「せっかく誘ってやったってのに、シケた面してんな」 「……今の傷付いた。今日飲んだ分奢れ」 「…荒れてるってことは、こないだ言ってた男とうまくいってねえんだろ、お前」 「人のところの邪推より、自分はどうなの。あの可愛い彼女とは」 伊達は低い笑い声を立ててから、さあな、と余裕綽々に焼酎の入ったグラスを持ち上げた。 中身は焼酎だ。そう分かってはいる。しかし目の端に焼酎瓶のパッケージに書かれた「鬼殺し」の三文字が見えていてさえ、こいつのこういう仕草は様になった。腹が立つことに。 高校を卒業してからというもの、伊達とは疎遠になっていて、お互い地元民だというのに会うのは久々だった。伊達の方から飲みに行こうと電話がきたときは、なぜだかやるせない気持ちになった。電話は確かにたまにはしていたような気もする。話せば、いつも通りに話せた。あいつがどうしてるそいつはこうしてる、車の免許取ったとか、公共機関で見かけた変な人の話とか。いつもそんなどうでもいいやりとりをしてから電話を切っていた。いつか一緒に飲みに行こう、なんて話もするにはした。でも口約束で終わると思っていたから、本当にこうやって伊達とふたりで飲んでるなんて正直、妙な気分だ。顔が見える分、電話と違って相手の考えてることが分かりやすくて居心地が悪い。こいつは本当に、私とこうして面と向かって話すのを懐かしいとしか思っていないようだった。少なくともそう見えた。 こいつはただの一度も、私を女という生き物だと思ったことがないのだ。 「お前、酒癖悪いよな。まあ薄々そんな気はしてたがよ」 「ご理解頂けて恐縮です」 私も自分の焼酎に口をつけた。 メニューを開いたとたんにこれにすっか、と言って伊達がニヤニヤした、「鬼殺し」の味はなかなかだった。今度元親に会ったら土下座しろよと言い返しつつ私も反対はしなかった。元親だなんて高校時代の懐かしい名前だったから。でも酒自体は度数が高くて喉がひりひりする。本当は焼酎って得意じゃない。 今度は元親の奴も誘うか、と私たちの間に置かれた焼酎瓶を眺めていた伊達が言った。そうだね、と思わず同意しかけて私はやめた。 「え、なんで。男ふたりで寂しく飲めば?」 「安心しろ。お前がいてもいなくても、華が無いことに変わりはねえ」 「お前それは私の彼氏に全力で謝れ」 「…物好きな奴だぜ。お前みたいな色気も素っ気もねえのに惚れるなんてよ」 「友達相手に色気出さないんだからそこは褒めて」 「偉…くもねえな。普通だ、ンなもん」 思わず鼻で笑った。そう、普通ね。口には出さなかった。トゲのある口調にならないよう努力したつもりだけど定かじゃない。 なんとなく揺らしたグラスの側面を氷が叩いた。 友達でいるのは気楽だ。恋人でいるよりも長続きするし。 ふとそう思ったことを、焼酎と一緒に舌の上で転がしながら伊達を見る。そうしていると不意に、あいつ実は下戸なんじゃねえの、とくだんの元親と言い合って伊達に缶ビールを飲ませたことを思い出した。高校時代のバカな思い出だ。結局伊達の坊っちゃんは平然と一缶飲み干してから、「ビールより焼酎持ってこい」とのたまったのだが。 「なあ、名前」 「ん?」 「………いや、何でもねえ」 口の中で変な奴、と私が呟いたのは、伊達には聞こえなかったようだった。 今日会った伊達は、高校生の頃と違って微妙に落ち着き払ったところがあって、私の方が落ち着かない。「鬼殺し」なんて名前の焼酎をふざけて注文するくせに、伊達は前よりずっと沈着な男に見えた。でもたぶん、見えるだけだ。こんなに落ち着かない視線を投げる奴は冷静でも沈着でも有り得ない。 「名前」 「なに、何度も」 「…お前、口説いたら俺のもんになるかよ?」 「………あ?」 焼酎で焼けるように熱い喉はがらがらで、思った以上に低い声が飛び出した。奴の左目と視線が噛み合う。変に真摯な酔眼が、焦点も怪しいのに私を見ている。こいつこんなタチの悪い酔い方するんだ。一緒に酒を飲むのは今日が初めてだし、まあ許してやれないこともない。