「春ちゃん、」
「はい」
真っ黒の特攻服が余計に黒く暗く見えるようなホワイトベージュの艶やかな長い髪。どんなに小さな声で呼んでも、どんな時でも、その長い髪を揺らしながらゆっくりと振り返る瞬間が世界で一番好きだと思った。
「春ちゃん」
「何ですか?」
「ふふ。呼んだだけ」
「…暇なんですか」
気怠けな視線、生意気そうなのに一丁前に敬語で話すところ、綺麗な顔に似合わず春千夜という名前。好きなところを数えだしたらキリがないくらい。
子どものような細くて柔らかい髪を撫でれば、ジトリと不機嫌そうにこちらを射抜く。けれど振り払われることなく、垂れ目がちな目を伏せるとただでさえ長いまつ毛がより際立っていた。一言二言文句は言いつつも、基本はされるがままの春千夜を用もなく呼びつけては彼を少し困らせることも好きだった。
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そんな風に春千夜を好きだと恋を募らせてた若かりし頃が懐かしい。元々荒れていたと人づてに聞いたこともあったし、東卍にいたのだから真面目ないい子ではなかったけれど。今となってはド派手なピンクの頭にいくつも空いたピアス。好んでよく着るパープルのスーツに袖を通した姿は誰が見ても堅気には見えなくて。挙げ句の果てに怪しい薬にまで手を出した彼に当時好きだった「春ちゃん」の面影はどこにも無い。
歳を重ねるにつれて春千夜の何が好きか分からなくなってきてしまった。向こうの仕事柄会えない事が増えて、すれ違うどころか今はもう自分の気持ちさえ見失ってしまっている。好きは好きだけどこの気持ちが愛情か情か曖昧になっているのだ。私ももう将来を考えだす年齢。このままでいいのかと考えだしたら、止まらなくなってしまった。
かと言って1人悩んだところでなにも解決しない。春千夜に会えたらラッキー、会えなくても誰か捕まえて相談しよう!なんて軽い気持ちで梵天の幹部だけが集まる此処、一見ただの会社がいくつか入ってるオシャレなテナントにしか見えないこのビルの最上階へとやって来た。その重厚な扉を開けると見知った顔がソファにくつろいだまま、顔だけ上げてこちらを見上げる。
「おー、珍しい。なんか用」
「鶴ちゃんいる?」
「九井と福岡に商談行ってる」
「嘘、ココもいないの」
「来週まで帰ってこねぇ」
「えー、しょうがない、竜胆にするか。蘭よりマシだもんな」
「おいコラ。まとめてディスってんじゃねぇよ」
梵天の中で数少ない頼りになる鶴蝶、次いで九井が不在なことに当てが外れた私はがっくりと肩を落とす。もう竜胆でいいやと空いてる対面のソファに勝手に座り込んだ。竜胆は口調はきついものの、声色に怒気は含まれておらず。今まで読んでいただろう書類をサイドテーブルにポンと放り投げた。わざわざやってきたのが珍しいと思ったのか、どうやら相手をしてくれるらしい。
「…という訳です」
「それさー、好きかどうかってより、なまえが寂しくて単に愛されたいだけじゃねぇの」
「うーわ。軽く相談したつもりが、どえらい直球ぶち込んできた…」
大まかにに今の自分の気持ちを話してみれば、有名占い師ばりの的確な竜胆の言葉に心臓をえぐられたような痛みが走る。苦し紛れに返した私の言葉に「一般論」と淡々と答えられた。反社は一般人じゃないでしょ。なんて言い返す余裕はもう持ち合わせてなかった。
自分の好きな気持ちが分からなくなったんじゃない。相手の、春千夜が私を好きか分からなくて、それを認めたくないから見栄を張ってたことに気づいてしまったから。目に見える変化に、彼が離れて行ってしまったような気がして寂しかっただけなんだと。
「愛されてるのかなんて分かんない…」
