きみに囚われゆく夜半


はあ、と吐きだした息は白く曇って、ゆらゆらと夜闇の中にとけていった。ドレークが、散漫に、視線を上にあげると、雲ひとつ遮るものない満点の夜空。冬島の気候にはいったのだろう、ツンと澄んだ空気は濃紺の夜空に星の光をあざやかに散らしている。ぽつねんと、船尾楼甲板の欄干に腕をゆるく組んで凭れ掛かりながら頭上にひろがる空間をみあげる。息を吐きだすたびにのぼる白い吐息は、ゆるやかな風に流されてすぐに消えゆく。微かに耳に届くのは、遥か眼下に響く波の音だけ。昼のうちまで久しぶりの冬島の気候に喜んでいた船員も骨の髄まで浸食するような冷気に飽きて、すでに中にはいったのだろう。視線をあたりに配ってみたところで、見張り台にぽつり、ぽつりと松明の火が灯されているだけだった。しかし、月が明るく物をみるのに不自由はしない。白い月光を反射して輝く海面が美しい。静かな夜だとおもった。しかしその静寂は、「ドレーク船長?」と遠慮がちな声によって破られる。

「………なまえ」

顔をのぞかせたのはなまえ。船は穏やかな波に揺られている。ドレークはひそかに眉を顰めた。

「こんな暗い中、ひとりで、危ないだろう。誰も止めなかったのか?」
声をひそめて真面目ぶって聞くと、なまえはくすくすと笑う。
「一番止めそうな船長がご不在でしたので。そのお言葉、そっくりそのままお返しします」

肩を竦めた。そういわれると詮方ない。口元に笑みを残したままのなまえは、隣に立つと「お邪魔してもいいですか?」とドレークを見上げて尋ねる。仕方ないと、大きく息をついて頷くと、なまえは顔をほころばせた。

なまえは、海賊船に囚われていた女だった。ある日、くだらない海賊船に囚われていたところを救ってやって、それから次の島まで、と保護していた。まともに統制もとれていない欲望のままに生きてるような海賊船に小競り合いを仕掛けられ、―――海賊として売られた喧嘩は買う――、無論のこと、勝負は呆気なくついた。

あまりに呆気なかったため、興奮も失望も何もなく、「こんなものだろう」と至極平静な心地だった。だからこそ気づいたのだろう。ゆるりと全体に視線をめぐらすと、船長室の小さな窓に女が映っているのがみえてしまった。その唇が「たすけて」と形づくるのも。放っておけなかった。

最初は、保護して、次の島で降ろしてやって、海軍の駐屯所にでも助けを求めさせればいいと思った。しかし、なまえは、生まれて初めて親をみた雛鳥のように、ドレークの傍を離れようとしない。他人に対する怯えが酷く、人が近付くと身体をこわばらせてしまうか、混乱が酷く落ち着かせるのに時間がかかった。その反応だけでどのような扱いを受けていたか想像に難くなかった。しかし最近は、ようやく落ち着いて、他のものとも口を利くようになった。それどころか、ふとした瞬間には他の船員と談笑もしている。――――頃合いだと思った。海賊船から降ろしてやって、なまえに穏やかで平和な暮らしを与えるときがきたのだと。

「冷えますね?」

気づくと思索に耽っていたドレークは、ふいに声をかけられて微かに動揺する。口元に両手を運んで息をふうと吹き付けながら、なまえはそうっとドレークとの距離を縮めた。ドレークは、近くなった距離に、内心戸惑いながら口をひらく。

「………次の島で、なまえを降ろしてやろうと思っている」
「…………えっ」

淡々と前をみつめる視界には、暗闇が満ちる甲板と、それを取り囲むように月光をうけて輝く海面がぼんやりと映っている。なまえの顔はみれなかった。

「海賊船にいる期間を、悪戯にのばしたところでなまえのその後に悪影響を及ぼすだけだ。本当は、もっと早くに降ろしてやればよかったと、後悔している」
「船長……」

傷付いたなまえの声に、ぞくりと肌が粟立った。薄暗い歓喜を抑え込んで、平静な顔を崩さないようにドレークは気をつける。

「わたし、船長と離れたくないです」

涙に震える声で、なまえがいう。「だが、」と口を開きかけて、ドレークは噤んだ。

―――なまえが、おれしか縋るものがなくて、震える身体を寄せるとき、暗い喜びと醜い独占欲を抱いていることに気づいてしまった。それを自覚してからはわざと距離を置いておいた。なるべくなまえと過ごす時間が減るように。手放せるうちに手放すべきだと思った。「よかった。幸せにな」と笑って見送れるうちに、逃がしてやろうと思った。それなのに。

「お傍においてください。悪夢をみなくなったのは、あなたのおかげなんです」

なまえはせっかくの、血が滲むようなドレークの努力を、ふいにしようとする。身体を翻して、ドレークの胸に飛び込むと、そのまま腕をまわして抱きしめる。両肩が小さく震えていた。泣いているのだろう、とドレークは思った。たまらず、息が荒くなった。腹の底から生まれる熱が身体を蝕んでいる。しかし、その震える身体に腕をまわしかけた中途半端な体勢で、ドレークは、ぴたりと動きをとめた。もう少し。もう少し紳士でありたかった。だから結局、何もいえず、何もできず、歯を食いしばって、ただ夜空をみあげて長く細い、吐息をはきだした。


title by 星食

back


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -