捕食者は最後に微笑む

夜の訪れることのない不夜島、エニエス・ロビー。彩度の低い真白な陽光がたえず人々の上にそそがれるその光景は、司法と正義が安寧と人民を見守る象徴であるようにおもえる。

だが、そんな不夜島では、人は、完全遮光カーテンの助けがなければ安眠を貪ることもできない。人工的に暗闇をつくってやるしか方法がない。ゆえに、就寝時間の管理は、ここに住むものにとって大事なことだった。―――だから、なまえは、電気を消してようやくベッドにはいろうかと思ったころ、けたたましく鳴らされたドアベルに露骨に嫌な顔をした。こんな時間に訪れてくる人なんて、なまえはひとりしかしらない。不機嫌さを全面に押しだしてのっそりとドアをあけると、やはり、そこには予期していた顔。

「ジャブラさん……、こんな夜更けになんですか……。また酔っぱらっての愚痴ですか。ギャサリンにふられたって話なら、わたしもう聞きませんよ、寝るところなんですから!」
「おう、邪魔すんぞなまえ」
「ちょっと人の話聞いてくださいってば、あっ、勝手にはいるな!」

遠慮もなしに人の部屋にはいりこむ広い背中をみて、なまえは溜息をつく。仕方ないなぁと消したばかりの照明をつけてやる(ただし、目に痛いので橙色の間接照明にした)。なまえは結局、ジャブラに冷たくしきれない。最後には甘くなってしまう。ジャブラもそれをわかって、なまえが怒らない境界を見極めながら甘えている。

世界政府直下諜報機関として暗躍するジャブラとなまえが、こうして気軽に喋る――だけでなく、深夜に訪問する・されるほどの仲になってからだいぶ経つ。闇の正義の顔を持つ諜報機関に属するジャブラは一般的に敬遠される存在であるはずなのに、一介の給仕であるなまえと酒を酌み交わしつつ愚痴を零すようになったきっかけは、ギャサリンの前の前の前(くらい。ジャブラは信じられないほどよく失恋する)に懸想していたことにある。なまえが、ちょうどジャブラの想い人と親しくしていたためだった。

「あのよォ、ア、アリーシャって、その、好きなやつ、いるのか……?つーか、どんな奴がタイプとか、教えてくれねェか……」

ジャブラのことを、なまえは、ただ、冷たい人だと思っていた。冷たくて近寄り難い人だと。与えられた仕事を確実にこなすという噂と、獣を思わせる鋭い視線のせいで怖い人だと思っていた。けれども、頬を染めて言葉を詰まらせながら、アリーシャのことを尋ねる様子は正直ちょっと間抜けだったし、よくよく話してみると、長官を筆頭に癖の強いCP9を文句をいいつつもきちんとフォローしている影の功労者だということがわかった。時々、空気が読めない失言とあからさまな嘘をつくけれどそれもなまえには、年のわりに可愛らしく映る。

人の部屋のソファに我が物顔で腰を下ろして、ジャブラは溜息をついた。なまえが、ローテーブルに氷のはいったグラスとウィスキーのボトルをおいてやると「悪ィな」と小さく礼をいう。なまえはホットミルクのマグを両手でつつむようにしてもって、ソファの隣にあるベッドに座る。ジャブラの隣に並んで座るのは、変な気がした。小さなソファではどんなに身体を縮こまらせても肩が触れ合ってしまう。外には沈まぬ太陽があったとしても、時刻は夜なのだ。

「今日は別に、ギャサリンの話じゃねェよ。ギャサリンは、……まあ、もう、いいんだ」

突然の話になまえは括目して、瞬きを繰り返した。珍しくジャブラが弱気なことをいっている。「諦める」なんて、執念深いジャブラには似合わないと思った。

「突然どうしたんですか?この前は、もう何回もふられてるけど諦められねえって、くだを巻いてたじゃないですか」―――そうだ、あのときのジャブラは面倒くさかった。心底面倒くさかったと、当時を思い出してなまえは微かに眉を寄せる。翌日眠い目を擦りながら仕事にでた。廊下ですれちがったジャブラはいいたいことを吐きだしたおかげか、やけにすっきりした顔をしていて憎らしかったことを憶えている。