自分でそう言って喉の奥がキュッと絞まる気がした。心臓までの血管がわかるくらい、胸がしめつけられる。やっぱり私は春千夜が好きなんだと、皮肉にもこの痛みが私に教えてくれる。言葉にすれば余計に現実味を帯びていく気がして言うんじゃなかったと後悔してももう遅かった。
「愛されてるかなんて、浮気したら手っ取り早く分かるんじゃね」
「普通に私も相手もスクラップ行き確定じゃん」
「あー、来月頭は処理しなきゃなんないの多くて忙しいから、月末にしろよ」
「ねぇ、せめて否定して。死体処理する前提で話進めないで」
落ち込む私を気にする素振りも見せず、本気か冗談か分からないことを言う竜胆にやっぱり蘭と兄弟だななんて思った。あの春千夜が浮気してハイ、サヨナラで済むなんて思えない。愛情があるなしに関係せず、裏切ったと言う事実に激怒するに決まってる。2人でいる場面なんて見られたら問答無用で拳銃でズドン。あっという間にあの世行き。例えメールや電話のやり取りだけバレたにしても、調べ上げて何しでかすか分からない。
「男物の香水でもつければ?」
「?」
「匂わせだよ。最悪、匂い移ったつって誤魔化せる」
「気づかれなかったらそれはそれで悲しい…。手っ取り早い方法ないかな」
「じゃあ俺と寝る?」
ずしりと肩にのしかかった重みに振り返れば、そこには至近距離でにっこりと笑う蘭。どこから話を聞いてたのか。その至極楽しそうな顔で、性根の腐ったことを話す蘭にやっぱり話し相手は竜胆にしといて良かったなと思う。
「会って早々、相変わらずのクズだね。思ってもないこと言うのやめてよ」
「そ?俺はあのヤク中をからかえるし、気持ちいこと好きだから割と本気なんだけど」
「私にメリットないし。というか、蘭は絶対やだ」
「…無理矢理ってのもクるよな」
「おーい竜胆。お宅の兄貴回収して。手に負えない」
「俺の言う事聞くわけないじゃん」
私の横に座ると、ニコニコと話す蘭。こっちの言ってることに耳を貸す気は一切ないらしい。こうなった蘭はまともに相手をする方が面倒。すかさず竜胆に助けを求めるが、そんな事は竜胆が1番分かってるらしい。話はお終いとでも言うように投げ捨てた書類にまた目を通し始めてしまった。私1人で蘭の相手すんのか、面倒くさいなぁと顔を顰めていたら「なまえ」と不機嫌そうな声が上から降ってくる。
「何してんの」
「わ、春千夜。えとお疲れさま」
振り返って見上げる先には久しぶりに見るピンク頭。薬はキメてないのか、声どころかその顔もこちらを見る視線も不快感を表している。春千夜が来るなら教えといてくれればよかったのに。蘭にアイコンタクトで訴えるが、切長の目がさらに弧を描いてニヤッと笑われた。こいつ確信犯だ。
「ん。そのクソから離れろ」
「別にいいじゃん。減るもんじゃないしぃ」
「いや、私のSAN値ガリガリ削られてるから離れてよ」
「兄貴、からかってないで仕事行くぞ」
変わらぬ不機嫌な顔のまま。ただでさえ春千夜と蘭は仲が良いとは言えない小競り合いが多いのに。それを分かった上で蘭は油に火を注ぐように私を抱き寄せる。顎を引き、首を傾げて下から睨みつけるような春千夜の鋭い目付きに私の方が冷や汗が出て固まるしかない。見かねた竜胆がため息を吐きながら助け舟が入れるとやっと解放された。よし、春千夜の機嫌が悪化する前にしれっと帰ってしまおうと腰を上げる。
「じゃあ、私もこれで…」
「そこで待ってろ。一緒に帰んぞ」
「あ、うん」
春千夜に頭をぶっきらぼうに押さえつけられソファへと押し戻されてしまった。そのまま春千夜が席を外した隙に蘭が何処から持って来たのか香水を私の首筋に吹きかける。いきなり何をするんだと抗議をしようとした私に「ちなみにこれ竜胆の」と語尾にハートをつけ、憎たらしい笑顔を浮かべて去っていった。今度マイキーに頼んで締めてもらおう。
蘭に対する殺意を抱きながらも、誰もいなくなった事務所は少し居づらくて。大人しくソファに縮こまっていると、またズシリと肩に重みに柔らかなソファに身体が沈み込んだ。
