「…………なまえ。おれが、何故お前を呼びだしたか、わかってるよなァ?」
日頃、落ち着きない喋り方をするスパンダムの、珍しく、冴え冴えとした声が執務室に響く。天井が高く窓の大きな部屋には、白い陽光が日向をつくっているけれど、氷のはりつめたような剣呑な空気が満ちていた。動じた様子のないスパンダム――これもまた、珍しいことであるが―――と、表情一切を落として、顔を青くしたなまえの二人きり。執務机越しに、冷ややかな視線を注がれて、なまえの後ろ手に握りしめられた両手は小刻みに震えた。いつも、そそっかしい様子のスパンダムが、言い含めるように喋っている、それだけで、なまえは頭から冷水をかぶせられた心地がした。スパンダムが、怒っている。呆れたような溜息とともに、スパンダムがまた口をひらく。
「おれが、この任務に与えた期間は、如何ほどだった?」
なまえは唇を噛んで、俯いた。鼻の奥がツンと熱くなった。視界がにじんだけれど、唾をのんで誤魔化した。恥ずかしくて、情けなくて、消えてしまいたかった。黙ったままのなまえを前に、スパンダムはわざとらしい溜息をまた零す。
「………二ケ月。おれは、お前に、二カ月やるといった。この意味がわかるか?隠密も暗殺も必要としない大して難しくない諜報活動。それに二カ月もやるといったんだ」
スパンダムが、ゆっくりと椅子から立ち上がる。かたん、と床と椅子が擦れる音がした。こつん、こつんと靴底が鳴らす音がする。地面に落としたなまえの視界に、スパンダムの革靴の先がうつった。スパンダムの呼吸の音すら聞こえる距離。「そして、なまえが戻ったのが、昨夜。さて、お前がエニエスロビーをでてからどれくらい経った?」
静寂。痛い程の無音。なまえは、酸素が急に薄くなった気がした。舌がたまらなくかわいて、無理に唾をのみこむ。その間も、スパンダムは黙ったまま。ちゃんと答えるまで、何もする気がないのだろう、となまえは思った。きっと、これは罰なのだろう、と。ぎゅうときつく瞼をつぶると、目の端に涙が堪った。
「二カ月と、二週間、です」
なまえは、思い切って顔をあげて、スパンダムと視線をあわせた。その瞬間、視線が揺らいだ。濃い隈に縁どられた涼し気に切れた瞳がなまえをじっとりとみつめている。その真剣な視線に、慌てて口を開く。震えた唇がつくる声はやはり相応に震えて情けなかった。
「でも、海列車の、チケット手配が遅れたのは、わたしの責任では」
「言い訳なんざ聞いてねぇんだよ」
冷ややかに言い放たれて、言葉に詰まった。
「才能ねェよ」
―――やめちまえ。言外にそういわれている気がした。きっと、そう続くであろう言葉を聞きたくなくて「でも、やめません、わたし、」。瞳にいっぱいに涙をためて、なまえがスパンダムを見上げる。
「長官のお役に立ちたいんです」
わたしは長官が好きなんです。と、その気持ちは伝えられなかった。否定されるのが怖かった。ただでさえ、役立たずと罵られている。解雇されないだけで感謝しなければいけないのに、長官に好意を抱いている、なんて、あまりにおこがましいと思った。隠さなければ、いけないとも。
また俯いて黙ってしまったなまえを前に、スパンダムは、眉間に力を籠めて目を細めた。そうっとなまえの後頭部に手をそわして、胸元に抱き寄せると、なまえは素直に胸の中におさまった。緊張の糸が切れたのか、身体を震わして、微かに咽び泣くような声を漏らしている。スパンダムはシャツに、じわりと暖かな染みが広がるのを感じた。片手を後頭部にそえたまま、落ち着かせるように、なまえの背を撫でてやる。言い過ぎた、とスパンダム自身も思っている。胸に広がるのは苦い後悔。怒りに、つい我を忘れてしまった。だが、どうしようもなかった。――――この二週間、気が気ではなかったのだ。先に神経がやられてしまいそうだった。職権濫用といわれようが、なまえはそこそこに優秀だと評判があろうが、割り振る任務を、わざと、必要以上に簡単なものにしている。なのに、なまえは予定通りに帰ってこなかった。なまえの身に何か起きたのかと、一日一日過ぎるごとに気が狂うかと思った。
「…………本当におれのためだというのなら」傍にいて欲しい。だが、それはいえなかった。胸の内に、任務をまっとうに遂行できずに、責任を感じて泣くなまえを抱きながらいえるほど、無神経にはなれなかった。
title by 星食