needless to say

*七武海前設定。



「…………今晩は、御嬢さん」

賑やかな酒場でも、その男の声はよく響いた。わたしは、目の端で、低く落ち着いた声の持ち主をとらえる。まず、視界にはいるのは、足元。金の金具のついた洒落た革靴。ゆっくりと視線をあげていくと、つややかな黒の毛皮のコートが揺れる様子が映る。

―――そこに誰がいるかは、わかっている。わかっているからこそ、視線をあわせたくない。クロコダイルなんて、鰐を名に戴くくせに、蛇のように狡猾な男は、名前にふさわしく獰猛な目をしている。

「………その呼び方、やめて」

それは、ささやかな、けれど、精一杯の反抗だった。クロコダイルが、静かに笑う声がした。眉を、ひそめる。小馬鹿にされていると思うと、とても愉快とはいえなかった。いくら足掻いたところで、敵わないことくらい、わかってる。けれど、従順になる程弱くもなく、毅然としていられるほど、強くもしたたかでもない。海軍の中でも、ただの一兵卒になぜ、目をつけたのか、理解に苦しむ。この執着は、何なのだろうか。利己主義の権化のような男の気まぐれだろうか。

何が愉しいのか、クロコダイルがまた、笑う。底意地の悪い笑い方だった。許可も求めずに、隣の席に腰を下ろす。酒と人の声と喧噪が支配する酒場の一画。喧噪からそっと離れた薄暗い席にふたり。逃げだしたい、けれど、逃げだすには、人の笑い声が響くここは、少しばかり差し迫った緊迫感が足りない。

「お嬢さんは、つれねぇなぁ」
「………その呼び方、やめてって、いったでしょう」
「相変わらず、強情なことだ。おれが、これだけ真摯に頼んでるっていうのに、酷えなァ……」

クロコダイルが、演技じみた台詞回しで薄ら寒いことをいったかと思うと、仕上げとばかりにわざとらしい溜息をつづけた。背筋が嫌な予感で粟立つ。ぞわりと、冷たい何かが肌の下を這いずりまわるような感覚。クロコダイルと相見えるたびに襲われる。外見は、洒落て気取っているくせに、内側は、ドロドロと欲望が渦巻いている。この男は、海賊だということを、嫌というほど思い知らされる。

「………頼むって、わたしに、何を?」
「とぼけんじゃねェよ。人が、これだけ正攻法に“お付き合い”を申しこんでるっていうのに、なまえは、つれない返答ばかりする」
「……何いってるのか、わからない」

クロコダイルが、囁くように声を低めた。自信と余裕に満ちた声が、至近距離で響く。

「金はある、力も能力もある、―――じきに、権力もついてくる。何が望みだ?望むものを手にいれてやる、それだけの力がある」

だから、おれのものになれよと言外に告げる態度に、唇を噛む。か細く息を吐いてから、目を伏せる。驚きに、微かに息をのんだ。最近、まことしやかに囁かれるこの男の、七武海入りの噂は、つまり、真実ということなのだろう。机の上で、両手を握りしめて、それに視線を落とす。

「わたし、そんな風にして手に入れられるもの、欲しくない……」これでも、海兵の端くれだから。という台詞は胸の中に呑まれて消えた。海賊であるこの男を、捕えるだけの強さを持てなかったわたしが口にしていいのか、迷った。

「………これ以上待てるほど、おれは辛抱強くねぇんだよ。……なまえ」

――いつも、わたしのこと、御嬢さんというのが、クロコダイルの癖だったはずなのに、名前を呼ばれた。そこに違和感を覚え、顔をあげる。そこにあるのは、眉を顰めて、苛立ったような表情を浮かべたクロコダイル。視線があうと、背筋に痺れが走った。必死な顔をしたクロコダイルをみるのは、初めてのことだった。

ごてごてとした指輪で飾られた、節くれだった手が、わたしの手をつかむ。その熱に、心音が痛いくらい大きくなった。

「なまえが、欲しい。だから、いい加減、諦めろ」

おれは、諦めも悪い性質でね。最後だけ、取り繕ったように余裕のある台詞で、首を傾げてみせた男に、敵う筈もなかったのだと。その夜、無駄な抵抗を諦めた。

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