懐柔

やわらかそうな唇だとおもった。葉巻をくわえて、微かに開いた隙間から、煙が、こぼれおちてはゆらゆらとあがっている。ひろいソファにゆったりと深く腰をおろして、物思いにふけるように悠然とした様子で。クロコダイルが、こうして口を噤んでいると、それだけで近寄りがたい雰囲気があった。声をかけられないと、この、たった数歩分の距離を埋める勇気がでないほどに。知らずに身体をかたくさせる緊張に、しっとりと背中に汗が浮いた。

近づきたい。そばにいきたい。―――触れたい、そして、叶うなら触れてほしい。

そんな逡巡を抱えて、ひとり、クロコダイルをみていた。けれど、呼吸にしたがって、うすい紫煙が、濃淡を描きながら空気にとけていくのを、詮方なく目で追うだけ。

「……そんな、中途半端な位置につったってんじゃねぇよ。気が散る」

ふいに、静寂をやぶるように、こちらに視線をよこしもしないで投げられたひと言。それに、肌にびりりと小さな電流が走った。緊張感に身体が瞬間、凍ったようになる。まるで足が床にはりついてしまったみたいに、動かせない。呼吸が自然とはやまる。血液の温度があがった気がした。

相変わらず、返事もしなければ反応も返さないわたしに苛立つように、クロコダイルがまた、今度はこちらをみて、いう。眉が顰められ、少しだけ不機嫌そうに。

「こっちに来るか、それとも、おれの視界から失せるか、どちらかにしろと、いったんだ」

わたしは泣きそうな気分で、顔をふせて、――なるべく、クロコダイルの顔をみないように、そうして、泣きそうな顔をみられないように、やっとのことで足を動かして、ソファの、クロコダイルの横に座る。部屋をでたところで、わたしに行くあてなどないのだから。そして、そのことを知っているくせに、クロコダイルはそういう意地の悪いことをいう。

クク、と喉をならして笑う声がする。視線をあげると、クロコダイルが愉快気に笑っていた。

視線があう。感情を上手に隠した、理性的な瞳だった。薄い色をした飴玉のように、綺麗に透きとおる黄色の瞳は、は虫類を思わせる。しかし、それが悪戯に、笑みの形に細められるだけで心臓がどくりと脈動する。理知的な色が一転、獰猛さが浮かびあがり、心臓はとうとう壊れたように脈打ちはじめる。

「構ってもらいたければ、そうといえばいい。おれが、好きで傍においてんだ」

低い声が、笑みを消した顔から、零れる。重みのあるその声は肌を震わせ、わたしの身体を奥から揺らす。わかった。そういう意味で、こくんと小さく頷く。クロコダイルの、節くれだった、長い指がわたしの髪を、ひと房、遊ぶように掬ったと思うと、耳元をくすぐり、優しく髪をすいていく。

「………いい子だ」

冷たい表情のまま、すうと細められた目をしたクロコダイルが、頬をつたって、指先で顎をすくう。顔をあげさせられて、視線がぴたりとあう。怜悧な、しかし奥底に熱を隠した瞳に、唾をのみこむ。なぜか、不安な、落ち着かない気持ちになる。何もされていないというのに、みつめつづけることが恐ろしくなり思わず目を閉じてしまった。

指が顎から離れていく。そうして、今度は唇に、やわらかい感触。―――やわらかそうな唇。そう思った、クロコダイルのそれがわたしのものに重ねられている。少し乾燥して、薄い。

何をするわけでもなく、ただ、あわせられるだけの唇。それは、熱を共有するような、やさしいものだった。

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