「まいきぃー」
「あー?」
9月に入ってもなかなか夏休みボケが抜けない。携帯を触るも特にすることもなく、先ほどからソファに横になってごろごろしてるうちに時間だけが過ぎていく。
友達のホムペに日記が更新されていてコメントでもしようかなぁと寝返りを打つと、エマからメールが届いた。同じくL字になったソファのもう一つのコーナーで、私以上にぐでーっと伸び切ったマイキーに声をかける。
「エマ帰ってくんの遅くなるから2人でご飯食べといてだってー」
「おー」
「何食べよっかー」
エマに相談したいことがあってこうしてマイキーの部屋で待ってた訳だけど、どうやら遅くなるらしい。お互い間延びした声で話しながらも、どちらも立ち上がる気配はない。
お腹は空いているが、だらけ過ぎていて何か作るのも、食べに行くのも面倒になっているのだ。場地ならペヤングで済むから楽なのになぁと今頃補習を受けてるであろう、もう1人の幼馴染を思い出した。
「ケンちん呼んでファミレス行こ」
「えー、コンビニでいいよー」
「俺はオムライスじゃなきゃやだ!」
「じゃあ私待ってるから、帰りなんか買ってきてー」
どこでスイッチが入ったのムクリと上半身を起こしてにっこり笑うマイキーに、未だに動きたくない私はやんわりと反対する。しかし場地と違って、あれ食べたい!となったら聞かないマイキーにはこれ以上言っても無駄。早々と諦めて、見下ろすマイキーにゆるゆる手を振った。
「よし、三ツ谷も呼ぶか」
「!」
「なまえ何やってんの。おもしれー!」
もう一度携帯に目を戻した瞬間、とある名前を騙された私は動揺しすぎてソファから落っこちる。段差はあまりないので痛みはないが、大丈夫?の一言もなくゲラゲラ笑うマイキーを見上げながら、小さな殺意が湧いた。私が動揺することは絶対確信犯だ。弁慶の泣き所を狙って携帯投げつけてやろうかと思ってると、脇に手を入れられヒョイと軽々持ち上げられる。
「…マイキー嫌い」
「俺は好き〜」
「嬉しくない」
「うるせー。行くぞ」
強制的に立ち上がらされる。ジトっと睨みつけながら言ってみたが、話が通じてないのかニコニコと笑っている顔が余計に腹が立つ。そのまま腕を掴まれたので、これは私の意見なんて無視でファミレス連行コースだ。そもそも私に拒否権など端から存在しない。
「マイキー様になんでも話してみな」
「は?」
「エマに相談あるって言ってたじゃん。代わりにお兄ちゃんである俺が聞いてやる」
「え、いいよ。別に」
ファミレスで一通り注文をとると、機嫌良さそうに微笑む。この顔の時はろくなことがない。一見、頬杖ついてニコニコのご機嫌な顔も私にはいかにも怪しく見えて、すかさずその申し出を断る。
「あン?場地に出来て、俺に出来ねぇことなんてねぇんだよ」
ほら、やっぱりね。急に不機嫌そうに目のハイライトが消えた。怖いというより面倒くさいが私の率直な感想。この様子だと私の相談が目的ではなく場地に張り合ってるだけだ。普段は話してる途中で寝る癖に、仲間外れにすると急に怒り出す。本当に困った性格。
「…男の人ってどうしたらドキドキするか教えて」
「ンなの、押し倒せばいーじゃん」
「そんな物理的なこと聞いてない」
マイキーの前に「お待たせしました〜」とオムライスが運ばれてきた時、ようやく重い口を開いた。エマか場地にしようと思ってた相談。正直、猫の手も借りたい現状。聞くだけ聞いてみるかと尋ねてみたら、エマと同じような思考に呆れよりも仲良し兄妹だなぁと感嘆する。しかし、もうちょっとものを考えてから発言して欲しい。
「何?三ツ谷と上手くいってねぇの?」
「だって、私ばっかり三ツ谷のこと好きでいっぱいいっぱいになるし…」
「ほー」
「私も三ツ谷のこと、ギャフンと言わせたい!」
恥ずかしくて目を逸らすとか、緊張してうまく話せないなんて日常茶飯事。微笑みを浮かべながら名前で呼ばれるだけで頭の警報が鳴る。限界だと。何が一番恥ずかしいかと言うと、それを頭の回転が早い三ツ谷には全て見透かされている気がすることだ。
