memoria

夜闇を吸い込んだような黒髪に、片耳に光る金のピアスが綺麗に映えた。雑踏の中で、ひとり、背景から切りだされたような雰囲気がある人だった。カジュアルな服装の多い人混みの中にいて、仕立てのよい洒落たスーツを身に纏い、唇に挟んだ葉巻からは薄い煙がふらふらと覚束ない様子でのぼっている。まるで、現世から切り離されて、どこか別の世界に生きているようにみえた。

そんな人が、こちらをみた瞬間。少しばかり垂れた、切れ長の目がすぅと細められる。口端はゆっくりと持ちあがり、緩やかな弧を描く。それがあまりに鮮やかで、笑っている、と気づくのに、数秒を要した。その間に、男はゆったりとした足取りで歩み寄る。

あらためて、目の前にたつと、背丈の大きさに圧倒される。嗅ぎ慣れない、おそらく海外製の特徴的な香水のにおいがふわりとあたりに漂った。

「―――なまえだろう?」

なんで、わたしの名前を知っているんだろう。そんなことを疑問に思いながらも、夢見心地で頷く。ほうけたままのわたしに、男は、不審げな様子で眉を顰めた。

「おいおい……わざわざ日本まで追っかけてきたんだ、もうちっと嬉しそうな顔してもいいんじゃあねェか?」

それからまた、片頬を歪ませて笑みを浮かべた。その皮肉気な笑みに、チリと脳内で薄れた記憶が疼く。こういう笑い方をする人を、わたしは、多分、知っている。

男の言葉は、流暢ではあったが、微かな違和感があった。意識しないと聞き逃してしまうような、癖といってしまっても差支えがない程の、小さなものではあったけれど。頭を必死に動かして、頼りない記憶の糸をたどる。

ちらりと男の顔を盗み見る。冷たい双眸は、全体として薄い黄色で、虹彩のあたりだけに緑が滲む。静かな眼だった。けれど、奥底には何かが揺らめいている。

こういう目をした、寂しげな青年を、知っている―――――

「クロコダイル……?」
「Si(スィ)。たいした手掛かりもなかったせいで、探しだすのに随分と苦労した」

ぽつりと零れ落ちた名前は、かつて、両親の仕事の都合でイタリアに住んでいたとき、知り合った男の名だった。随分と時を経てしまったけれど、口にしてみるとすんなりと馴染む名前。見た目が違う――アジア人だから、という理由で孤立していたわたしを、慰めるでもなく、ただ寄り添うように傍にいてくれた。うまくコミュニティに属せず、同じく孤立していた青年。

「どうして、日本に……?」
「最初に、いったろう」

名前を呼ばれて、イタリア語で肯定してみせた男は、長い吐息とともに煙を吐きだした。その仕草は嫌に様になっていた。ふわり、と視界が白い靄につつまれた心地がした。

「なまえを追いかけてきた、とな」

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