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携帯を開いて時間を確認すると、もう寮の門限ぎりぎりの時間だった。この際どうでもいいか、と思ってそのまま適当なベンチに座ってぼうっとしていると、寒くていっそ死にそうな気分になった。この真冬に、しかもこの学園はこんな山奥にあるというのに私はいったい何を。
さっきの生徒会室での一連のやりとりを思い出して、ため息をつく。いつものことだ。いつものこと。頭の中で唱えながら、うんざりして上を向くと、その額に何か硬質なものが乗せられた。2秒程度遅れて、それが熱々の缶だと分かる。

「ちょ、熱っ、え、熱いっ」

大慌てでもがくと犯人はさっと缶をどけてけらけらと愉快そうに声を立てて笑った。後ろに立った時点で気付けよ、などとまあ子供のように笑いながら言う。そんな理不尽な。

「何なんですか…」
「辛気臭い顔をしてるからだよ。…飲むか?」

この寒いのに、犯人の俺様何様生徒会長様はマフラーもまともに巻かずににやにやと。
私の額を襲った熱の正体をちゃぷちゃぷと横に振りながら、不知火先輩はベンチを回り込んできて隣に座った。差し出されたのはココアだ。学内の自販機で売ってる、普通の缶のココア。
それがあんまりにも熱かったお陰で、私の額は熱いというよりもはや痛かった。最低だ。冷え切った指先をあてがうと、じんわりとまた痛い。火傷ですね、はいお大事に。

「あー…デコ熱ぅ…」
「無視かよ」
「…………」

差し出されたココアを無視してじっとりと不知火先輩を睨みつける。黙ったままでいたら先輩の方が折れてくれる気になって、眉を八の字にした。

「悪かった。悪かったよ、俺が」

だからそんな目で見るな、と言いつつ先輩は私の手にココアを押し付けてそっぽを向いた。じんわりと缶は熱い。冷えた手と缶の熱さが相殺し合って、手のひらには何の感覚も無かった。麻痺している。やっぱりこんな真冬の展望台になんか来るもんじゃない。

「ちなみにココアって気分じゃないです」
「…わがままな娘だ」
「パパ、私そっちのコーヒーがいいな」

たぶん自分用なんだろうけど先輩がもう片手に持っている缶コーヒーを、指差し確認して私が言うと、案の定先輩はそれを私から遠ざけた。

「これはダメだ」
「何でですか」
「俺のだから」

言って、先輩はさっさとプルタブを開けてしまった。私も無言でココアのプルタブを上げる。口の中に流し入れると驚くほど甘かった。ココアの元の味ってどんなだっけ。口をすぼめて舌の上の甘さから気持ちをそらして考える。後からくるほんのりと微妙な苦さが本当に微妙だ。

「………甘い」
「文句を言うな。先輩からの心尽くしに」
「いや嬉しいんですけどね」

もう一度ココアの缶に口をつけて傾ける。確かに気にしてくれること自体、嬉しいは嬉しい。たまに、誰かれ構わなく気を遣っていたら疲れないだろうかと心配にはなるけど。
うっすらとぬるいココアの液感が残った唇を舐める。温かくて助かるけど甘いものは甘い。

「ところで、だ。名前。お前こんな時間にこんなところで何してる?」

そろそろ門限だろ、と言い足して、先輩は俯いて缶を見つめていた私の前髪を指先で梳いた。付き合ってるわけじゃないのにこんなことを素でやる先輩が本当に憎らしい。私の片思いを見透かしてこんなことをしているとしたらこの人は最低だ。
学園のマドンナ月子ちゃんと俺様何様生徒会長様がおそろしいほど仲がいいのは見てれば分かることで、私は正直最初から失恋していたわけであって、でもそれなのにこの人はごく自然なことのように私を特別みたいに気遣ってくれたりする。勘違いする女もいるんだから気をつけてほしい。主に私とか私とか私。

「それは不知火先輩もそうなんじゃ…」
「まただ」
「はい?」
「お前だけだぞ。生徒会のメンバーで俺のことを不知火先輩、なんて他人行儀に呼ぶ奴」
「そうでした?」

みんなと同じようにこの人を名前で呼び慣らわすことが、私にはどうしてもできなかった。私は、私と不知火先輩との距離を正確に測った結果こうしているだけなのだ。馴れ馴れしくしてあとで痛い目をみたくない。それだけだった。呼び方にこだわったって何にもならない、というのはもちろん負け惜しみだけど。