「いやァ、な。まあ、別にいいだろ」

ジャブラは照れくさそうに顔をそらした。後々恥じ入るくらいなら、酔って人に絡むのをやめてほしい、と思いながら、なまえはマグにはいったホットミルクを口に含む。ジャブラにつきあって酒を飲む気はさらさらなかった。明日も勤務があるのに、話につきあってるだけで大分甘くしている。それは、ジャブラもわかっていることで。

「なまえも、ルッチみたいのが、好きなのか?」

その言葉に、またですか、となまえは内心溜息をついた。いや、溜息だけではなく「またですか」と実際、呟きもした。また、そんなことが気になりだしたんですか、と。そもそもギャサリンが面食いなのは前からわかっていたことじゃないか。ルッチの場合、顔がいいだけでなく立ち姿も洗練されていて、さらに仕事もできると評判だけれど、それはいってやらない。

男は顔じゃねェだろ、という悔しそうないつもの反論がいつまでたっても聞こえてこないことを不思議に思い、ジャブラの表情を伺うと、緊張が雑じった想定外に真剣な顔をしていて。そんなに真面目に思い悩むほどに落ち込んでいるのだろうか、となまえはたじろいだ。

「つーか、なまえって、好きなやつ、いるのか?……やっぱり、ルッチみたいなのが好きなのか?」

気まずそうに、頬を指で掻いている。ぎくしゃくと可笑しな様子のジャブラになまえは戸惑う。それにしても、やけにルッチにこだわる。……まあ、あれだけ何度もルッチを理由にふられているから仕方がないのだろうか。それほど、ルッチは給仕の女子の間では、憧れの的なのだ。

「ルッチさん、少し、怖い感じですよね。触れなば切れん的な風情があるというか、近付き難いというか」と、すなおな感想をいってやると、途端、ジャブラは形容し難い微妙な顔になる。

「ルッチは……剥き出しのナイフみたいなもんだからなァ。ありゃあ、大人になる過程で鞘をなくしちまったんだ。悪気はないんだが、人を遠ざけちまう」

視線を落として、グラスの中で揺らめく光をジャブラはみつめる。グラスを持つ手を傾けられ、カランと氷が鳴る硬い音。

「弱い奴は、傍にいるだけで傷つけてしまう。それを本人もわかっていながら、どうする気もねェんだ。本当は止めてやれればよかったんだが――ルッチの強さがなまじ尋常じゃないだけに、どうしようもない。剥き出しの刃が研ぎ澄まされて、まわりの奴等を遠ざけていくのをみながら、何もしてやれねェ。………いや、そもそも、そこまでおれがお節介をやいてやる義理なんざねぇんだが」

途中で、いっていて恥ずかしくなってきたのか、誤魔化すように歯切れを悪くさせ、いきおいよく酒をあおるジャブラ。なまえは内心驚きながら、じっと話を聞いていた。ルッチとは、大人げのない理由でもって小競り合いを繰り返しているのを聞いて、てっきり仲が悪いのかと思っていたのに。なんて不器用な優しさを持っている人なんだろう。

「ジャブラさんは、ルッチさんのこと、大事にしてるんですね」
「ハァ?」

んなことねェよ!と慌てるジャブラを前に、なまえはクスクスと笑いつづける。暖かくて不器用で優しい人だと、本当は、なまえはジャブラを好ましく思っている。こうして深夜の訪問を心底迷惑だと思わないほどに、甘えられるのを良しとしている。満足するまで笑ったあと、ベッドに座ったまま腕をのばして空になったマグをテーブルにおくと、ふいにジャブラと視線をあわせた。

