竜胆は六本木のとある場所へと1人向かっていた。本当なら蘭も一緒に来るはずだったのだが、途中で急に足を止めたと思ったら「竜胆一人で行ってきて」とニッコリ笑った。それもあと少しで目的地に到着するにも関わらず。マイペースすぎる兄に「ちょっと兄ちゃん!?」と焦る竜胆の声は届かず、あっという間に人混みの中にいなくなってしまった。
一つ上の兄に振り回されるのはいつものこと。はぁ…と大きなため息を一つ吐き、仕方がないと歩を進めた。取り引き相手との待ち合わせのベンチにたどり着くと、口周りにはべったりと生クリームのついた子どもが1人。緊張感なく足をぶらつかせるそいつに気づいた竜胆は、蘭がフラッと消えた時よりも心底嫌そうに顔を歪めた。
「お、りんりんだ。げんきー?」
「げ、オマエなんで六本木にいんだよ」
「ここに買収されたー」
「あいつ…!」
そう、本当ならこの待ち合わせ場所には取引相手の九井がいるはず。けれどベンチに座っているのは九井ではなく、何も分かってなさそうなアホ面したなまえだけ。東卍では総長の妹としてなんだかんだで可愛がられているが、それに属してない竜胆からしたら只々生意気なクソガキでしかない。
それにしても九井のやつ、なまえをお使い代わりに使うなんて。この間、竜胆と蘭の2人でからかった腹いせだろうか。蘭はなまえのことを面白がっているが、竜胆はどちらかと言うと苦手の部類に入る。むしろ行動がよめず、兄の様な自己中さを待ち合わせてるなまえは天敵に近いと言ってもいい。九井はそれを知ってる上でなまえに頼んだと気づいた竜胆はさらに眉間に皺を寄せた。
「あれー?プチがいんじゃん」
「らんらん!」
「九井にパシられてんの?」
「ぱしりじゃない!こことはいぬぴー同盟を結んでるもん」
いなくなったはずの蘭がひょっこりと顔を出した。途中で消えたことへの謝罪もなく、面白いものを見つけたとばかりに機嫌良さそうに笑う。竜胆と違い、まだ小さいなまえをプチと愛称をつけるほど気に入っているのだ。どうやら自己中同士で気が合うらしい。
「どうせ食い物に釣られたんだろ。さっき自分でも買収つってたし」
「りんりんうるさい!」
「おいコラ、蹴んじゃねぇ」
「竜胆めっちゃ舐められてんじゃん」
「兄ちゃんが笑うからコイツ調子に乗るんだろ!」
実際はイチゴもバナナも入ったその店の1番高いクレープに釣られて訳だが、蘭にパシリと言われるとなんだか認めたくない。かっこよくて使ってみた買収という言葉を竜胆に告げ口されたなまえは反論ではなく、実力行使で黙らそうと蹴りを入れた。大きなダメージはないが、ちょうど竜胆の膝裏にあたり膝カックンされた時のように体勢を少し崩す。それを一部始終見ていた蘭はケラケラと笑った。
「…なんだよ?」
「りんりんメガネかしてー」
「いやだ」
「貸してやりゃあ良いじゃん」
「こいつ、メガネを壊すオモチャがなんかと思ってんだって」
またも盛大なため息を吐きながら眼鏡の位置をなおす。まんまるの大きな黒目がジィーッと竜胆を見つめていた。怪訝な面持ちで尋ねると、にっこり笑うなまえ。その瞬間、竜胆ら嫌な予感がよぎる。いや、予感ではない。実体験だ。眼鏡を貸して壊されたのは1回や2回の話ではない。踏む・折る・車に轢かれるなどなど、様々な方法によって原型を留めていない物が竜胆の元へと返ってくるのだ。
「ふーん。はい、なまえやるよ」
「おい、兄ちゃん」
「うひょーい」
嫌がる竜胆がなまえから距離を取ると、蘭が横からスッと眼鏡を奪ってなまえに渡した。蘭にとっては眼鏡が壊れようが関係ない。それよりもなまえに対してはムキになって怒る方が見ていて面白いのだ。
「その持ち方やめろ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ!…あ、」
竜胆の注意も虚しく、カウボーイの縄の様に振り回していた遊ばれる眼鏡。なまえの持っていた耳にかける部分から本体がブチッと外れると放物線を描いて落ちていった。
「はい、りんりん返すね」
それを拾うと、リュックから取り出したのはキラキラ光る星のシール。無理矢理貼り付けて固定すると何事もなかった様にニパーッと竜胆に笑いかけた。誤魔化す気もない潔いその態度に、竜胆は怒りやら何やらでワナワナと震える。その横で蘭はカリスマらしくなく、ヒーヒーと腹を抱えて笑っていた。
「オマエ、俺のメガネになんの恨みあんだよ」
「なまえメガネきらいなの」
「はぁ?」
「だってね、メガネのせいでばじが…」
よっぽど嫌なことがあったらしく、苦虫を噛み潰したような顔でなまえはそう告げた。眼鏡をしたら賢くなると信じた場地がビン底眼鏡のようなダサい伊達眼鏡姿を見た時のなまえの拒否反応といったら。場地以外の東卍メンバーは爆笑したエピソードであるが、その件は六本木界隈で活動する灰谷兄弟は知るよしもない。竜胆と蘭は顔を見合わせて首を傾げた。
「だから、りんりんもメガネない方がおとこまえだよ!」
「それとこれは別だバカ」
「メガネない方が、かりそめっぽいよ!」
「カリスマつってんだろ。いい加減覚えろ」
「あ!はるちょが教えてくれた歌、りんりんに歌ったげる」
「歌うな。騒ぐな。つーか、ついてくんな」
鬱陶しいだの生意気だのなまえのことを散々文句言ってる割に無視することはない。怒りながらも律儀に返答する姿に素直になればいいのにと蘭は思う。そんな兄の心情には気づかない末っ子たち。蘭だけでなく、天竺メンバーから末っ子ズとひとまとめにされてることも今後も気づくことはないだろう。
「りーんりん、らーんらん、そーせーじー♪」
「聞いちゃいねぇ」
「ソーセージ食べたくなる歌なんだって!」
「いや、アニメの歌な」
「ほんとにソーセージ食べたくなってきちゃった…」
「さっき九井に食い物もらったんだろ」
「ソーセージば別腹!」
「普通逆だろ」
先日、春千夜に教えてもらった某アニメの主題歌をソーセージの歌だと機嫌よく歌うなまえ。しれっと蘭と竜胆の間を陣取り、ついてくる気満々だった。末っ子ズの軽快なやりとりに耳を傾けていただけの蘭が閃いたようにようやく口を開く。
「今夜は寿司、だな」
「今の話の流れで…?」
「ぎろっぽんのしーすー!?」
神妙な顔つきはカリスマ兄弟に相応しい。しかしその整った口から発せられたのは今夜の夕食の話だった。
「いや、ザギンでシースー。プチも連れてってやる」
「きゃ!!」
「兄ちゃん!?こいつ絶対味とか分かんねぇって」
「プチも回らない寿司行きたいよなー?」
「たまご!うなぎ!大トローッ!」
蘭がなまえの両脇に手を入れて抱き上げる。寿司に連れてってもらえることに大喜びで、先程まで脳内を占めていたソーセージはどこにもいなかった。横から竜胆が嫌そうに口を挟む。この煩いのやな食事にまでついて来られるなんて溜まったもんじゃない。蘭に聞かれたなまえは返事の代わりの元気よく寿司ネタを答えていた。