「聞いてくださいよ!彼女に仕事と私どっちが大事なのって聞かれて」
「なんで答えたの?」
「どっちもって言ったらめっちゃキレられたんスよ!なんて答えたら良かったと思います?」
「いや、それ聞かれる時点で自分の事考えてるようじゃもう詰んでるよ」
「マジすか」
営業帰りの車内で後輩が彼女と喧嘩したと話す後輩の話を聞きながら、正直私はココに「仕事と私どっちが大事なの」なんて聞く勇気はないなぁなんて思った。それは自分が選ばれる自信もないから。そりゃ優先してほしいけど、仕事は仕事。いい歳した大人なら割り切らないといけない事もあるのは同じ社会人で社畜ぎみな私は少しは理解しているつもりだ。
それでも聞いてしまった彼女は後輩に寂しい気持ちを分かってほしかったんだと思うと、可愛いなぁと思う。同性だからこそ分かってしまう会ったことのない彼女を不憫に思って「2択じゃなくて寄り添って欲しかったんじゃない?」とアドバイスすると「へぇ」と他人事のように呑気な返事が返ってきて、ついブレーキを踏むのが荒くなってしまった。
「俺も先輩みたいに同棲でもしよっかなー。でもこれ以上喧嘩増えて嫌だしなぁ…」
「明日は休みでしょ。愚痴愚痴言ってないで彼女と過ごして早く謝っちゃいなさい」
同棲とは聞こえがいいだけで、帰る家が同じじゃなければ、一生会わなくなるから半ば強制的にココの家にお邪魔してるだけ。仕事から家に帰ってパソコンの前に座ってたらまだいい方。いないことの方が多い。そんな事、口の軽そうな後輩には話が大きくなるから言ってないのだけど。もちろんココが反社会の人だなんて後輩どころか会社の誰一人にも言ってない。
先輩面して言ったけれど私はデートどころか、ご飯に誘って断られたのは今月に入って何度目だろう。明日の休みだってめげずにご飯に誘ってみたけれど、呆気なく『仕事』と返事が来ていた。絵文字も、謝罪も、こちらを気遣う一言もないシンプルなメール。
こんなことで落ち込んでたらココとは付き合ってられない。気を遣わせないように(ココは気にしてないかもしれないけれど)『大変だね。こっちはイヌピー誘うから気にしないで。仕事頑張って』と配慮して送った返事。それがまさかのイヌピーの部分に食いついて『なら家に呼べば』って返事には未読スルーしたのは大人気なかった。でも、仕事にも幼馴染にも負ける彼女なんて悔しいじゃない。
後輩に愚痴るななんて言ったけど、イヌピーの顔を見たら今まで溜まっていたものが溢れ出て来た。昨日も帰ってこなかったココのことを愚痴るだけ愚痴って遠慮なくご飯もお酒かき込んだ。イヌピーは文句も言わず「そうか」と困ったように笑っていたけど、やっぱり申し訳ないことしたな。今度バイク屋さんに差し入れ持って行こう。
「ただいま〜」
あれだけココに腹がっていたのに、玄関をあけてココの革靴があるのをみて嬉しくなってしまう。私はなんて単純なんだろう。嬉しくてアルコールでふわふわした頭のままリビングに向かえば、いつもと変わらずパソコンに向き合うココの姿。
「遅くなるなら連絡しろって」
「イヌピーと一緒だったから大丈夫に決まってんじゃん」
「…イヌピーは抜けてるとこあるから心配なんだよ」
この文章だけ見てれば、愛のある彼氏に聞こえるかもしれない。しかし、ここまでの会話は全くアイコンタクトなし。2週間ぶりだというのにパソコンから顔を離さないまま。私の心配と言うより、イヌピーの心配をしてるに違いない。それでも画面越しに見える真剣な顔ですらカッコよく見える。
「ココは心配症だねー。イヌピーだってもう大人なんだから大丈夫だよー」
「イヌピーじゃなくて、オマエな。酔っ払うと距離近ぇんだよ」
「イヌピーにはそんなことしないよう」
確かに酔うとパーソナルスペースは狭くなるけれど。さすがに共通の友人にベタベタするほどタチが悪いわけじゃない。だいたいイヌピーも「ココに叱られる」なんて私が少しでも触れようとするなら律儀に断ってくる奴なのに。
「ココだけにしかしないもーん」
「!」
酔った勢いということにしよう。アルコールの入った頭でいろいろ考えるのが面倒くさそくなった。後ろからココにもたれかかり、甘えるように両腕を首に回す。途端にココの釣り上がった目がさらにキッと細くなった。
「なまえ、今日灰谷に会ったのか」
「え、りんちゃんの方?それともらんちゃん?」
「どっちも」
