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彼氏と別れた。家の前まで送ってくれた車の中で、私から別れましょうっつって別れた。車を降りて、じゃあねと彼に手を振ったそのときの私を、クラブユースのエナメル引っ提げたそいつが道路の向こうの方で見ていた。いかにも、ラブシーンに居合わせてしまって気まずいと顔に書いてある。街灯からちょっと外れたところに突っ立った彼をちらっと一瞥して、私はパンプスの踵を鳴らして家へ入った。
そう、奴のことは知っている。近所の中学生。真田さん家の一馬だ。




「ただいまー」

お母さんは娘が今さっき年上の彼氏をふってきたところだなんて露知らず、夕飯の準備をしていた。おかえり、と気のない風で言ったかたわらで、パスタにソースを絡める作業を鮮やかな手つきでこなしている。

「あのさ、真田さんとこの一馬ってまだサッカーしてんの?」
「さあ?…あ、でも都選抜に呼ばれたってこの間聞いたけど」
「へえ…すごいんだ」

ぽそっと呟いた娘の声は、調理中の母上には届かなかったみたいで、あんたこれどう思う?ってサラダのドレッシングの毒味を薦められたからそれ以上何か言うのはやめた。
真田さん家の一馬。思い出すだに、泣かした記憶しか掘り起こせない。何故だ。



次の日の朝、夏休みだけど登校日なんて面倒なものがあるせいで学校に行かなきゃならなかったので、家中で一番遅く出る私が玄関の鍵を閉めた。
ちょうどそのときに家の前を誰かが通るような気配がしたから、私はご近所付き合いとか横着しないタイプなので、振り返っておはようございます、と愛想よく挨拶した。が、後悔した。ご近所の口さがないおばはんかと思ったら後ろにいたのは真田さん家の一馬だった。ジャージ姿。あ、練習でも行くわけですか、そうですか。

「………はよ」

戸惑った顔をする割にきっちり挨拶を返してくる辺り、こいつ律儀だ。いや礼儀正しいと言うべきか。何にせよ気まずいなあと思った私はさかさかと門を開けて出て、それじゃ!とかなんとか言ってその場を去ろうとした。
あくまで去ろうとしたんであって成功しなかった。何故。

「あのさ、名前」

ありし日のようにまだ下の名前で呼んじゃうのかよ。ツッコミは内心に留めておいた。
そう、何を隠そう昔は一馬と私は案外仲が良くて、親同士は現行で仲いいみたいだけど私たちはすっかり疎遠になっていたわけで。
しかも私ってば昔やんちゃな子だったから年下の一馬を振り回す振り回す。色んな意味で。……なもんだから、嫌われてんだろうなと思い続けて早数年。
一馬がイケメンになった頃には口を利かないどころか会わなくなった。学年とか3つも離れてるから小学校以来、学校一緒になったことないし。

「昨日一緒にいた奴、彼氏?」
「………まあ、うん」
「いくつ離れてんの」
「それ聞いてどうすんの」

本当は別れてんだけどね、と思いつつ、うっかり朝っぱらのテンションでトゲつきの言葉を発してしまった。まだ時間に余裕はあるけどしきりに腕時計を気にしてみたりして、早く立ち去りたいアピールをしてみるものの無視される。ですよね。中学生にそんなもん通じるわけないですもんね。

「…別に、どうもしねえけど」
「何、一馬、彼女でもできた?」
「ばっ…何でそうなるんだよ」
「今バカって言った?…いや色気付いてんのかなあと思って」
「いねーよ、……彼女とか」

尻すぼみに小さくなる呟きをどうにか拾って、じゃあ何だってそんなこと聞くのとか言ってやりたかった。ちょっとからかい半分に、言ってやりたかった。こいつ私のそういう色恋事がもしかして気になっちゃう感じ?とか悪戯心が疼いて。
でもそういえばこいつってサッカーできれば輝いてるような奴だったと思い出したからやめた。
小学生の頃、ユース始めたって嬉しそうにしてたよそういえば。今も変わってないんだろう。昨日もユース帰りだったみたいだし。

「まあ私も昨日別れちゃったけどね」
「は?昨日って、昨日のあいつかよ?」
「あいつだけどあいつって言わないでくれる」
「………お前さ」
「ん?」
「……………やっぱ何でもねえ」