「そういえば、結局、今日は何の御用なんですか?」
「なまえ、実は、おれはもうギャサリンに恋してねェ」

あまりに突然の告白に、なまえは驚きに言葉すら失う。あれだけギャサリンギャサリンうるさかった男が何をいいだすのか。今夜の訪問もきっと、ギャサリンに何かいわれた―――いつものようにつれなくされただとか冷たくされただとか――かと思ったのに。お得意の、あまりに白々しい嘘だろうか、と疑い始めていたとき、語頭をつまらせながらジャブラが口を開く。

「やっと気づいたんだ。ギャサリンにつれなくされても、ちっとも悲しくないってことに。………それどころか、これで、なまえに泣きつく口実ができたと、内心ほくそ笑んでることに気づいちまった」
「……えっ?」

なまえは、ジャブラが何をいっているのかわからなかった。ギャサリンに冷たくされるたびに面白いくらい落ち込んでいたのは、誰だったのか。あれはすべて演技だったというのか。

「我ながら、いつからだか、わからねェが……そりゃ、おれだって最初は「そりゃねェだろう」と思ったさ。だが、最近は一人で飲んでても、考えることといやぁなまえのことばかりで、いっそギャサリンがまたおれに冷たくしてくれれば堂々と会いにいけんのに、だとか考えて、それで、やっと……、やっとなまえが好きだとわかった。………今日は、お前に告白しに来たんだ、なまえ」

緊張に強張った顔。肌が灼ける様な熱っぽい視線をそそがれて、なまえは腹の底から茹るような心地がした。ジャブラが空のグラスをローテーブルに置く音が静かな室内に響く。居住まいを正して、まっすぐになまえに向かう。ジャブラがはなつ濃い熱意にあてられ、なまえは眩暈を感じた。

「おれは、この年になって初めて、今まで相手の顔ばかりに恋してたってことに気づいたんだ。なまえはギャサリンを面食いだといったが、おれも、人のことちっとも文句いえなかった」

「いきなり何をいいだすんですか……!」と、なまえはすっかり混乱して思考が追い付かないままに、それだけいうと、ちょっと待ってと、顔を両手でおおうと伏せてしまう。ジャブラは、ソファから立ち上がり、なまえの膝元にかがみこむとゆっくりとした動きでなまえの片腕をつかみ、隠す顔をあらわにさせる。視線が重なったことに動揺したなまえが反射的に瞼を閉じかけると、穏やかな、それでいて真剣な声がする。

「なまえ、こっちみろよ。おっさんは嫌いか。ほら、もう35になるが、そこいらの奴より鍛えてあるし、腹だってでてねェ」

いったいどこのそこいらの奴が、ジャブラより良い身体つきをしているというのだろう。と予想外の言葉に拍子抜けした。そういう問題ではないだろう、と。けれど、すぐに、ジャブラがなまえを落ち着かせようとしているだけということに気づく。やはり、ジャブラは大人なのだと、こういう瞬間に実感する。

「頼む、」

瞳の奥の、その奥にある感情まで見透かそうとするように、熱心にジャブラはなまえをみつめる。なまえはごくりと唾をのみこんだ。甘くて優しいホットミルクの味が残っている気がした。

「……無理に、今すぐとはいわねェよ。だが、考えといてくれ。おれは、なまえが、好きだ。本当に、嘘偽りはねェ」

ジャブラが口元をゆるめて、ふいに緊張した空気が融ける。なまえは何もいえないまま、ただ忙しない瞬きを繰り返している。

「突然すぎて、信じられねぇよな。なんなら、ケジメつけるってんで、「ずっと、好きだった」ってギャサリンに告白もしてきた。また、盛大にフラれたが」

肩の荷が下りた、とばかりに、軽々と伸びをするように立ち上がると、ぐしゃぐしゃと乱暴になまえの髪をみだす。「ま、もし駄目でも、覚悟しとけよ。おれはご存知のとおり、諦めが悪ィから」と楽しげにいうジャブラの顔を、なまえはみれない。

軽やかな足取りでなまえの部屋をでていく際に、「戸締りしとけよ」なんて場にそぐわない間延びした声をききながら、なまえは、高まる心臓をおさえながら、今日も寝不足になりそうだと思った。




title by カカリア

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