クロコダイルが笑った。ニィともニンマリとも形容し難い、けれど、愉しそうな笑みだった。
わたしは、壁を背にする形で、クロコダイルに縫い付けられていた。クロコダイルの身体がすっかりわたしを覆ってしまう。背の高い身体の腰を折って、わたしの顔を覗き込むものだから、額がぶつかり鼻先が擦れ合いそうな距離になる。瞳を細めて薄い唇をつりあげた表情は、お世辞にも決して人相が良いとはいえなかった。どちらかというと、悪巧みでもしているような顔だ。悪人面とでもいえばいいのか。
それを、わたしはただただみつめている。ぽかんと半開きの口で、きっとマヌケな顔をしているとおもう。呆気にとられてしまってる。だって、こんな顔をしたクロコダイルははじめてみた。ぱちぱちと意味なく瞬きを繰り返す。
「我慢というのは、どうやら………あまり、性に合わなかったらしい」
そういってくつくつと喉の奥をならして笑う。こんな愉しそうな顔をしたクロコダイルは、はじめてみた。いつも何か小難しそうな顔をして眉間にたっぷり皺をよせていたというのに。
「―――なまえ、運が悪かったと、諦めろ。おれは、お前を諦めることを諦めることにした」
音もなく距離をつめたクロコダイルと、こつんと鼻が触れ合った。くすぐったさと、気恥ずかしさに顔を右によじると、わたしを閉じ込めるクロコダイルの左腕にあたった。左の肩口のあたりにクロコダイルの顔が落ちてくる。まるで、首筋に噛み付くようだとおもった。
クロコダイルの高くて形のよい鼻が、今度は首のところをくすぐって、背中がぞくりとした。ハァ、とクロコダイルの熱い吐息が肌を震わせる。顔を右に向けたまま、ぎゅうと目をつぶった。心臓がいきおいよく血液を全身に送りだしている。視界が白くそまっていく。胸がうるさい。
わたしが逃げないことを認めたのか、塞ぐように壁にあてられていたクロコダイルの両腕が、ゆっくりと腰にまわされる。おもわず、詰めていた息を吐いた。最初はそっと包み込むようだった抱擁が、次第に力強いものへとなっていく。腰が引き寄せられ、ふたりの身体の間に距離がなくなる。すべての熱が共有される。
すん、と犬が泣くように鼻をひくつかせると、オーデコロンのかおりが鼻腔をくすぐった。甘いにおいと葉巻のにおいが交ざって、クロコダイル独特のにおいがした。熱い体温が触れ合う場所から伝染していく。じわり、じわりと脳髄が融けていく。ドロドロの脳では何も考えられない。
「代わりに、飛びきり大事にしてやろう。なまえが、もうやめて、と悲鳴をあげるほど、胸焼けがするほど、大切に甘やかしてやる」
だから、おれのものになれよ―――威圧的で高慢な言葉なくせに、懇願じみた口調のそれは、クロコダイルが、首筋に唇を埋めたまま呟くものだから、身体の奥までに響いてずくりと甘く腰を疼かせた。