練習遅れる、とかぶつぶつ言いながら一馬は足早に去っていった。呼び止めたのはお前だろ。







学校着いて掃除して、休み明けすぐにある文化祭の諸々を決めるホームルームがあって、ようやく帰れると思う頃には、今朝の玄関先で一馬に会ったことなんかすっかり忘れていた。
一緒にお昼を食べる約束をした友達が、彼氏のいるサッカー部がどっかの選抜チームと有志で練習試合するから一緒に行こうとか言い出すまでは、すっかり。


「どこと試合だっけ?」
「都選抜だって。なんか、中学生らしいよ」
「へー………え?」

途中の購買で買った炭酸のペットボトルから口を離す。都選抜の中学生のチームってまさか一馬いるんじゃね。

外はものすごい暑かったのに、声援やら何やら結構すごくて、私はめまいがした。まだ幼く見える中学生たちとうちの学校のサッカー部の対戦は、何でか中学生が押していた。情けないぞ高校生。黄色い声援も中学生に横取りされている。

「うわ…本当にいた…」

そして中学生チームには見慣れた吊り目が混ざっていた。
なんていうの?ボレーシュート?決めてた。サッカーとかたまにテレビでリーガ・エスパニョーラとかワールドカップ見るくらいだからよく分かんないけど。
爽やかな汗流しちゃって。
立ってるだけでじわじわと暑い夏の日差しを浴びながら、私は額の汗を指先で払った。一馬がサッカーしてるのをまともに見るのは初めてだった。
ずいぶん楽しそうにするんだなあと思って眺めている内に試合が終わって、私は一緒に見に来た友達と学食に足を向けた。

食べ終わると友達は、じゃあ彼氏待ってるからなんてさらっと言って先に帰って行った。おいおい。しょうがなくひとりで学食を出て帰ろうとしたら、すぐ目の前の購買横の自販機に、見たことのあるジャージ姿の男子がわらわら群がって飲み物を買っていた。
うちのジャージじゃないけど見覚えがあるのは、今朝の一馬が同じのを着てたからであって。

「一馬?」
「……あ」

群れからひょっこり顔を出したそいつは、まるで見つかっちまった、とでも言いたげな顔で私を見た。

「試合、うちのサッカー部とだったんだね」
「まあ……おいうるせえよ鳴海!先行ってろ!」

何だよ彼女かー?とか囃し立てた典型的な中学生男子に向かって真っ赤になって怒鳴った一馬も、なんだか普通の中学生に見えた。いや元々そうだけど。

「飲み物、買ってないの?」
「……まあな」
「ふうん」

目をそらしっぱなしの一馬の横を抜けて、財布を出す。お金入れて、適当にお茶のボタンを押す。落ちてきたペットボトルを取り出して、おもむろに一馬に向かって差し出すと、相手は弾かれたように目を上げた。

「はい。ナイスシュート」
「やっぱりあそこにいたのお前か」
「偶然ね」

ほら、と手に押し付けたお茶を遠慮がちに受け取った一馬が、なあ、と焦ったように口火を切った。

「今度また試合あんだけど、見に来たりとか、その、…しねえ?」

顔真っ赤にして何言ってんだこいつ。と思ったけど顔には出さなかった。ただ、ちょっと何こいつ可愛くない?とか頭の隅っこで思ったのはちょっと出た。

「いいけど、じゃあ一馬、夏休み明けにうちの文化祭来る?」
「……へ?」
「来るんだったら行く」

にやり。友人の間でポイゾニックと噂の私のこの微笑。悪巧みしてるようにしか見えないよなんて失礼にも程があるよね。

「…行く。……けど絶対ひとりじゃ行かねえからな」
「ひとりで来いなんて言ってないし」

おバカだねえなんて言って笑っていると、遠くの方で一馬を呼ぶ声がした。一馬はそれに今行くとかがなり返して、じゃあなと私に一度手を振った。その手にまだ未開封のペットボトル。
案外伸びていた身長のことを若干思い返しながら、あの泣き虫の一馬はどこ行ったんだろうと思って私も下駄箱に向かった。
文化祭楽しみだわーなんてちょっとガラにもなくウキウキしていた。メアド知らないけど、まあその内どうにかしよう。一馬がサッカーしてるのもちゃんと見に行こう。何たって一応は幼なじみなんだしそういうよしみがあるってものだ。


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