なんというか彼女はとてもあっけらかんとしていた。失恋しましたなんて元々そんなことを吹聴して回る性格ではないとは確かに思うけど、それにしたっていつも通りすぎて、というか居直った様子の名前が不気味でたまらず俺はじっとその穏やかに笑う顔を見てしまう。 「……ねえ」 不意に真顔になった名前が神妙に言う。今の今まで笑っていたくせに、ととても理不尽な動揺に言葉もない俺を見下ろしてまたしても彼女は歯を見せて笑った。 「私今日ハンバーグの気分」 「は?」 「というわけで今日はハンバーグです」 彼女は最近、外食と誰かが作ってくれたメシ以外の選択肢として、自分にも料理ができるということにこのところようやく気付いたようで、食べたいものを自分で作るという行為自体に満足感を覚えるようになったらしいのだ。大学入って一人暮らしを始めて、今さら自炊に目覚めた、とそういうことらしい。 ところどころに粗は目立つのだが、それはそれとして彼女の料理は美味かった。 料理を進める内にわからないことが出てきたりするとすぐにパニックになって見た目がおいしくなさそうとか鍋が焦げ付いたとかそんなしょうもないことを半泣きになって訴えるくせに、出来上がれば美味くて、なのに本人が変に自信なさげで、そういうときの彼女に俺は何度も「うまいよ」と言うのに。 俺に100回言われるよりも「彼氏」に1回だけ言ってほしかったのだろう、おそらく。ふだん、がさつに振る舞うばかりの名前がそんなときにしっかり女なのがむかつく理由は他でもない。 「………芽キャベツ付けてクダサイ」 「そんなお高そうな食材は我が家にはございません」 「じゃあ買い行こうぜ」 「芽キャベツ?」 「ん」 「好きだったっけ?」 「付け合わせがバラバラになったブロッコリーじゃあちょっとなァ」 「うわ、憎たらしー」 名前はニットを羽織ると片手にずっと前から使っている長財布を持って、底がぺたんこのパンプスに足を突っ込む。外が思っていたよりも春めいていて無意味になってしまったジャケットはほうったまま、俺も立ち上がって靴を履いた。 憎たらしいのはお前だ、と言いたいのは山々なのだがそんなことを今言えるくらいならきっと俺は彼女に彼氏ができるのを、手をこまねいて見守ったりはしなかっただろうし、今だって。 隣を歩く名前は、桜咲いてるねえ、とのんきに言った。 俺はただ、そうだなと返すばかりで、傷ついてないわけないよなと彼女の傷口に切り込みを入れることはできなかった。名前と他愛ない調子でこうやって喋ったり飯を食ったり部屋でゲームしたり、気取らずに付き合っていけるのは確かに俺だろう。でもきっと彼女はそういう俺を相手に、恋はしないだろう。苦しいくらいの恋を、俺と共有したりはしないのだろう。俺はそれをよく知っている。 「仗助」 「ん?」 「いつもありがとー」 頭ひとつ分下で彼女が笑う。俺が知る限りずっとショートカット一辺倒だった名前が髪を伸ばし始めたのはいつからだっただろう。そんなに前からのことではないように思うのに、彼女の髪はもう肩を通り越している。 名前は、俺に失恋の愚痴を言ったりはしない。言ってくれたら俺だって聞いてやるけど、でも言わないだろう。 「別に、今日の晩メシでチャラっつーことで」 「はいはい」 彼女が気安く笑って俺を家に上げてメシを作って一緒にゲームなんかしても、俺はずっと彼女の友達だ。それでも彼女の生活の中から1、2年も保たずに消されていく連中よりもよっぽど上等な立場なのだろう、たぶん。 「名前」 「んー」 「……や、なんでもねーや」 「そう?」 「あ、そういや桜散るとさァ、この辺の道が毛虫だらけになんの知ってる、お前?」 マジか最悪とか、別の道ないのとか、名前は肩をすくめて言ったあと、前を向いた。風が吹いて、彼女の髪がなびく。白い横顔のやわらかい輪郭を横目で見る。 今日あったかいね、とまた名前はのんきに言った。……これはこれでいい。俺も俺たちも、こんな感じで充分だ。 ×
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