※大学生パロ ピアスを開けました。惰性で付き合ったお陰でドロドロの泥沼化して別れた元カレが、嫌いだと言っていたので。もういいよね、と思って。穴が安定した頃に、金色の、花の形のピアスを買いました。これで。 これでもう。 あの人には似合わないと言われたけれど髪も伸ばしています。美容師志望の友達が、夏場なのに暑苦しい、と言って下ろしっぱなしにしている髪をきれいにまとめてくれるので助かっています。 「似合うじゃねェの」 「でしょ」 隣に座った彼が無表情に呟いたので。耳のピアスを似合うと褒められたのだと気付いた私は少し嬉しくなって無駄に笑顔を振りまいてしまって。 だって髪が短い方が可愛いよなんて言われた次の瞬間にだって長いの似合わないもんねと言われて、このアクセサリーが可愛いと言ったら肌が白いから金色は似合わないよと言われて、それからピアスを開ける女の子だけはどうしてもむり、と言われたら、私は好きなものを好きと、したいことをしたいと言ってはいけないんじゃないかと思ってしまった。そんなのは愚昧な思い込みだと思い直す心の余裕がなくて。 「……別れたんだってな」 「うん」 元親はつまらなそうな顔で机上に頬杖をついてこっちを見て、ふーん、と鼻を鳴らした。 「別れる前、次を見つけてから別れるとか言ってたろ。見つかったのかよ」 「全然。でもほら、よくないものに憑りつかれてるみたいな感じだったから、少しでも早くと思って」 「憑りつかれるってなァ…元カレ、悪霊じゃあるまいしよ。薄情な女」 「別に元カレにってわけじゃないよ」 じゃあなんだよ、と言いたそうに怪訝な顔をした元親は、その前にふと口を閉じた。始業から10分遅れで教室に入ってきた教授が私たちの横を足音高く通り過ぎたからだ。元親はとたんに出てきたあくびをかみ殺しもせずに大口を開けてから、ルーズリーフやらペンケースやらを取り出した。無骨な、でも白い指にシンプルなシルバーリングがはまっている。人差し指。Tシャツの袖から露出する白くて筋肉質な腕。横顔。高い鼻梁と眼帯に隠れた左目。彼の左目側に座っている私が彼をじっと観察していることに、元親は気付いていない。 憑りつかれていたのです。もしかしたら今も。元カレにじゃなくて、繰り返しくりかえし、私の自尊心を削ってきた彼の言葉に。頭も手際も要領も察しも悪くておまけにかわいげもない。そうやって刷り込まれてきたのです。直接的にじゃなくてもっと婉曲に。やさしげに。……でももう、これで。 「名前」 「ん?」 「今日、この後メシ行こうぜ」 「いいよ」 「リア充爆発した祝いにな」 「さいてい」 これでもうあのひとの好きな私はいなくなった。 ・ : ・ ★ 「何食うか」 「焼肉」 「バカ言え」 「じゃあお好み焼き」 「じゃあそれな」 元親が奢ってくれると言うのでそれに甘えて、大学近くにある食べ放題がやたら安いお好み焼き屋に行くことにした。ふたりでだらだら歩いている内に、私たちは友達になったばかりの頃と少しも変わったことをしていないことに気付いた。店ののれんをくぐって案内された席に着いて、鉄板を挟んでメニューを広げてさらに思い出す。大学に入ったばかりで、仲良くなったばかりの頃に話が弾んだその弾みで、この店のあの窓際の席に向かい合って座って一瞬我に返ったような沈黙に気まずくなったりしたのだ。あのときには既に、件の元カレと付き合っていた私の、当時は幸せなのろけ話なんかを元親に聞かせて。 それが今はリア充爆発祝いとは。 細く煙を上げ始めた鉄板に元親がかき混ぜた豚玉をぶちまけた。ジュウ、と音が立つと少ししていい匂いがし始める。けぶる向こう側の元親が、さらに運ばれてきたミックス玉をかき混ぜている。私はヘラで豚玉の端をつつきながら、片手で耳たぶに触った。体温でぬるくなった花のピアスはしっかりとそこに刺さっていた。 私が耳を気にするそぶりを見せたので、目ざとい元親がミックスの皿をひっくり返してから口を開いた。 「ピアス、怖ェから開けないんじゃなかったのか」 「案外痛くなかったよ」 耳たぶに穴が開く瞬間は、本当にそう聞こえたのかただの体感としてそうだったのか、ぶつりと音がしたような気がした。でもおそろしかったのは一瞬で、両耳に穴がひとつずつ増えた斬新な感覚に驚いてしまってそれどころではなかった。 「あ、ソーセージ」 「焼くか」 無愛想な店員がテーブルに置いていった皿を適当にひっくり返す。鉄板の上にごろごろと転がる豚の腸詰を、あまりのぞんざいさに呆れた元親が苦笑混じりにすかさず、ヘラで端の方へ追いやった。 「酒来ないな」 「ね」 あの頃は酒も飲める年じゃなくて、時々ふっと空く話の合間にどうしたらいいか分からなくなった。