「千冬ぅー」
「はい」
「ねぇ見てやばくない??三ツ谷むっちゃ笑ってる!」
「八戒が馬鹿やったんスかね」
「はぁぁ…今日もかっこいいなぁ。あんな笑顔向けられたら一生幸せに生きていける。目に焼きつけとこ」
最近もっぱら私の話を聞いてくれるのは場地でもエマでもない。場地に妙に懐いている千冬だ。千冬は私の三ツ谷の話を嫌がることなく真面目に聞いてくれるいい子である。
最初こそ場地の幼馴染だからと気を遣っているかと思ったが、千冬の場地に対する敬愛は予想を超える物だった。三ツ谷の話を聞く代わりに場地の話を聞いたり、昔話や幼い頃の写真を見せると目を輝かせていた。所謂、場地の強火オタクだ。つまり千冬とは持ちつ持たれつのいい関係を築いている。でも千冬にばかり話をする理由はそれだけではない。
エマは同性なので一番話やすく盛り上がる。でもエマの行動力は次元が違う。私なりにも三ツ谷と仲良くなれるよう頑張っているつもりだが、エマにはカタツムリのように一進一退を繰り返すようにしか見えないらしい。そんな私に痺れを切らして実力行使に移られることが多々あるのだ。GWにエマと2人で行くはずの温水プールに三ツ谷が現れて「色気で迫れ!」と言われた時は本気で縁を切ろうかと思ったくらいだ。
場地はその点せっつくこともないのだが、三ツ谷と仲が良いので話していると三ツ谷に声をかけられることがある。その日も三ツ谷の伏せた時のまつ毛がいかに素晴らしいかを力説していたところを三ツ谷本人に後ろから話しかけられ、心臓がまろびでるところだった。どうやら聞かれていなかったようで命拾いをしたのだけど。それ以来、三ツ谷のいる日は話題を選ぶようになった。
そんなわけで、自然と千冬に話をすることが多くなったのだ。千冬だと三ツ谷が急にくる心配もなく、過度なお世話も焼かれることはない安心安全の松野千冬である。
「なまえさん、そこ立ってください」
「?」
「はい」
千冬に言われるがまま少し横にずれると携帯を向けられた。千冬の意図が分からず首を傾げながらぼんやりとその携帯を見ているとカシャッとシャッター音が鳴る。そして差し出された携帯画面に自分の間抜け顔の後ろに三ツ谷が映り込んでる。しかも満面の笑みで。
「千冬天才かよ!!」
「あざっす」
「おい千冬。こいつの相手あんましなくていいからな」
「場地さん!」
はしゃぐ私を見ながら場地が怪訝そうな顔でやってくると飼い主を見つけた忠犬のように千冬の目がキラキラと輝いた。
「いいの!千冬とはビジネスパートナーだから」
「何だそれ」
「秘密〜。場地、帰るなら後ろ乗っけてー」
「無理。俺は千冬乗っけて帰んだよ」
場地は自分の幼少期の写真や文集を千冬に横流しをされてることを知らない。こうみえて意外と照れ屋なのでバレるとまずいと誤魔化すように話題を変える。どうやら集会はお開きになったらしく、続々とバイクの方へ歩いていた。
「ふーん。じゃあ、千冬に運転してもらうから場地は歩いて帰りなよ」
「おい、じゃあもくそもねぇよ!何で俺が歩いて帰るんだボケ!」
「千冬早く乗ってー」
「なまえさん、マイキー君みたいな事言ってますよ」
「嘘だっ!?千冬が1人で歩いて帰らないように気遣ってんのに!」
「お前一人で帰れよ!まじで俺の愛車からとっとと降りろ」
場地の愛機に跨って持ち主ではなく千冬を呼ぶ。眉が吊り上がった場地をチラッと見上げた千冬の顔が引き攣っていた。いや私の言動にドン引いてるのかもしれない。喧嘩っ早い場地を好き好んでからかうなどマイキーか私ぐらいだと思う。さて、マイキーにでも後ろに乗っけてもらおうとバイクから降りると近くを通った三ツ谷と目があった気がした。
「みょうじ一人なら俺送ってこうか?」
「いやいいよ!三ツ谷逆方向だし!悪いし!」
「別に俺は構わないけど」
「ほんっと大丈夫!!帰り困ってたとかじゃなくて場地をからかって遊んでただけだから」
どうやら気のせいではなかったらしい。それどころかばっちり会話も聞かれていたようだ。困ってると勘違いした三ツ谷に送ると言われて全力で拒否する。前に一度、後ろに乗っけてもらった時は失恋したかとそれどころじゃなく放心状態だったからよかったものの、今の正常状態で三ツ谷と密着など途中で失神してバイクから落ちかねない。
「三ツ谷ぁ、こいつ送ってって」
「場地!?」
「おー、任せろ。バイク取ってくるわ」
からかったと言ったことが気に障ったらしい場地に首根っこ掴まれて三ツ谷に差し出される。ごめん、もうからかわないから!と必死に場地にアイコンタクトを送るがニヤッと笑われて離してくれる気はないらしい。終わった。
「千冬!千冬は私を見捨てないよね!?」
「俺、場地さんと帰るんで」
「千冬の裏切りものッッ」
三ツ谷が離れた隙に今度は千冬に助けを求めるが、ピシャリと言い返される。そうだ、こいつはあくまでビジネスパートナーだ。私より場地を優先するに決まっている。私はもう覚悟を決めるしかないらしい。
「千冬、私変じゃないよね?髪とか…」
「暗いからよく分かりませんよ」
「ちゃんと見てから言ってよ」
