boy meets grrrr

「なまえ、好きだ」
「え、何が?」

 日曜日。昼下がりの午後。平和な動物園。シロクマの檻の前にて。あまりに突然なローの言葉になまえは刮目して、とりあえず、何が好きなのかを問い返してみた。話題の切り出し方が唐突すぎて、なまえの理解がすっかりおいてけぼりになっている。

 ふたりしてぼうっとシロクマをみていたところにこれである。なまえにとっては、お散歩していたら、いきなりクラウチングスタートを切られた並みの衝撃だった。何をいっているのかよくわからない、そう思ってるのが表情にでていたのだろう。ローは苦虫をかみつぶしたような顔をして、繰り返す。

「なまえが、好きだ」

 今度は、動詞と目的語の相関関係をはっきりとさせて、ローが繰り返す。心なしか、「が」に力込められていた。ローの灰色の瞳が、まっすぐ貫くようになまえを捉えている。ほんの少し眉間に力が籠められて、いやに真剣な顔にみえて、なまえの混乱はさらに深くなる。

「ベポ、好きだ、って言い間違えちゃいました?」
「おい」

 ちなみに、まっしろなお腹をだしてお昼寝をしているシロクマの名前はベポという。いったい野性はどこにいったといいたくなる平和な様子でぐうぐう眠っている。にやけたような表情がまた愛らしく、ローのお気に入りのシロクマらしい。無愛想で冷たい表情の、眦がほんのりと緩んでいるのをなまえはめずらしいものをみた気持ちでみた。……しかし、言い間違えではないらしい。ローの機嫌がじわりと降下するのを肌で感じたなまえは、「冗談です」と欠片も思ってない弁解を口にした。

「わかりました」

 力強く頷いてみせたというのに、疑わし気な視線を容赦なくあびせかけてくるローを前にして、なまえはごくりと唾をのむ。そもそも身に覚えがない。まったくない。迷惑しかかけたおぼえがないなまえにとって、ローの言葉は「なまえが、(観察対象として)好きだ」だとか「なまえが、(馬鹿なりに頑張って生きてるという意味で)好きだ」だとかの括弧書きでもつかなければ到底納得できなかった。けれど、ローの、唇を引き結んで、微かに緊張した面持ちで一心にみつめてくる表情にふざけている様子は一切ない。なまえはふだんあまり活用されることのない頭を総動員して言葉を探す。

「もしかしてバルビツール系睡眠薬を服用してらっしゃる……?」
「……なまえ、睡眠薬の副作用として重大な精神錯乱がそう頻繁に起こるという認識は間違っているし、そもそも、おれは睡眠薬を服用していない」

 ばれた。すぐに思惑がばれてしまった。なまえは心に冷や汗を大量に浮かべながら、次の一手を考える。ローの機嫌は急降下真っ逆さまだ。いまさら、どうやって軌道修正すればいいのかわからない。ていうか、もうこれ事故ってるんじゃない?となまえの思考は同じところをぐるぐるまわり始めた。

 そうして「そもそも動物園でいきなりこんなことをいいだすローが悪いのでは?そしていったん、これだけ全速力で、横道につっこんでいったこの会話の軌道修正は不可能では?」という結論に落ち着いた。問題は、それをどうローに伝えるか、なまえは懸命に考える。もし漫画のキャラクターだとしたら、頭から煙がでるくらい真面目に。

「いいですか、よく考えてもみてください」

 結果、すなおに諭してみることにした。なまえの口調は、本人も気づかないうちに、知り合った当初のような敬語にもどっている。ローは、顰めていた眉のこわばりを少しだけ解いた。なまえはみずからを落ち着かせるように深呼吸をする。

「まずシチュエーションがいまいちわからないんです。ローさん。まわり、みてみてください。平和な日曜日の動物園です。親子連れとかいます。わあ、軽いピクニックすてきって雰囲気です。おかあさんといっしょ、的な世界です」
「ああ、そうだな」

 同意するくせしてなまえからまったく視線をそらそうとしないローを前になまえは泣きたくなった。そんなに熱くみつめないでください。もうちょっとまわり見渡して、空気読んで。そんな心情だった。

「そこで、その、好きだ……?なんていわれたところで、現実味が、その、なくてですね。つまり、おかあさんといっしょで歌のおにいさん、おねえさんが唐突に恋愛劇を繰り広げるか…?っていう……?」

 好き、のところを疑問形にした瞬間、ローの表情が険しくなり、語尾にいたって「我ながら何をいってるんだ?」の疑問形を口にした瞬間、ローが呆れ顔をする。そして大きな溜息が零される。

「じゃあ、どうしろっていうんだ。大学じゃ、……目立つだとか恥ずかしいだとかわけがわかんねえ理由で、話かけることすら嫌がるだろう」

 その顔は不満げで、綺麗な顔がまるで子どもが拗ねるように顰められているので、なまえは胸が妙にどぎまぎするのを感じた。こわばる唇をなめて、鋭く脈拍する心臓を抑えて、ローをみつめる。困ったような色をのせたペールグレーの瞳は、光加減によって色味をかえて、視線があうだけで見惚れてしまいそうだ。

「でも、動物園より、大学の方がマシ、かも、です……」
「……わかった」

 すっとのばされた手のひらが、なまえの頬にあてられる。ローが、その整然とした顔に、意地の悪い笑みを浮かべた。首の下に熱があつまって、火照る。なまえは瞬きを繰り返しながら、近付いてくるローの顔をみつめていた。

「そうするから、覚悟しとけよ」

 至近距離で、挑戦的に言い放たれた台詞は、その表情と相まってとびきり蠱惑的で、なまえは「はい」と小さく返事をするだけで精いっぱいだった。





「……っていうことがあったんだけど、どう思う?」
「……なまえ」

シャチがいつになく真剣な様子で口をひらく。なまえも真剣な顔をして頷く。ペンギンは、カフェテラスにて、その会話を聞いていた。ただ、聞いていた。口を開けばツッコミたくなり、そうするとまず話がすすまない。そればかりか、口を挟むとそれをきっかけに暴走列車のいきおいで話がそれていくからだ。

「おまえ試験のときあれだけド忘れするくせに、よくバルビツール系なんてとっさにでてきたな」
「……シャチ」

なまえが重々しく名前を口にするのをみて、ペンギンは慎重に会話の行方を見守る。「ちょっと!真面目に話してるんだけど」とでもツッコメ、ツッコむんだ、なまえと視線だけでエールを送る。しかし。

「やっぱりシャチもそうおもう?人間、土壇場につよいもんだね」
なまえが、自慢げな様子を隠しきれない、取り繕った真面目な顔をして頷くのをみて、シャチが目を輝かせる。
「まじか!なまえにとっては留年かかってる試験べつに土壇場じゃねえんだ!逆にすげぇよ!」

―――そうじゃねえだろ!そこじゃねえだろ!ペンギンは、このツッコミ不足の空間をどうにかしてくれと頭を抱えたくなった。かわりに「キャプテンも苦労してんだなあ」と胸のうちでぼやいて、遠い目をしてコーヒーを啜るのだった。


title by 星食

back


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -