05

「女、名は?」

質問に答えなければ、そう思うものの、舌が凍ったように動かず、詮方なく、相手を、ただひたすら、見つめていた。クロコダイル様、と呼ばれていたということは名はクロコダイルなのだろう。商人の男がいなくなってから、急に緊張が私を襲ってきていた。

大きな体躯、高級感のある服装、鋭い瞳、そして、顔を横断する痛々しくも目を引く傷。クロコダイルには、人を威圧するような雰囲気があった。喉がひきつって、なかなか声がでてこない。焦れば焦るほど、さらに身体が硬くなる。


くゆらせている葉巻の煙のにおいがわかるほど近くにいる男。極めて低く、ときおり掠れる声は、感情を映さず、冷ややかに響いた。目を合わし続けている、というよりその強さから離すことができなかった。薄黄色の瞳が、葉巻の煙の奥で、ぬらりと光る。

葉巻を挟む薄い唇に、不釣合いにしっかりとした顎。とおった鼻梁に、不機嫌そうに歪められた眉。そしてその下に収まっているのは、爬虫類を思わせる、温度の感じられない強い瞳。

――――この人は、なぜわたしを買ったのだろう。わたしに価値がないことなんて、わたしでもわかるのに。お情けで、ひとを助けるような人にも思えない。自嘲するしかないけれど、わたしには利用価値がなさすぎる。せいぜい小間使いや掃除婦がいいところだ。ずっと、そうやって生きてきた。

そんなことを、考えていたら気づかぬうちに、思考が外に、漏れてしまった。

「なんで、わたしを……」

その途端、男の右手が顎を掴んだ。その強さに、骨がきしむ音がした。立派な指輪が、肌に食い込んだ。

「それは質問の答えじゃねェだろ………」

おそろしくて、背筋が凍った。ぞっとするほど低い声に、絶対零度の冷たい瞳。

「てめェの立場をわかっちゃいねぇようだから、いっておく。おまえはおれが気まぐれで『ペット』として拾ってやったンだ。なら、御主人様への態度くらいわかるよなァ。それとも、その程度の脳ミソも持ち合わせてねェか?名は、なんだ」

「…………なまえ、です」

恐怖ですくみあがった喉から、なんとか声をしぼりだす。蚊の鳴くように細い声が、震えた。大きな彼の身体が、わたしに影を落としている。必死で顔を見上げる。逆光となっていたけれど、視線は外さない。ここで、外してはいけない気がした。本能が知らせる危険信号のようなもので、震えていても、目だけは決してそらさなかった。すると、ふと、クロコダイルの空気がゆるむ。ほんの少しだけ口角をあげると、私の名前を呼んだ。

「なまえ、か」

そのタイミングで、ちょうど扉がノックされた。掴まれていた顎が、右手から解放される。指が当てられていた場所が痺れるように痛んだ。目の前の人物が、また「はいれ」と入室の許可をだすと、静々とメイド姿の女性がはいってきた。

「なにか御用でしょうか、クロコダイル様」
「コイツを風呂にいれろ。臭くてたまらねぇ。それから服と食事を見繕ってやれ。世話は任せた」

彼女は、少し驚いたように眉をあげると、それでも落ち着いた声で一言「かしこまりました」とだけいって、一礼、わたしの手をひき、静かに退室したのだった。

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