疲れた時の特効薬

5月半ば、一学期最初の難関である中間テストが稲荷崎高校を襲う。バレー部の主将北のように毎日、予習復習に費やし、完璧な状態でテストに臨む生徒は少ない。ましてバレー部以外にも部活動に力を入れて強豪が集っている稲荷崎では少数派だろう。

ようやく中間テスト3日目が終了し、試合終わりの比ではないくらい侑も治もぐったりとしている。侑の方はテストの結果は気にも留めないようだが、連日のテストにより授業全てひたすら同じ体勢で椅子に座り続けたのがこたえたようだ。しかも普段の行いからか教師に目をつけられ、早々にテストを放棄して居眠ることも出来なかったせいもある。

「早よ帰んで。こんな日こそなまえに癒してもらうねん」

「せやな、なまえのマイナスイオン浴びたいわ。あ、アランくんも来ます?」

「お前ら、なまえはパワースポットか!」

「アランくん、なまえはパワースポットでもあり、セラピストでもあるんですよ」

「名付けてなまえセラピー!」

「動物セラピーみたいに言うな…」

念願の金曜日がやってきた稲荷崎生達は皆、束の間の休息に喜んでいた。宮兄弟も例に漏れず、部活動がないことは残念であるが、ひとまず今日はテスト勉強に追われなくて済むことに喜びを覚える。

そして幸運なことに癒し効果絶大のなまえがやってくる日でもある。今日のような精神的に疲れた日にこそ、なまえの可愛さは身に染みるのだ。

部活もないのに部室に寄って騒ぐだけ騒ぎ、尾白のツッコミに満足したスッキリした顔で2人はそそくさと帰路についた。尾白の方は余計にぐったりしていたのだが。

「なまえ!今日のテスト頑張って来たで〜。褒めてくれてええで〜」

「お前、どうせ寝とったやろ」

「今回は起きとったし!」

「まぁ、どっちにしろ結果は同じやろけどな」

「うぐぬ…!!」

一枚上手の治が侑を言い負かしていると、なまえがリビングから2人のいる玄関にやってくる。小脇には食べていただろうお菓子を抱えて、てってけてーと元気よくかけてくる姿に、侑も治も脳が疲れ切っているのか後光がさして見えた。

今日は絶対に仕事を早く終わらせて迎えに来ると連絡をくれていたなまえの父親が「仕事で徹夜明けの身体には、なまえ以上に効く薬はないで」と話してたことはこのことかと実感する。命を預かる仕事と自分達の数時間の勉強を同じ天秤で測るのは失礼かもしれないが、なまえが可愛いことには違いはない。

「おかえり!テストおつかれさま!」

「なまえ〜」

「はい、つぎは治くんもぎゅー」

両手を広げていた侑にひしっと抱きつく。侑がなまえの首元に頭をグリグリと押し付ければ、くすぐったそうに声を上げて笑った。それを羨ましそうに見てた治に気づいたのか、侑の腕をスルリと抜け出すと侑みたいに小さな両手を広げる。むぎゅーとなまえなりに力いっぱい抱きしめてるつもりだろうが、先程のなまえのように治はくすぐったくこしょばかった。

「おやつ食べとったん?」

「うん!きつねさん2こでたから侑くんと治くんにあげるねん」

なまえの手にもってるビスケットの箱、たべっ子どうぶつ。なまえの最近のお気に入りのお菓子である。

「侑くんそれはねこさん!きつねさんはこれ」

「一緒やん。何がちゃうか分からんわ」

「あ!治くん、くじゃくのたべた」

「たわしやないんか。ほんまどう違うか分からんで」

「ちゃんとかいてあるもん!」

正直、シルエットだけみてもなんの動物かわからない。ビスケットに小さく印字されたローマ字を読んで「これはミミズクでこっちが牛さん」と次々と動物を言っていくなまえに俺らより英語堪能やん…と月曜日の英語のテストに焦燥の念にかられたが、30分もすれば焦りもすっかり忘れてなまえと遊び呆けていた。

___

「治君、遅なってごめんなぁ」

「いえ、お疲れ様です。今侑と片付けしとるからすぐ来ると思いますけど、上がります?」

「いや、ここでええよ。ありがとうな」

夕日が沈み始めた頃チャイムが鳴り、治が玄関を開けると申し訳なさそうに眉を下げたなまえの父親が立っていた。残業で疲れてるはずなのにどっからみても所謂イケメンというやつで一見、娘がいるように見えない見た目をしている。まぁ実際、中身はただの娘を溺愛するコテコテの関西人である。

「ハンバーグ作ってもらうって楽しみにしとりましたよ」

「はは、あんま一緒にいてやれんからなぁ。親孝行ならぬ、娘孝行しとかな忘れられてしまうわ」

「パパー!」

勢いよく走ってくるなまえではなく、侑とその侑に抱かれたなまえ。そんなんするから落っことすんやろがいと内心悪態をつく。当の本人は「侑くん早い〜」と喜んでるので直接文句が言えないので腹正しい。

「なまえ帰ろか」

「今日はハンバーグ作ってなぁ」

「よっしゃ!まかせとき〜。」

「あとなぁ、プリンも食べたいねん!」

「プリンも作れたら、パパのこともっと好きになるんちゃうか??」

愛娘にとっての1番は父親の自分ではなく目の前にいる従兄妹の双子である。「パパは2ばんやのー!」とにっこにこの笑顔で言われた日は食事も喉を通らず、1人ベットで枕を濡らしたが、仕事でどうしても遊ぶ時間の少ない父よりも、こうして遊んでくれることが多い従兄妹たちがなまえの不動の1位として君臨しているのが現状だ。少し寂しいが、仕方のないことだと、はやめの娘離れのデモンストレーションと思うことにしていた。それでもこうして隙あらば、返り咲くことをを狙っている。

「んーん。パパは3ばんめ」

「ん?侑君と治君どっちが1番か決めたんか」

小学生に入ったばかりなまえのは同率1位の場合2位がなく、3位になるルールなんてわかってないはず。とうとうこの双子のどっちが好きか決めたのだろうと踏んで聞き返すと思いもよらない答えが返ってきた。

「ちがうよー。1ばんは信介くんでなー」

「だれやそいつ」

「2ばんが侑くんと治くんで、3ばんがぱぱやねん。」

初めて聞く名前に食い気味に質問するが愛娘のなまえは全くわかっておらずにこにこと小さな指を数えながら順位発表をしていく。

「しんすけ君って誰かなぁ〜パパの知ってるお友達かなぁ〜」

「信介くんはなまえの王子さまでな…すきな人やねん」

「…」

今まで父親なのに2番手として甘んじてたのはこの双子が恋愛対象ではなく、お兄ちゃん枠としていたからである。もじもじと頬を赤くして完全恋する顔の愛娘は可愛い。それはもう世界で1番と言っていいほど。だが、誰かも知らないガキンチョにうちのなまえはまだやれない。しかし、反論しようにも衝撃がすごすぎて思うように言葉でない。それを見かねた治が口を開く。

「あの、その信介君てうちの主将です。心配せんでもええかと」

「恋する乙女みたいな顔しとったで」

「うちの大将、絵本の王子様と髪色が同じやからそれで気にしとるだけとちゃいます」

「ほ、ほんま?ならええんやけど」

流石の侑も空気を読んで話を合わせる。今この場所には、叔父の面倒を見てくれる叔母がいない。これ以上刺激をするとなまえを溺愛する叔父が卒倒する可能性が大いにあると簡単に想像できてしまった侑と治は、なまえが自分達の主将に初恋を抱いているは黙っておくことにした。


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