あれから少し年を取って、耳に穴の増えた私は、友達になりたての頃よりさらによく笑うようになった元親と、相変わらずこうしている。どうということのない、とりとめのない会話が始まって途切れ、また始まる。 酒が来た。元親と私はグラスをがちりとぶつけ合って、度数の低いサワーを喉に入れた。 「あんな野郎は忘れて、とっとと次行けや」 私がそうする、と言うと、元親はしかめつらしく眉を寄せて、口元だけで笑った。なんとなく、いつかの窓際の席に目をやってから、私は頃合いに焼けたお好み焼きにヘラを差し込んだ。 「あ、終電ない」 「じゃあ泊まってけ」 ごちそうさま、今日はありがとう、と言った舌の根も乾かない内に私はさらに彼の厄介になることとなった。元親は先に立って、私ですら慣れ親しんでいる彼の一人暮らしのアパートに足を向けた。途中のコンビニを横目に見て、元親が少しだけためらったように、飲み直すか、と言った。私はこの友人のためらいの理由がわからないまま、別にいいよとそれを断った。 きっと今日みたいに、こんな風に毎日小さな、色んなことが折り重なってきっと、彼のことを思い出さなくなる日が来る。何にでも彼との関連を見つけて、これが未練だろうかと苦い気持ちになることもきっとなくなる。そうでなければいけない。 そんなに久しぶりでもない元親の部屋の玄関先で、パンプスを脱ぐためにしゃがみ込む。元親はさっさと中に入って行ってエアコンをつけると、電子レンジの上に置きっぱなしのケトルを取り上げた。なんか飲むだろ、と彼が言う。私はうつむいて、自分の足の甲とパンプスの細いベルトと、玄関の白いタイルを見つめていた。元親の部屋はいつも、真新しい紙のようなにおいがするな、と考えていた。 「コーヒーでいいか」 「うん、ありがとう」 上がり込んでから、靴下脱いでもいい、と私が聞くと、元親は横顔で笑って、好きにしろよ、と言った。いつもそんなこと聞かねーだろ、とも。確かにそうだ。まだ、酒で頭がふわふわしている。パンプスインの踵を引っ張って脱いだ。マグカップを持って振り返った元親と目が合う。 「ほらよ」 「ありがとう」 元親の長身を相手にすると、女の中では大きい方に入る私でも彼を見上げなければいけない。エアコンの風が頬にあたる。受け取ったマグカップがあたたかい。元親が右目でじっと私の顔を見ている。酒が頭の中をかき混ぜているせいか、なんだか、その目がひときわ熱心にくちびるを見ているような気がして、何か言おうと迷って、何も決まらない内に私は口を開いた。 「あのさ」 何か、ちゃかすようなことでいい。何か言わなきゃ。私が焦っていることに気付いた元親が、口元で笑っている。 「お前の気のせいじゃあねェよ」 元親がひょいと高い背を屈めた。誰かとキスするなんてすごく久しぶりで呆然としてしまう。かすめとっていくだけかと思ったくちびるが角度を変える。くちびるがくちびるに湿り気を分けて、中までは入ってこない多少遠慮がちな舌が、これくらい許せとばかりにくちびるの上をなぞった。 そんなそぶりはひとつもなかったのに。顔を離した元親は、言葉もない私の顔を見ると、自分のうなじの辺りを撫でて決まり悪そうに「わりィな」とうなった。一口も飲んでいないコーヒーが没収されてキッチン台に置かれた。私の顔を全部掴めてしまいそうに大きな白い手が片方、私の頬をそっと包んだ。 「酔ってるんでしょ」 私の声はふわふわしていて迫力に欠けていて、元親はなんだか困ったように笑った。 「……酔ってる」 「ばかじゃないの」 「ひでぇの」 「友達相手に、節操なし」 「そうかもな」 元親の指先がピアスにさわった。 「でも、ただの友達だと思ってんのは、お前だけだぜ」 元親の手が顔を離れた。元親は何もなかったみたいに伸びをして、シャワー使うか、と聞いた。 インスタントコーヒーのかおり。エアコンの音。元親のベッド。シーツの上の煙草のパッケージ。スマホのランプが光ってる。見慣れた友達の部屋。 「元親」 「あン?」 言ったら、彼は軽蔑するだろうか。彼氏と別れたばかりで、今になって彼の気持ちを知ったばかりで、しかも酔っていて、こんなことを言ったら。 「もう一回、して」 ためらいながらも、目の前の肉を吟味するような目つきをして元親が私を見た。真意を探っているみたいに。……きっともうどうなったって後悔するだろう。でも言ってしまったから、サワーかなにかの甘い香りに元親が顔をしかめるのを笑うしかない。 ×
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