自分でも怖くなるくらい、その笑顔もその瞳全てがドキドキさせる。なのに三ツ谷はいつだってかっこよくって余裕で、一枚上手どころか百枚上手すぎて悔しい。そこが好きなんだけど。でも、私だって三ツ谷のことドキドキさせてやりたい。あわよくば照れた顔が見たいのだ。
「…仕方ない。佐野家に伝わる秘技を伝授してやろう」
「いや、普通のでいいから。普通にきゅんとしちゃうやつ教えて」
けれどマイキーの言ったことは、恋愛初心者の私には高度過ぎて出来ないようなものや、物理攻撃のみで役に立たないものばかりだった。もういいや。ドラケン呼ぶって言ってたし、ドラケンに聞こ。マイキーが協力しようとしてくれるだけでありがたい。それが役に立つかは置いといて。
「おー、こっちこっち」
「ドラケン遅かった、ね」
「…マイキー、なまえに俺が来るって言ってなかったな」
「さぷらーいず!」
ドラケンと思って振り返った先に三ツ谷がいてフリーズした。ニターっと笑うマイキーに今度こそ腹が立つ。テーブルの下で弁慶の泣き所を狙って蹴りを入れるが、分かりきっていたのかサッと避けられた。それを見ていた三ツ谷には「お前ら本当仲良いな」と笑われる。三ツ谷には兄妹喧嘩に見えるらしい。
自然に隣に座る三ツ谷が今日も見惚れてしまうくらいカッコいい。「ん?」と微笑む三ツ谷にこれが私の彼氏なんだもんな…としみじみ思う。ふと、先程までソファでごろついてたことを思い出した。寝癖!と気づいた時にはもう遅く、三ツ谷に笑いながら「寝癖ついてんぞ」と後頭部を撫でられる。三ツ谷に会う時はいつだって可愛い自分でいたいのに。穴があったら入りたい。
「じゃ、俺は気を利かせて帰るわ」
「一言余計なんだよ」
「ほんとは嬉しいくせに」
悔しいことにマイキーに核心をつかれる。そりゃあ好きな人にこうして会えたら嬉しいに決まってる。結局、外が薄暗くなるまで三ツ谷とファミレスで過ごした。
「なまえ」
「待って、ちょっと待って…!」
送ってもらう為に三ツ谷のバイクの後ろに跨る。何か言いたげな視線に、初デートの時に「ちゃんと捕まれ」と言われたことを思い出してカァっと顔に熱が集まる。遠慮がちに掴んでた服の裾から三ツ谷の腰へとおずおずと手を伸ばす。
「前も言ったよな?あん時と違って付き合ってんだから」
「うー、」
「ん、よく出来ました」
それでもバイクは走り出さない。ぎゅっと抱きつくようにくっつくと、三ツ谷はようやく満足そうに笑う。近すぎる距離に、恥ずかしくて恥ずかしくてエンジン音に紛れて叫び出したくなるくらい。私が三ツ谷をドキドキさせたいのに、いつだって三ツ谷のターンのまま。この様子だと付き合う前に乗せてもらった時、必死で距離を保ってたのバレてるなと思うと恥ずかしくて死にそうになる。
「送ってくれてありがと」
「おう」
前に外せなかったことがあるからか、私より先にヘルメットのバックルへと手を伸ばした。三ツ谷は私のことどんだけ不器用な人間と思ってるんだろうと少し心配になる。自分で外せると文句を言いたいが、伏せたまつ毛にときめかずにはいられない。
そういえば、マイキーの話の中で一つだけ普通に言えるのがあったな。友達とかと遊んでて言ったことがある言葉。試しに言ってみようかな。ヘルメットを自分の首に付け直す三ツ谷をチラッと覗き見る。
「三ツ谷」
「んー?」
「ま、まだ帰りたくない」
マイキーは抱きついて首に腕を巻きつけて言えと言ってたが、そんなの無理に決まっている。けれど、ちょっとくらい頑張らなきゃと思って三ツ谷の袖をぎゅっと握りしめた。これが私の最大限の奮闘。でも私を見下ろしたまま、ピクリとも動かなくなった三ツ谷に恥ずかし過ぎて泣きそうになってくる。
せめて何か言って欲しいと三ツ谷を見上げる。いつもの優しげな目元じゃなくて熱を帯びた三ツ谷の瞳が私の瞳を射抜く。何も言わずジリジリとにじみよる三ツ谷に思わず一歩、また一歩と後ろへ下がった。あと一歩下がろうとしたらコンクリートの塀に阻まれてこれ以上動けない。あれ前にもこんなことあったな?