「…はぐらかすな」

いやに優しげな手つきで先輩は私に顔を上げさせた。なんてひどい奴だろう。まさか月子ちゃんのことで頭がいっぱいだから私なんか目にも入ってないってことなんだろうか。だからこんなことができるんだろうか。
さっきの生徒会室での一連のやりとりが頭の中でリスタートする。生徒会を家族になぞらえるいつもの何気ない会話の中で先輩が月子ちゃんとの夫婦説をやたら強調したものだから可愛い可愛い月子ちゃんが困ってしまって顔を真っ赤にして、それはもう本当に可愛くて、それは確かにパパがにやけるのだって分かる。
けどさ?
誰だって聞きたくないよね好きな人が学園のマドンナに、例えば冗談だって、プロポーズしてるのなんか。

「でもまあこの2年押し通すくらいだしな。…やっぱり嫌なのか?」
「嫌ってわけじゃないんですけどね」
「じゃあ呼べ」
「…一樹先輩、いつも思うんですけど」
「ああ、何だ?」
「……私のことは好きですか?」

試すようなつもりで口に出した。ライクだろうがラブだろうが例えばそのラブが家族愛だろうが何だろうが、とりあえずなんでもいい。私を生徒会の一員として認めてくれているとかそういういつも通りのでも構わない。答えてくれたらそれでいい。
あわよくばこの質問に焦ってくれたら、なんて。

「………ああ、好きだ」

焦るのは私だった。先輩が真剣な顔をしたので思わず意味もなく肩が強張った。その私の首に先輩が自分のマフラーをかけてくれる。このタイミングで?と思ったけど何も言えなかった。
返事は、と催促されるような沈黙が降りてくる。とてもじゃないが信じられなくて私は目の前が白黒した。
それってそういう意味ですか、ラブ?
それともいつもみたいにからかってるだけ?

「……なあ」
「はい」

動揺していた割に、呼ばれた反射で私は顔を上げた。
と思ったらすぐ目の前に、目を閉じた先輩の顔があった。いやに乾いたやわらかい唇が私の口からココアの甘さを盗っていく。

「…本当だ、こりゃ甘いな。やっぱり俺のと交換してやろうか?」
「…いいです」

コーヒーを飲んでいた先輩の舌が苦かったせいで口の中ではすっかり甘さが相殺されていた。

ぼうっとしているとココアの缶が取り上げられて、その代わりにコーヒーの缶を握らされる。何も言わずにコーヒーを一口飲んで、私は不知火先輩を見る。先輩は私の顔を覗き込んだままじっと目を見ていた。

「一樹先輩」
「ん…何だ?」
「今のってセクハ…」
「その先言ったら泣くぞ俺は」
「…すいませんちょっとふざけました」
「それとももう一回キスしてやろうか?」

迫ってきた先輩の顔を押し退けるなんてもったいないことができなくてなし崩しにもう一回キスをした。

「私の返事とか聞いてくれないんですか」
「お前が好きでもない男にキスされてぶん殴らないわけ、ないからな」

筒抜けってことですか。なんだか釈然としなくて、首にかかっている先輩のマフラーを私はことさらにきっちり巻き直した。

「月子ちゃんとの夫婦説はどうしたんですか」
「あれは、あれだ、会話の流れってものがだな……いや、違うな。俺が単純に恥ずかしかったんだよ。お前、ああいうのスルーするじゃねえか」
「私の方に振ってくれたらノったフリして告白しようと思って構えてたんですけどね」
「……早く言え、そういうのは」
「言えたら苦労しませんよ」

それもそうだな、と言って一樹先輩は私の頭をわしゃわしゃとかき回して笑った。
それから先輩は突然また真面目な顔をして、私の髪の束に指を通す。伏せられたまつげが長くて、こちらを見る目はひどく優しい。
調子が狂う。そういう目で見られるのは月子ちゃんみたいな女の子がふさわしいのだ。

「……好きだぜ、名前。お前はどう思ってる?」

すっかり空になった缶を脇に置いて、私は先輩がそうしたみたいに何も言わずにキスをした。
私はうちの学園のマドンナみたいに可愛くはないが、どうやら学園一の色男を射止めることには成功したらしい。









ベ テ ル ギ ウ ス






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