※OF THE END 彼と私とは互いにひとつも本気ではなかった。硬派の彼はきっと何とも思っていない女を抱くほど暇はしていないと言うだろうが、しかし本気ではなかった。彼がキャバ嬢と親しくなって、同伴して店に戻ってそのアフターでホテルに行くのと同じようなもので、私も状況の行きがかり上で出会った女のひとりにすぎないのだ。 だから。 「…寝たんか」 「抱いたんでしょう?」 彼とは、不安や焦りを分け合って抱き合ったにすぎなかった。 彼女に興味を持ち、惹かれ、自分のものにしてしまったこの人とは違う。 神室町がこのまま壊滅してしまったらどうしようだとか、このまま職を失ってしまったらだとかを考えていれば不安になるのも当然のことで、その上に友人は実験体にされてこの手でとどめを刺さざるを得なくなった。 手を貸してくれたのも叱咤や激励を飛ばしてくれたのも、感傷を慰撫してくれたのですら郷田さんだった。彼は自分に責任の一端があるからと言ったし、彼自身、元凶になった男への苛立ちや焦りがあったのだろう。そこに私への同情が生まれるのは何らおかしなことではないとも思う。 「意趣返しのつもりかいな。かあいらしい嫉妬やなあ、名前」 スーツのジャケットをソファの背に放り投げる。私の方をじろっと睨んだ真島さんが、口元だけでにやりと笑う。深く刻まれた眉間の皺を私も睨み返した。 神室町ヒルズにはもう生きた人は私たち以外にはいなかった。スーパーの内装とは不釣り合いにどっしりと構える一人掛けのソファは、窓側に背を向けて置かれている。どさりと乱暴にそこへ腰を下ろし、行儀悪く床に座って商品棚にもたれている真島さんを見下ろす。私は顎を上げ、胸を張った。ワイシャツの布地を押し上げ、ボタンを弾きそうな私の胸を真島さんが笑い飛ばす。 「なんや、そのでっかいおっぱい使うたんかい。今さらわしにそないなもん通用せえへんで」 二階のこの一帯だけをきれいに掃除し終えた私と真島さんは、乾パンをかじりながらのんきに男女の修羅場を演じているのだ。キャバ嬢と寝ただの、郷田龍司と行動を共にしただのと、心の狭いことを互いにつらつらとあげつらって、人生の終末みたいなこの時間を無駄に過ごしている。 「ねえ真島さん」 「あん?」 「やっぱり若い女がいいに決まっていますもんね?」 私が笑うと、真島さんはふらっと立ち上がった。乾パンの入った大きな缶のふたを閉め、床に置く。そのゆっくりとした動作を目で追う内、彼が私の質問の裏に気付いているように思えてきて、うかつに悲鳴を上げないように口元に手を当てた。高い背を屈めた彼が、傾いだ首で私を見下ろしている。 「いつまでわしにあの男を重ねよんのや、お前は」 「そう聞こえましたか?」 若い愛人だった自分を、男の身勝手のせいにして正当化し擁護したい、その気持ちと同時に、老いた自分を捨てようとしている男に、昔の男を重ねている。あの人はきっと今生きていたとしたって、本妻に叱られなくたって私が若くなくなればどうせ私を見限ったろう。 自分が昔したことへの報いだ。若くて可愛い、それだけが取り柄の愛人。そういう女が男の心を引くと知っているし、まさしく私はそうだった。年を取って愛してくれる人が少なくなっていく。惨めさを餌に同情を買うことはできてもそれだけだ。 真島さんはうんざりしたようにハア、とひとつため息をつくと、説得するような口ぶりで言った。 「お前は手放したらんで」 無意識に身動ぎをしたのをごまかそうと、私は顎を引く。縫い合わすようにつぐんだ唇がふるえているのが自分でも分かった。 真島さんが私をいらないと言うまでは、自分は彼のものだと信じて疑わないこの愚鈍が、私をなおさら救いがたいばかにしている。 そんなことは分かっているし勝手な言い分であるのも分かっているけれど、それでもせめて、真島さんの時間がなくなるまで、私は真島さんの女でいたいのだ。 ─まだ取って代わられたくない。このひとが私の知る真島さんでなくなったりしない限り私はそうやっていつまでも執念深くすがるだろう。間違いなく。 鼻先がふれた。私が顔をしかめているのを覗き込んで、不意に噴き出した真島さんの息がかかる。くちびるが動いたけれど、真島さんは何かを続けては言わなかった。 キスされるのかと思ったけれど真島さんは何もしなかった。まつげの微細な揺れが見えるほど近くにある意地の悪い男の顔は、ふと思い出したようにこう言った。 「浮気なんぞ不問や、小娘」 ようやくくちびるがふれて、私は自分の眉間の力が弛むのを感じた。 「…そうですね、お互いに」 真島さんの時間がなくなるまで。それまではこのまま。 ×
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