たゆたう劣情

 未完成のままの機械模型。派手な色した衣服。ごつい装飾品。アルコールのボトルに、グラス。そんなものがあちらこちらに散らばった、雑多な船室。そこにある広いベッドの上には、蓑虫のように、白いシーツにくるまった物体があった。ゆるくウェーブした紅い髪だけがのぞいていて、窓からさしこむ明るい陽の光を反射してきらめいている。

 全身をシーツにくるませ、日差しを厭うように枕に顔をうずめたキッドが眠っているのだ。日が高くあがっても惰眠を貪るそんな船長をみて、なまえは溜息を零し、ひろげた手のひらでその頭をいきおいよくはたいた。うぐ、とつぶれたうめき声がシーツの下から聞こえる。

「起きてください。もう昼ですよ、キャプテン」

 もぞりとベッドの上の肢体が、身をよじる。まともな言葉になっていない抗議の声の返事になまえは呆れた溜息をついた。

「いつまで寝てるつもりですか?」
「なまえかよ……」

 ぬう、とシーツから白い腕がのびたかとおもうと、身体にかかる布をふりはらう。半裸の、よく引き締まった上半身が陽の光に晒される。下には、皺になっているズボンがかろうじて腰に引っかかっている。つねに白い肌からはいっそう血の気が失せていた。寝起きなのと、二日酔いのせいだろう。昨晩は、なまえ にしてみたらそれは、“酷い”宴だったのだ。上陸前夜。前夜祭とばかりにひらかれる宴は、よくもまあそんなに騒げるもの、と感心してしまうほどの乱痴騒ぎ。誰もが二日酔いをかかえながら、それでも懲りずに今夜も、久しぶりの陸地で、しこたま酒をのむのだろう。海賊の宴好きはもはや病気だ。

「なまえ、うるせえ声だすな……頭に響く」
「そんなになるまで飲むのが悪いんでしょう」

 つんと澄ましてこたえると、キッドは細い眉を捻って不機嫌になまえをみあげる。けれど額に落ちた前髪が目元にかかって、いつものような、人を刺す迫力はない。やわらかな猫毛。その表情は、どちらかというと、拗ねたこどものようだ。

「うるせえな」
「キラーさんが、いい加減起こして来いって」
「ん、ああ……、キラーが……」

 言葉になっていない唸り声をあげてから、緩慢な仕草で、キッドは、ベッドの上で身をおこす。胡坐をかいて、あくびをひとつ。いまだに半分寝てるような様子のキッドを前に、なまえは、手短に現状報告をすませていく。キッドは聞いているんだか、いないんだか、わからない態度でなまえをじっとみつめていた。

「なので、予定通り東の港につけます。ログが溜まるまでは約半日。けれど物資の補給があるので出港時刻は―――」
「なあ、なまえ。今夜つきあえよ」

 唐突に、キッドが遮った。なまえは、中途半端に口をひらいたまま、固まる。瞬きを繰り返す。一瞬、視線をさまよわせてから、キッドの顔に戻す。

「ええと、なににですか……?」
「だから、今夜。つきあえよ」

 怪訝な顔をしたなまえを前に、今度はキッドが、居心地悪そうに目を逸らした。

「今夜、飲みにつきあえよ」
「……なんでですか?」
「たまにはいいだろ」

 キッドは、唇を尖らせる。ちょうど、拗ねた子どもが言い訳をするみたいな表情だった。

「今夜はうるさく飲みてえ気分じゃねえんだ。……だから、なまえ」

 酒に喉が灼けたのか、いつもより幾分か掠れた低い声は、最後まで言葉をつむぐことはなかった。けれど、その沈黙は何を意図しているかを語っていた。幾許か緊張したキッドの表情。なまえは視線を外せない。理由もわからないままに身体がこわばるので、落ち着かせようと、小さく唾を飲み込んだ。

「別に、それくらい、いいですけど……」

 今日に限って妙なことをいいだす船長を前に、なまえは、疑問をおぼえながらも頷いた。キッドは、微かに唇の端だけひきあげると、何も起こらなかったかのように、「で、報告。続きは?」とあくびまじりに促した。





 喧騒に賑わう港の酒場だというのに、そこは落ち着いた雰囲気だった。細路地をはいったところにある、控えめにランプを灯した酒場。バーテーブルと、小さなテーブルがいくつか備え付けられただけの細長く狭い店内の隅に、なまえとキッドは隣合って、腰を下ろしている。肩と肩が触れ合う距離でなければ、お互いの表情もよめない薄暗い店内。そういった場に慣れないなまえはすっかり身体を縮こまらせる。

 ちびり、と甘くて苦い酒に口をつける。強いアルコールが喉をかあっと焼いて、なまえは顔を顰めた。甘いお酒がいい、とキッドに注文を任せたらこれだ。確かに、甘い。甘い、けれど強い。酒に慣れているキッドの感覚からしたら大したことがないのかもしれないが、酒に弱いなまえにはきつかった。喉を熱くした液体は、そのまま滑り落ちて身体を中から燃やしている。けれど、頬が火照る理由はそれだけではなかった。

「なまえ」
 至近距離から、キッドが睨め上げる。薄暗闇で、キッドの濃赤の瞳はかがやいてみえた。薄い唇が、酒に濡れてひかっている。
「もう少し、寄れよ」
「なんでですか、もう十分近くないですか……!」

 吐息がかかる距離。かすかに酒のにおいが香った。なまえの首筋に、キッドの無骨な白い指がそっと、のびる。その繊細で不躾な感覚になまえの背筋が熱くなる。触れられた箇所を中心に弱い電流がはしるような感覚がした。よく陽に焼けたなまえの肌に、寒さのせいではない鳥肌が立った。誤魔化すように、一心不乱にグラスをみつめる。とろけるような琥珀色の液体が揺らめいているのは、手が緊張に震えてるせいだ。

「………ほんと、鈍い奴」
「……鈍い?」

 キッドの苦笑が肌をくすぐった。首を竦めて、なまえはキッドの顔を見上げた。

「……誘ってんの。わかんねえ?」

 ルビー色の瞳に、不思議な光が瞬いた。ちかり、ちかりと、船の上からみる波打つ水面の反射のようだった。なまえは、咄嗟に目をそらす。首筋に沿うようにあてられたキッドの指が、つ、とうなじにまわる。

「なんで、そんな」
「……なまえは『なんで』ばかり聞くんだな」

 うなじのほつれた毛をもてあそんでいた指が、いたずらに鎖骨のあたりに滑り落ちる。くすぐったさと心臓がはねる感覚になまえは身をひいた。

「こら、逃げるな」

 キッドが低くささやく。子どもを嗜めるような、不釣り合いに甘い声色だった。頬が燃えるように熱い。

「………おれは、覚悟決めてきてんだ」

 キッドが、なまえの腕をつかむ。その手のひらがやけに熱い。視線が重なる。キッドの指にいっそう力がこめられた、まるで、震えそうな身体を強いてたえているような、その不自然なこわばりに、なまえがようやく視線をあげると、目が合う。水面に映える夕陽みたいに瞳の色が揺れていた。爪が肉に食い込んだ。暗がりで見えにくいけれど、キッドも耳まで肌を薄赤に染めていることにふいに気づく。

 キッドが、唇を耳元によせて、やわらかい耳たぶを食んだ。熱い唇が首に押し当てられて、なまえは震えた。

「なあ、なまえ」

 ごくりと唾をのむ音がおおきく響く。息を吸い込む音がしたけれど、その吐息が声になることは結局、最後までなかった。



title by 星食

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