「み、三ツ谷?」
「今の何」
「何って、今日はもっと三ツ谷といたいなって…」
「お前、ほんとに何なのもう…」
「??」
熱に浮かされたような瞳から目が離せなくなる。どうしていいかわかんなくて掴んでた袖から三ツ谷の手をぎゅっと握った。嘘は言ってない。本当にもうちょっと喋りたいなぁと思っていたし。困ったように笑った三ツ谷の顔が肩にのしかかる。何が何だか分からない。
「…バイバイすんの寂しくなった?」
「〜〜ッッ」
一呼吸おいてからゆっくりと離れた三ツ谷に髪をそっと耳にかけられる。その綺麗な指で髪だけじゃなく、じんわりと耳をなぞる。一気に体中に血が巡って頬が赤くなった。耳の先までまで真っ赤になった私に追い討ちをかけるように耳元で囁く。
「でも明日も学校だろ。またな、おやすみ」
今度は前髪をはらりと横に流すと、三ツ谷から出た音とは思えないくらいチュッと可愛いらしいリップ音がなる。え、今おでこ?おでこにチューされたの?慌てて三ツ谷から手を離して両手でオデコを抑える。勢いよすぎてペチンと情けない音が鳴るがそれどころではない。
「足りない?ここにもしてやろうか?」
「い、いらないッ!!おやすみッッ」
柔らかな微笑みを浮かべたまま、何食わぬ顔で今度は私の唇をなぞる。この人の色気はどこから来るんだろう。私の心臓は鷲づかまれたまま、握り潰されそうだ。三ツ谷をドキドキさせるどころか、あっさりと返り討ちにあった私はピューッと逃げるように自宅へと走った。その日は結局なかなか寝付けなくて、もう二度と柄じゃないことはしないと心に誓った。
一方、三ツ谷は___
なまえが玄関の扉に飛び込むのを見届けた後、力なく地面にしゃがみ込んだ。やばかった。これ以上2人でいたら、何するかわかんねぇ。てか帰せなくなるとこだった。
うるうると自分を見上げて「帰りたくない」なんて言ったなまえを思い出して一人頭を抱えて悶絶する。いやだってあれは反則だろ。あんなの言われて思春期真っ只中の男がよく耐え抜いたと自分を褒めてやりたい。
「みーつや!」
「お前かこの野郎」
座り込んだまま、見上げる先にはにんまりと笑うマイキーの顔。それはまるで新しいオモチャを見つけた時のようなそんな表情。先程のなまえのとんでもない殺し文句の経緯をなんとなく察してしまい、思わず悪態をつく。
「…余計なこと吹き込んだな」
「可愛かったろ」
「可愛すぎて抑え効かなくなるからやめろ」
「キャー!三ツ谷のエッチ!」
完全にからかいにきてるマイキーに「うるせぇ」と返しながら、本当はめちゃくちゃ嬉しくてドキドキしてしまったことを絶対に黙っておこうと思っていた。