酔った男のセリフは案外あっさり聞き流せてしまうものだ。それとも私が酔っているだけなのか。 「聞いてんのかよ」 「聞いてる聞いてる」 「聞き流そうとか思ってんだろ」 「……あんたの方がよっぽど悪酔いだわ。何なの?」 空になったつまみの皿を横にどけて、伊達の手元からグラスを取り上げる。まだ少し残っていた酒を奴の代わりに飲んだ。悪酔いする奴だなんて知らなかった。寝ながらゲロ吐く奴よりいいけどタチわりい。……ただの悪酔いだと分かってるのに期待したくなる私もどうかしている。アルコールが抜けたらきっと妙なことを口走ったなあ、で済んでしまうことだ。済んでしまうことだ。 「今さら口説かなくたって好きだっつの」 お互いに妙なことを口走ったなあ、と。また電話越しにこいつの声を聞きながら笑い話になるだろう。アルコールの染みた頭に、これから先にあるはずの他愛ないやりとりがシミュレーションされる。酒の失態くらい水に流せよ、大人げないな。そうやってまた踏ん切りのつかない片思いをごまかす。いつもの通りになっていく。きっと。 「………名前」 「ん」 「俺は本気だ」 「酔ってるけどね」 「覚めた」 「嘘つけ」 「名前。お前、酔って記憶飛ぶタイプじゃねーよな?」 「さあ?」 テーブルの上に、ばん、と伊達が手のひらを叩きつけた。私が驚いて怯んだその隙に伊達は身を乗り出してきて酒臭い口でキスをした。猫騙しかよ。酔った頭に脅かされたことがいやに不愉快で私は手元にあった自分のグラスを素早く取って中身の焼酎を伊達にぶっかけた。 伊達のやや長めの前髪から、控えめに滴り落ちる透明の液体とこびりついた氷片と、それからテーブルの上にばらまかれた大小の氷。時間が止まったように一瞬、静かだった。 「そっちの奢りね」 荷物を手に立ち上がってから、好奇の視線を集めていることに気付いた。その周囲に平等に一瞥走らせてから、酒でちょっとばかり覚束ない足を引きずって店を出た。帰るのが億劫だった。 店先へ出たところで急なめまいに襲われて私が立ち往生している内にあっさりと伊達は追いかけてきて、よれよれの私の腕を取った。ようやくまっすぐに立ってから、私は伊達に掴まれた腕が焼けるように熱いことに気付く。酒で潤んだ目で見上げた伊達の輪郭はすこし揺れている。伊達が私の名前を呼んだかすれた声が耳のそばを通って暗いアスファルトに落ちた。 「おい、泣いてんじゃねーよ」 「………てねーし」 奴はずいぶん沈着な男になっていた。高校の頃ならおそらく取るものもとりあえず支払いも忘れて追いかけるくらいのことを平気でしたはずだ。まだ酔いの覚めきらない私の熱い腕をいとも易々と鷲掴みにしている伊達の手のひらもやっぱり熱い。ほらなやっぱりそうだよまだ酔ってるんじゃないか、お互いに。 「ちゃんと立て」 「立ってる」 「てねえ。あんまり情けねえことしやがると持ち帰るからな」 「……友達相手に色気出すなっつの」 「お前が気付かなかっただけで終始出してたっつの」 パンプスを履いた足が思い出したようにずきずき痛み出して、とたんに伊達の言った色々なあれが現実味を帯びる。なにそれ。口の中で呟く。変に唾液がねばついて、声にはならなかった。足が痛い。涙はとっくに止まっている。 酔ってるとかって逃げ道にしたがっているのは私だけだった。伊達の左目がぎらりと、きっと酒だけのせいじゃない熱を持ってこちらを睨む。 あ、まずい。 そのまましてしまったキスはやっぱりというかなんというかさっき飲んだ焼酎の味がした。伊達はさっき私がぶっかけた焼酎で濡れた頭をちょっとくらいは拭いたようだった。酒臭かった。でもその間を縫って香った伊達の香水は当たり前のように記憶に残っているものとはすこし違っていて時間が経ったのを変に実感する。繋いだ手が実感に連動してすこし震えた。 同時に頭の裏をなにかとても大切なはずのものが通りすぎていく。なんだっけ。 ………ああそうだ、別れようとか切り出すの、苦手なんだよな。 |