「あ〜〜〜」
「春千夜おじさんくさい」
「うるせ。疲れてんだよ」
「最近忙しそうだったもんね」
人がいないとはいえ、普段はくっついて来たりしないのに。後ろからもたれ掛かってくる春千夜は相当疲れが溜まってるように見えた。
「…お前なんで竜胆の香水つけてんの」
「え」
「さっき会った時こんな匂いしなかったし。匂い移ったにしては不自然に首からしか匂わねぇから」
「いや、あの…」
昔のように撫でようと伸ばしかけた手を慌てて自分の首筋あてる。抱きついてきたとはいえ、気づくの早すぎないか。竜胆に匂わせたらと言われたけど、これ気づかれたらなんて答えるのが正解なの。しどろもどろになる私をジィッと見ると、急ににんまりと口角をあげた。
「ふーん」
「な、なに?」
「嫉妬してほしかったんだぁ」
「!?」
「可愛いとこあんじゃん」
竜胆が提案して蘭が勝手にやったとは言え、確かにあわよくば嫉妬なんかしてくれたらな…と淡い期待を全く抱かなかったわけじゃない。そんな打算をすぐさま見抜かれて一気に恥ずかしくて堪らなくなる。それを見てニヤニヤと笑う春千夜は先程の蘭に匹敵するくらい満悦の笑みを浮かべる。伊達に梵天のNo.2やってるだけはあるのか、私の全てを見抜かれてるようで恥ずかしいを超えて腹が立ってくるほど。
「春千夜は可愛くなくなった!」
「あ?可愛い春ちゃんなんて最初っからいねぇよ」
「なにそれ、どういう意味」
「なまえが逃げないように猫被ってたに決まってんだろ」
悔し紛れの私の一言に淡々と言葉を吐いた。急に告げられた思いも知らぬ春千夜のカミングアウトに私はまた固まってしまう。そんな大事なこと今言うの?とは思ったけど、騙されてたとは不思議と思わなかった。それどころか愛おしくてたまらなくなる。猫を被ってたにしては時折、生意気な素が垣間見えていたのが春千夜らしくて笑えてくるくらい。
「春千夜、」
「あ?」
「春ちゃん」
「…なんだよ」
名前も呼ぶと、揺れるピンク色の髪に触れた。思えばこの手を振り払われたことはないし、名前を呼べばいつだって垂れ目なのにどこか意志の強そうな瞳が私を見つめる。変わってしまったと悩んでたのがバカらしくなった。春千夜はいつだって変わらないでいてくれたのに。
敬語はもう使われなくなったけれど。それ以上に甘えるように私の手に頭を擦り付けると、柔らかい髪がくしゃりと乱れた。
「私が今逃げたらどうすんの」
「そんなの逃がすわけないだろぉ。それに、」
「?」
「逃げる気もないだろ」
髪を撫でていた手を掴むとそのまま頬にあてた。自信たっぷりのその顔に頷くことしかできない。さらに口角を上げる春千夜に「逃がさないでね」と触れるだけのキスを落とす。返事の代わりに貪るようなキスと、やっぱり本当は気に入らなかったらしい首筋から香る匂いをかき消すように容赦なく私の首元へと噛み付いた。
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おまけの灰谷兄弟
「あいつら今頃どうなってかなー」
「兄ちゃん悪趣味。つうか三途がなまえにベタ惚れなんて見りゃわかんじゃん。あいつアホなんじゃね」
「間違いなくアホだろ。なまえのやつ俺らと仲良くしてんの見て三途がイラついてんのは俺と仲悪いからだと思ってんだもん。嫉妬以外あるわけねーのになぁ」
「それは兄ちゃんも煽るから。でも三途も煽り耐性ない癖に昔っからなまえの前だけはカッコつけてんの笑える」
「それなまえに教えてあげればいいじゃん」
「は?そんなの面白くねぇじゃん」
「竜胆も大概だよなぁ」
「兄ちゃんだけには言われたくない」
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