SETTE

「Ho voglia di te, Mio amore,
Tu sei quella che stavo aspettando」
「君が欲しい。ずっと待ち望んでいた」


酔いに顔を紅くしたなまえとふたり、店をでると、夜空に浮かんでいたのは明るい月。街灯がなくても、隣を歩くなまえの横顔がはっきりとみえるほどだった。

雲ひとつない澄んだ空。月の存在に小さな星々の光は散らされ、濃紺の夜空を切り取るように真円だけが浮いている。なまえは、そよぐ夜風に吹かれ、心地よさそうに目を細めている。

―――帰したくない。いま、隣にいる、火照り赤らむ頬を冷やすように風を味わうなまえを、このまま帰したくなかった。

胸底からつきあげるような切情だった。紳士的であろうとする己との葛藤が理性を揺らす。日頃、人にたいして興味を持たないくせに、こんな熱がひそんでいたとは、驚きである。

勿論ケーキ屋に行けば会えるだろう。また誘えばいいだけの話。感触は良好だ。無理をいって引き留めるべきではない、わかっている。―――それなのに、帰したくない。感情が理性を凌駕する。

おれは、これほどまでに堪え性がなかっただろうか。それほどまでに、惹かれているということなのだろうか。気づかぬうちに、片手が首筋をなでていた。体温が幾分か低い指先になぞられ、皮膚がぞわりと反応する。息を吐いた。おれは、緊張でもしているのか。

誤魔化せないのだ、結局。先延ばしにしたとこで、しょうがない。感情が、捌け口を求めて荒れ狂っている。





「………ひとつ、告白をしていいか?」

唐突に切り出した話だった。はい?と語尾をあげながら振りむくなまえ。その唇に微かに浮かぶ笑みに背中を押されるようにして、覚悟を決めた。

なまえを誘い、ひと気のない、静まり返った駅前のベンチにふたり、腰をおろした。膝に肘をついて、両手を軽く握りあわせる。相変わらず、指先は冷えている。ほぐすように、指で手先を擦るが、乾いた小さな音がするだけで助けにはなりそうにはなかった。

言葉がでてこない。もどかしい。日本語とは、こんなにも気持ちをありのままに伝えるのに適していない言語なのか、………いや、己の不慣れのせいか。自嘲的な笑いがでる。仕方なく、目線を手元に落としたまま、話し始めた。

「初めて、おれに声をかけた日のことは憶えているか?」

口をついてでた言葉は、予想外にあっけないものだった。これが、伝えたいことなのだろうかという思いに眉間に皺が刻まれた。だが、いうしかない。いわなければ、伝わらない。

「おれは、憶えてる。鮮明に。………こんなことをいって、信じられない、馬鹿らしいと笑うかもしれねェが、あの瞬間、惚れちまったんだ」

唾を飲んだ。伝わっただろうか、こんな稚拙な言葉で。ギリ、と口惜しくて歯を噛む。もっと、熱い思いは胸の中に渦巻いている。だが、それがどうしても言葉にならない。言葉にする術を知らない。

いや、正確には、言葉にはできる。だが、それは、日本語ではない。混乱と衝動にまかせてなまえの身体を引き寄せた。

おれは、いったい、何をしているという焦燥と、勢いのままに想いを吐きだしてしまえばいいという自棄とが一瞬、せめぎあい、後者が前者を圧倒した。

耳元に唇を寄せる。胸の中で逆巻く思いを声にのせるつもりで。言葉の意味が通じなくても、せめて、言葉の温度が伝わればいい。この熱情が。この恋慕が。

「Mi rendete il tatto come nessuno altra donna mi ha reso il tatto prima. Amore, amore, che schiavitù l'amore……」
「え……?」

戸惑い、身体を離すように動いたなまえの身体を、片腕をまわして制止する。強い力で抱き寄せると、無抵抗に身を任せてきた。さらに熱がたかまる。血液が沸騰するように、全身を熱くさせる。

「Ho voglia di te, Mio amore, ………Tu sei quella che stavo aspettando」

思いの丈をぶちまけ終えたあと、ふと訪れた沈黙。言葉の余韻が消えれば、消えるほど、高鳴る心音が煩わしく思え、身体をゆっくりと離した。真正面からなまえをみつめる。

赤らんだ顔は、けしてアルコールの所為だけではなさそうだ。なまえの頬に片手をすべらせて、やわらかな感触を手のひらで味わうように撫でる。そのまま、首の下の皮膚をなぞり、首筋をなでた。どくん、どくんとなまえの心臓が脈打つのが、指先から伝わる。

「なまえが、好きだ」

触れ合うと、身体が熱を増す。「好きだ」と、もう一度、今度は顔をよせて吐息がかかる距離で囁く。皮膚の下で血液が騒めいている。

浅い呼吸を繰り返すなまえの唇は、なんと甘い誘惑なのだろう。

先ほど、頬にくちづけたときの、肌のやわらかさが甦る。喉を鳴らした。視線を逸らす。そうして、耐えた。眉根に皺がよる。初対面に近い男に、熱烈な愛の告白を受け、戸惑っているはず。わかっている。だが、わかっていて、止められなかった。そして、その帰結が現状である。

だが、不思議と、なまえとは同じ想いを共有しているように思える。夜の暗闇でもわかるくらいなまえは紅い顔をしている。その顔に、嫌悪感はみえず、寧ろ、逆の感情が浮かんでいるようだ。


「………クロコダイル、さん」

なまえがおれの名を呼んだ。砂糖菓子のように甘く響く声。その先に続く言葉は、きっと、同じくらい甘いのではないだろうか。それを、聞くまで、なまえに口づけるのは、我慢しよう。甘いドルチェは、メインディシュの後、最後の最後のお楽しみだから。

だが、それから先は、なまえを、しつこい濃厚な甘さで、愛してやりたい。それこそ、ドルチェのように。

back


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -