ごめんなさい、が言えなくて
天爛×詩羽

突如として流れ込んでくる、痛みと苦しみの奔流。
詩羽は、ずっとこれに耐えてきたのかーー。

それは、俺が、無力さを実感した瞬間だった。

☆ごめんなさいが言えなくて

詩羽が俺に助けを求めてきた。
多分、一年前の俺なら気付かなかっただろう。
けれど、また明日、の後に続いたのは、いつも通りの、幸せな未来を予測する表情ではなかった。

俺の家から帰ろうとした詩羽が一瞬見せた、苦しげな表情。
髪に隠されて、半分も見えなかったけれど、その表情は、確実に俺の心を抉っていった。

今の俺なら分かる。
詩羽は助けを求めている。

「天爛……っ」

お願い、助けて、と、その瞳が訴える。
それなのに、痛む心を押し隠して、浴衣を翻して帰路に着こうとする詩羽の腕を、俺は反射的に掴んだ。
振り返った詩羽の瞳からは、
ほろりと、涙がこぼれた。

「どうした、詩羽」

けれど、その内心と乖離しているのだろう、詩羽の理性が、俺に素直になることを拒否している。

「どうも、しない」

その一言が、俺を拒否しているようで、激しく心を痛めつけていく。

「……大丈夫だから」
「嘘ばっかり」

掴んだ腕を引き寄せて、俺は詩羽を抱き込んだ。

「無理するな。俺はここにいるし、詩羽を置いてどこかに行ったりしない」
「天爛……。」

詩羽の頭を撫でてやれば、何かが決壊したように、ぽろぽろととめどなく涙を流し始めた。

「……私、怖くてっ」

涙と同じ。
言葉も、決壊してしまえば、後は吐き出すだけで。

「うん」
「天爛と、一緒にいたらダメなのに、私、一緒にいてっ」

俺の服を必死に掴んで訴える詩羽を、俺はぎゅっと抱きしめる。

「でも、私天爛が好きで、本当に、好きでっ」

この後我に返って、恐怖にうち震えるであろう詩羽が、逃れられないように。

「でも、そのせいで天爛を傷つけたらって、」

いつもいつも、そうだ。
ここまで辿り着くまで、長かった。

「怖かったから気をつけてたのに、」

最初の頃は、詩羽は全く心を開いてくれなくて。

「私、いつも、迷惑ばかりかけてて」

それでも、ここまで来た。

「このまま、帰ったら、私のせいで、天爛が、いなくなっちゃうかもしれないって、思って」

絶対、離さない。
詩羽のことは、俺が守る。

「そんなの、嫌だから、天爛が死ぬなんて嫌だから、だから、私、」

しゃくりあげる詩羽の背中を、ぽんぽん、とさする。

「ご、ご……ごめん、なさ……っ!!」

ごめんなさいが言えない君に、精一杯の優しさを。
ぎゅう、と引かれる服に呼応するように、
ぎゅう、と俺は詩羽を丸ごと抱きしめる。

「ふぇ……ぇっ……!!」

俺の部屋に差し込んでいた真夏の太陽光は、優しい西日に変わっていた。



ひとしきり泣くと、詩羽は少し落ち着いたようだった。

「……ぁ……」

我に返って、俺のことをぐいぐいと引きはがそうとする。

「ごっ、ごめん、天爛っ。私、帰るって言ったのに、ごめ、」

そんなの分かりきっていたことだから、俺は詩羽を抱き込んで、もがく詩羽を自分の腕に閉じこめる。

「て、天爛っ、」
「なぁ、詩羽」

さぁ、これからは、俺のターンだ。

「どうしてここまで、我慢したんだ?」



「いつも言ってるよな、何かあったら言えって」

我に返った私を待っていたのは、裏表のない、まっすぐな天爛の言葉だった。

「……ぅ、ん」
「苦しくなったら素直に俺の所に来いって」
「……ぅ、」

まっすぐだからこそ、その言葉はじん、と私の心に染みて、悲しみと後悔を呼び起こしていく。

「なのに、こんな辛くなるまで我慢して」
「……ごめんなさい……」

私がつい俯くと、

「怒ってるんじゃないよ」
「でも、天爛……」

天爛は、私を抱きしめている手に、もう一度力を込めた。

「詩羽が辛そうにしてるのは、俺も辛い」
「……どうして、分かったの」
「俺が、詩羽の彼氏だから」

こともなげに言い放った天爛の言葉に、もう一度、私は涙を零した。



「……綺麗、だね」
「何が?」
「ほら、星」

星降る夜空の下を、手を繋いで歩く。

「少しはすっきりした?」

天爛に尋ねられて、少し、申し訳ない気持ちになって、胸が苦しくなって。
それを押し隠すように、答える。

「うん」

肯定の言葉を返したはずなのに、天爛は立ち止まって、私をじっと見つめてきた。

「……天爛?」
「嘘は良くないぞ」
「……ぁ……」

言葉を失った私に、天爛は触れた。
そのまま顎を掬われ、そっとキスをされる。

「……詩羽」
「……ずっと、分からなかったの」
「どういうことだ?」
「天爛が、私のこと、好き、なのか」
「……。」

天爛がざっくり傷ついたような顔をして、私は戸惑ってしまう。
どうして。
どうして、貴方は、そんな表情をするの。



手を繋いでも、キスをしても、
この少女には、まだ届かない。

繰り返し突きつけられるその現実に、俺はもう一度締めつけられるような苦しみを感じた。

「好きなのか、っていうか、上手く言えないんだけど。私は、天爛に釣り合わないから……天爛が、私のこと、迷惑だと思ってるのかな、とか。思ってなくても、私がいることで、天爛の可能性を狭めるようなことがあったらって、怖くて。」
「そんなことないのに。」
「でも、悩んでる間に、弥代は、天爛を殺そうとしたから……。」
「でも、それは詩羽じゃない」
「そう、だけど」

ぐるぐると悩む詩羽は、とても苦しそうで。

「詩羽、いいか」

だからいつも、どうしても助けたいと、思う。
俺が詩羽に告白されてから、詩羽を好きになるまでに、時間なんてかからなかった。
それは庇護の念でもなく、嫉妬の念でもない。
ただ、真っ直ぐ未来を見つめて歩く詩羽が、愛おしいと思ったんだ。
そんな簡単なことすら、純粋で鈍感なこの少女は知らない。

何も分かっちゃいない。

「俺は、詩羽に生きていて欲しいと思ってる。」
「弥代には、生も心も無いのに……?」
「詩羽にはあるだろ。……俺を、詩羽の生きる理由にして欲しい」
「……てん、ら……。」

詩羽が、きゅ、と、俺の服の裾を掴む。

「……天爛、ありがとう」
「ん」

それが、俺が初めて詩羽の痛みを知った日だった。
ーーそして、詩羽が唐突に俺の前から消えるまで、あとひと月。


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