「2人とも会ってないけど」
怖い顔をするから酒臭いからやめろと怒られるかと思ったのに、聞かれた質問が予想外すぎて首をかしげる。くっついたままでも引き剥がされないところを見ると怒ってはいないらしい。
「仕事休みだろ。イヌピー以外の誰と会った?」
「? 急にどうしたの」
「いいから今日一日、誰と、どこで、何したか答えろ」
「んー、今日は美容院行ってから、表参道でランチ。午後からは買い物して、そんでココに断られたからイヌピーとごはん。いつも行く中華の」
真剣な表情のまま尋問のような質問攻めに不思議に思いながらも、指を折って一つずつ今日の出来事を振り返っていく。少し嫌味を込めて断られたことをアピールしてみるけど、ココは眉ひとつ動かさない。
「買い物って、新しい香水?」
「うん、いい匂いでしょー。らんちゃんのやつがいい匂いだから教えてもらった」
「…」
そうそう。この後ご予定は〜…なんて美容師の人と世間話してたら、香水買いに行くそういえばあえて男物のをつけて浮気を匂わせるて相手の反応を見るのが流行ってるなんてアシスタントの若い美容師さんがキャピキャピして言ってたなぁ。ドライヤーしながらだっから適当に相槌をうってたけど。
「ココ?」
急に黙るから香水臭かったかなと心配になってくっついてたココから離れる。すると椅子を回転させて私を見る顔は明らかに不機嫌な表情を浮かべていた。
「俺が新しいの買ってやるから今すぐ捨てろ」
「え、え?」
「だから捨てろって言ってんの」
ぶっきらぼうに告げられた言葉を理解するのに少し時間がかかってしまった。いやいや、これハイブランドのものなんですけど。それを躊躇なく捨てろって何事?ココの目は至って真剣で冗談を言ってる風には見えないから余計に訳がわからない。
「でもこれ高かったんだけど」
「なまえの好きなのいくらでも買ってやるから捨てろ」
「えー、そういう問題じゃないよ」
プレゼントされるのもそりゃ嬉しいけど自分へのご褒美として買ったものって特別なんだよね。ココにとったら端金で買えるものかもしれないけど。仕事を頑張る今後のモチベーションのためにもわさわざ捨てなくったって。香りが嫌ならココの前でつけなければいいだけの話だし。
「この香り苦手ならココといる日はつけないよ?」
「俺に会う会わないじゃなくて、だから、」
「うん?」
珍しく歯切れの悪い返事にまた首をかしげる。何か言いたげな視線がちくちくと刺さるけど、全くもって分からないまま。酔っ払いに空気読めなんて無理な話。ギリッと奥歯を噛み締めながら睨みつけられても、私は疑問符でいっぱいなのだ。そんな私にココはようやく観念したように顔を真っ赤にさせて声を荒げた。
「…俺が、嫌なんだよ!」
「え」
「灰谷と同じ香水なんて分かってても苛立つに決まってんだろ。イヌピーですら嫌なのにあいつらなんて…。何だよ」
「びっ、くりして」
その一言で酔いが覚めるほど。そんなまさか。他の男の香りがしようが、あんまり気にも止めなさそうなのに。でも目の前にいるココは眉をよせているものの、赤くなった顔は隠せていない。イヌピーの言ってたことは本当だったんだとようやく点と点が繋がった。
「ココって私のこと結構好きなんだね」
「…好きでもない奴と一緒にいねぇよ」
「それにヤキモチ妬いたりすんだね」
私もニヤニヤして上がってしまう口角を隠しきれないでいた。可愛い可愛い!と叫びたくなるのは流石に我慢する。嬉しくてニヤける私に射殺されそうな鋭い目つきで睨んでくるが、紅潮した頬のせいで全くもって怖く感じない。ダメだ、可愛い。仕事で構ってもらえなかったことやデートを断られ続けたことも吹っ飛んでしまうくらいココが愛おしくてたまらなくなる。
「うるせ。もう黙ってろ」
「分かった。今度イヌピーに聞くからいいもん」
「やめろ。調子のんな」
くるりとまた椅子を回転させて、プイッとそっぽを向かれる。それでもほんのり赤くなった耳が垣間見えてまた私は嬉しくなった。今度イヌピーのバイク屋さんに行った時また話を聞いてもらおう。きっと今日みたいに困ったような笑みではなく、良かったなと柔らかく笑ってくれるはず。少ししてから「…俺も行くからな」とボソリと呟くココの背中に飛び付かずにはいられなかった。
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