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「さむっ」

月が高い高い位置で輝く。はぁーとついたため息が白い息になって空気に溶けた。寒いのが大嫌いな私は春一番が吹いたという天気予報にでかした!と喜び、ようやく春めいてきた空気にウキウキしていたというのに。

「なぜ戻って来たし、冬めっ」

帰り際を狙ったかのように舞い込んだトラブルに手こずり、やっと帰れるとエントランスを出たらこの寒さだ。あぁもう!浮かれてスプリングコートなんて着て来るんじゃなかった!大失敗。最悪だ。気持ちをそのまま押し付けるようにハイヒールをコツコツと鳴らして既に人気のない道を歩く。張り切って奮発した春用のモスグリーンのヒールがひどく浮いて見えた。

もう22時過ぎ。終電はまだまだ心配ないが、駅に行き着くまでの道に人は皆無。しかも今日は金曜日。そしてここはオフィス街。とっくにみんな帰宅してるだろうし、パアッと遊びに行ってるかもしれない。こんな時間のオフィス街はもはや無人の世界に近い。もちろんまだ働いている人も中にはいるのだと思うけど、鉢合わせる可能性などほとんど皆無。

「・・・もうサイアク」

コツコツと地面を鳴らす音だけが反響する空間に思わず零したこの言葉は、寒さに向けての恨み節ではなくて。

「サッチのバカやろう」

あの日。サッチがモビーちゃんを泣きながら救出し、なぜか私にくれたあの日。
7年もの付き合いになるのに今更バクンと鳴った心臓に驚いたあの日から、サッチに腹が立って仕方がない。サッチは今までとなにも変わらずヘラヘラと若い女社員にちょっかいを出しているだけだし、外出の帰りが遅いと思ったら受付のお姉さんからプレゼントを貰ったとみんなに自慢している。

いつも通り。そう。いつも通りなのだ、何もかも。
自分の気持ちに気づいてしまった私にとっては、その今まで当たり前だった日常やサッチの軽さが我慢出来ない。

あんなにへらへらしてんのになんで若い子の間で人気あんの?
なんで受付のマドンナからプレゼント貰えるの?
なんでへらへら受け取るの?

なんで、なんで。

本当は分かってる。人気があるのは実は仕事が出来る一面とのギャップが受けてるから。あのプレゼントは明らかに“本気”。
でもプレゼントの女の子とのその後はいつも分からない。だって私たちはただの同僚だから。職場で冗談を言い合いはしても、そこまで踏み込んだ話などしたことはない。そもそも彼女がいるのかさえ知らない。7年だ。当然彼女の一人や二人、いやあいつのことなら100人くらいいたかもしれない。
毎日のように顔を合わせてたのに今まであいつの魅力に気づかなかった。サッチに群がる女たちをバカだ、見る目がないとむしろ呆れていた。そんな私とサッチの関係性は同僚以外にあるはずもなく。

「ずーっと一緒にいたのになぁ」

私はあいつを、なにも知らない。


自分の気持ちに気づいた瞬間、
【後悔の嵐】
(好きだなんて、今更言えるわけない)




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