「大丈夫です。いつものなまえさんです」
「もういい。千冬がモテないのがよく分かった」
もう逃げられないのであれば、ちょっとでも可愛いと思ってほしくて身だしなみチェックをしてもらおうとするが、千冬はそんな女心が全く分かってないらしい。まじまじと私を見た後、親指を立ててニッと笑う千冬に深いため息を吐いた。
「はいはい。後ろ向け、髪直してやっから」
「場地〜ッ!」
「…よし、お前は可愛いから自信持って行ってこい」
場地が慣れた手つきで私のハーフアップにした髪を括り直してくれる。私の背中を押すようにそう言って笑った顔はさっきの意地悪な笑顔じゃなく純粋なものだった。その優しさにやっぱり私の親友は場地だけだと痛感する。
「ありがとう〜ッッ!!場地の窮地の時は私が背中守るからね!」
「それ俺の役目ですって」
「うるさい、ビジネスパートナーは黙ってろ」
「ええ〜…」
___
好きな人とバイクで二人乗りなんて女子の喜ぶドキドキシチュエーションのど真ん中だと思う。でも私にとっては許容量とっくに超えていて、新手の修行かと思った。三ツ谷の腰に回した腕から三ツ谷の体温が伝わってきて意識しないように、祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり…と今度の期末テストに出るであろう平家物語の冒頭をひたすら頭の中で暗唱していた。
「夜も暑くなってきたなー」
「だね、三ツ谷は特攻服だから余計に暑そう」
「確かに昼間は地獄だわ」
最近どもらずに話せるようになってきたとはいえ、信号待ちで振り返る三ツ谷との距離の近さに声がひっくり返らなかったのが奇跡だと思う。思ったよりも広い背中にもたれかからないよう、必要以上触れ合わないよう必死に距離を保つ。見慣れた近所の景色になって無事に家に辿り着けそうだとホッとした。
「ん、着いた」
「ありがと…あれ?ん?」
「貸して」
三ツ谷に借りたヘルメットを外そうとあごひものバックル部分を触るが中々外せない。一人ワタワタしてるとスッと三ツ谷の手が伸びて来ていとも簡単に外してしまう。ほんの僅かに触れ合った指先から全身に熱が広がっていく。
指先まで綺麗なんてもはや卑怯なんじゃないか。三ツ谷はそのままヘルメットを自分の首に引っ掛けると何事もなかったように私に薄く微笑んだ。それが余計に私を掻き乱すことを三ツ谷は知らない。私の心の中の悪態も私の恋心にも気づいていない。
「みょうじさ、最近よく喋ってくれるようになったよな」
「そうかな」
「前はちょっと嫌われてるかと思ってた」
「え」
「ハハ、冗談」
三ツ谷と女の子が一緒にいるのを見た時、何よりも自分の惨めさに嫌気がした。悔しいとか羨ましいとかそんなこと思えるほど好きになってもらう努力を何一つしてなかったから。ただ1人で好きだとはしゃいでただけ。一方的で独りよがりの恋と呼べるか分からないもの。
だからせめて成就しなくたって失恋したと胸張れるように頑張ってたわけだけど三ツ谷にはドラケンの件以外にもいろいろと誤解が生じていたらしい。
「その、実は三ツ谷に緊張するというか」
「俺に?何で」
「それは、…慣れてなくて」
「ん?」
「ちょ、三ツ谷近い」
ドラケンとの交際疑惑の時のように誤解を長引かせてはいけないと慌てて疑念を晴らそうとするが、その為には私が三ツ谷を好きだと言うことがバレてしまう。いや頑張ろうと思っていたけど私に告白はまだ早すぎる。どうやって誤魔化そうかと慌てて取り繕ってそう言うと、三ツ谷は何食わぬ顔で距離を詰めてくる。
「うん。わざと」
「!?」
「距離近い方が慣れるかなって」
「あ、荒療治すぎない?」
「だって場地から許可おりたし」
にっこり笑う三ツ谷はいつもの穏やかな微笑みには程遠くて、いたずらっ子のようなその表情は年相応の男の子だった。急に場地の名前が出てきて、ただでさえ三ツ谷の顔が目の前にあって頭がパンクしそうになるのに余計に訳が分からなくなる。頭の中で必死に場地に助けを求めるが少女漫画のように颯爽と助けに来てくれるわけもなく、私一人で乗り切るしかない。
「後輩に取られるのはおもしろくねーしさ」
「えっと何の話?」
「…ガツガツ来られんの嫌?」
「いや、え、待っ「何やってんの」
三ツ谷がまた一歩近づくので逃げるように後ろに下がるが、すぐにコンクリートの塀に背中がぶつかる。もう何が何だか分からない。これはもうとっとと白状という名の告白をして見逃してもらうしかないのでは?と思考回路がショート寸前のところでよく知る声が聞こえた。
「マイキィィィ!!!」
「え、何。三ツ谷に虐められてんの?」
「虐めてねーよ」
どうやら私は幼馴染に恵まれてるらしい。場地ではなくひょっこり現れたもう一人の幼馴染、マイキーの空気の読めなさに涙が出そうになった。助かった。幼い頃はマイキーと家が隣同士なことを呪ったこともあるが、そのことを感謝する日が来るなんて思っても見なかった。
「! もー三ツ谷、なまえは慣れてないんだからチューは早いって!」
閃いたとばかりにマイキーが変な勘違いをしていたがこの際どうでもいい。