夢に生きるなんて。
おっさんのくせにかっこいいじゃないか。

いいなぁ。
自然に口からこぼれ落ちた感嘆に、お前も一緒にいくか?なんて。

適当なこと言わないでと怒ってみたけど、不思議と悪い気はしなかった。



【好きになるかもなったかも】
帰り道はふたり道





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