わずかでも甘さをみつけたら

「ちょっと!エネルさん!しつこい!」

いつも穏やかな様子で、どこか遠慮がちに話す彼女が、声を荒げるのを聞くのは、その日が初めてだった。

とうとうなまえさんの堪忍袋の緒が切れたということを知ったときの、まわりの大方の意見は、「よく耐えた」だと、わたしは思う。そんな感想を抱かざるをえないほどの様子だったのだ。―――ああも四六時中、存在感のある人にまわりをうろつかれては、落ち着く暇などあったものではないだろう。人間、適度にひとりでいる時間が大事だよなぁ、と、みな、こっそり思ったに違いない。

そして、それが昨日の朝の話。

ちょうど、なまえさんが朝食を食べ終わるかというころを見計らって、いつも暖かいお茶をだしにいくのだけれど、そっと扉に手をかけた瞬間。なまえさんの叫ぶ声が聞こえた。わたしは、びくりと身体を竦ませ、手をとめる。それから、息を殺して部屋の中の気配を伺った。何かが、あきらかに、おかしい。

最近、なまえさんがこちらに慣れた様子をみせつつあるせいか、どうも神は……こんな言い方をして不敬にあたらないか不安で仕方ないが、嬉しくてたまらないようだった。

隙さえあればなまえさんのまわりをうろつき、暇さえあればなまえさんに「腹は空いたか、これは食うか、あれは飲むか」と、貢ぐ、もとい、世話を焼き、声をかけるきっかけを探し―――――まるで、構って欲しくてしょうがない犬のようだった。

もし、まったく関係のない完全な他人事なら微笑ましく思える光景だけれど、あまりに相手が悪い。機嫌ひとつで人ひとり、空島ひとつ、跡形なく消し去れるエネル様は神に相違なく、そして、そんなエネル様を「微笑ましい」なんて余裕をもって見守れる余裕があるスカイピア住人は存在しないだろう。

いつも、何が起こるのか、戦々恐々としながら見守る、という名の、遠巻きに心の中でなまえさん頑張ってエールを送る日々が続いていたのだが、ついに、なまえさんがキレた。そして、わたしは運が悪いことにその場に立ちあってしまった。

身体を硬直させたまま、なるべく気配を消して(といっても神の心綱の前に意味はないのだけれど)、音をたてないように、じっと縮こまっている。いったい何が起こっているのか、詳しいことはわからないけれど、異常事態であることに間違えはなさそうだ。だって、

「………そ、れは、すまなかった」

神が、あの神が、謝った……!天上天下唯我独尊、冷酷無情傲岸不遜な、あの神が!わたしはそれだけで驚いて小さく声をあげそうになり、慌てて手で口をふさいだ。

そして、それが、昨日の朝の話。それからの神は、おもしろいくらいわかりやすく落ち込んでいた。ちょっと「しつこい」といわれただけで、こうも落ち込むのか、というくらい落ち込んでいた。もうとっぷり日も暮れたというのに、島雲でできたソファでいまだにふて寝なさっている。神の社の中央に位置している場所で拗ねられている。よりにもよってそんな日に、お側仕えをしなければいけないなんて、神経がどれだけ太くたって足りない。きっと物凄く運が悪い週に違いない。無事に今日という一日を終えられるといいなぁ。そんな風に思っていたときのこと。

向こうの廊下から、なまえさんの姿がみえて、わたしはほっと胸を撫で下ろす。なまえさんは、神に視線をちらりとやって、それからわたしに気づいて小さく微笑んだ。

「エネル……さん?」
「…………さんづけは嫌だ」

「………エネル?」

なまえさんは、気まずそうに視線をさまよわせてから、歯切れ悪く、ぼそりと呟く。その様子で、わたしは何となく察した。ふたりの間で話がこじれた原因は、たぶん、この呼び方の問題だろうと。

「……なまえ」

相変わらず、神はクッションに顔を埋めてかたくなになまえさんの顔をみようとしない。けれど、わたしには神についているみえないシッポが全力でふられているようにしかみえなかった。すでに声に喜色がにじみでている。そんな拗ねてるふりをしてもしょうがないのでは、というほど。

「……もう、怒っていないか?」
「うん、怒ってないから……ごめんね。これからは、その、ふつうに呼べるように、頑張るから……」
「……なまえ!」

ようやく顔をあげたかとおもった神は、そのまま身体を起こし、なまえさんのもとへ跳んだかと思うと、ぎゅうと抱きしめた。それをみて、わたしは静かに一歩後ろに足をひく。そそくさと退散してしまおうという算段だ。

このまま、なまえさんに任せておいたら、なんとかなるだろう。なんだかんだ結局、なまえさんは神に甘いのだから。

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