| ナノ



世良さんのお墓に行くのについて来てくれると真島さんが言ったのは、彼も葬式に真面目に出なかったことと多少なり関係があるのだろうな、とぼんやりあたりをつけて、とりあえずの返事としてお墓参りの日時と待ち合わせの場所を伝えた。真島さんは一言、分かった、と言ったきり背を向けて、珍しく仕事に精勤した。私も休みをとるために自分の仕事を片付けなければいけなかったし、上司がそうして思いもよらない形でやる気を出してくれたのは有り難かった。

世良さんがよく飲んでいたコニャックを持っていこうか。供えるのは難しいだろうけど。
手元のキーボードを眺めてぼんやりしていると、急に悲しくなった。今度の土曜、好きだった人のお墓に行くだなんてなんだかとても現実のこととは思えなかった。どんなに子供じみた気持ちであの人を好きだったのか、今思うととても気恥ずかしい気持ちになるけれど、小娘なりには世良さんを真剣に愛していた。その人が死んだ。次の月命日に、彼に会いに行く。





疲れたようにため息をつき、どうしてこう上手くいかないのだろうかと独語してから、小娘相手に詮無いことを口にしたとでも思ったのだろうか、世良さんは小さく苦笑いして、私を抱き寄せた。その彼の喉仏の下に伏せた瞼を押し付けて、私は黙っていた。彼がやはりたわむれのように口にした、一番愛した人とのことを聞かせてほしかったけれど、やっぱり怖くて聞けなかった。私はこの部屋で彼を待つことしかできない飼い犬だったので、そんな出しゃばったことはとうていできなかったのだ。

私はいつだってあなたの特別な女になりたかった。特別に、一番に愛される女に。




墓地に着いた私たちは言葉少なに粛々と墓前に花を活け、手を合わせた。私が呆然と墓石を見つめ出した辺りで真島さんは煙草を吸ってくると言って消えた。
目の前に世良さんの名前が大きく彫り抜かれた墓石を見て、まだ現実に追いつけずにいる。伏せがちの目が好きだった、と今さらのように思い出して、涙も出ないことに途方に暮れた。やわらかい物腰にときどき混ざる乱雑な口調や、ぎゅっと寄せた眉間の険しさ。娘にするような愛犬にするような優しげな手つきで髪を撫で、甘みなどなくても呼ばれれば従いたくなるような声で私の名前を呼んだ彼。別れたのはずっと前のことなのに、思い出すのはとても簡単だった。


「名前」


真島さんの声はとても静かだった。私は振り返ることができなかった。うつむいたままでいると、肩を掴まれて、耳元で諭すように真島さんが言う。


「気ぃ済んだやろ。もう行くで」


遠くの空に灰色の雲が溜まっている。風が強くなってきたし、雨が降りそうだった。
よろよろと足を動かしてやっとのことで身体を反転させると、黒い革手袋の手が察したように私の肩を抱いた。踵の低いパンプスが不恰好な音を立てて、自分の足取りが思っていたよりずっと覚束ないことに気付く。墓前には白い菊の花を活けた。世良さんの好きなコニャック。真島さんに、そんな荷物になるもんやめとけ、と止められたので持ってこなかった。言われた通り、とても重かったから。でも今日あの部屋に帰ったら、飲んでしまおう。彼が飲んでいるとき、私は絶対に横で飲んだりしなかった。
私はあの人の隣にいるときいつもぴんと気を張って少しでもしゃんとした女に思われたくて、ひと時も心をゆるめることはなかった。つまらない見栄だったとも、中身のない意地だったとも、言われれば抗弁のしようもない。実際私はあの人に愛されたいばかりにみっともない真似をたくさんした。


「真島さんは、コニャックお好きですか」

「飲まれへんことはないな」


道路脇に停まった黒塗りの運転席で、西田さんがこちらに気付いた。真島さんのためにドアを開けるべく彼が慌てて車から降りた音と、耳元をかすめていく風のざわつくような音がやけに大きく聞こえた。
真島さんは私の肩に添えていた手で、とんと私を押した。しゃんとせえ、とまるで言ってはいけないことのようにバツが悪そうに彼は言った。


「西田ァ」


車に乗り込んで、長い脚を組んだ真島さんが今まさに発車しようとしていた西田さんに声をかける。彼は即座に、はいなんでしょうおやじ、と振り向く。いつも思うが徹底した対応だ。


「先に名前ン家寄れや。あと、他の連中にワシ今日戻らんていうとけ」


西田さんは返事をし、一拍置いて、アクセルを踏んだ。
私は真島さんの隣で、降り出した雨を眺めていた。

×