SEI

「Quando il buio della sera maschera il mio viso,
solo allora potrei dirti certe cose」
「夕闇が顔を隠すときならいえるのに」


とっぷりと日が暮れ、あたりを藍色の暗闇が覆い隠していた。そのなかで、小さなアーチ状の白い木製の扉は浮き立ってみえる。だが、今度は扉はあけなかった。それが開くのを、横に佇んで待つ。胸元から取り出した煙草に火をつける。数口、紫煙を吸い込んだところで、扉が控えめな音をたてて開いた。

「あ……、」

いまだに、目の前の光景が信じられない、とでもいうように目を瞬かせる彼女を前に、苦笑してから、いこうか、と声をかけた。

名前、年齢、仕事なんて、当たり障りのない話をしながら、駅へと向かう。相変わらず戸惑った様子だったが、それも仕方ない、と心の中で嘆息した。―――おそらく、怯えられている。家に帰る前に、一杯だけつきあう。そう約束を取り付けられただけでも、幸運に感謝しなければならないのだろう。我ながら不釣合いな、随分可愛らしい思考だとは思うが。

急くように足早に、少し前を行くなまえの仕事中はきっちりと結わえられている髪が、いまは首の後ろで無造作にまとめられている。後れ毛がはみでていて、可愛らしかった。




適当にはいったバーは、静かなジャズが流れるなかなかの雰囲気のところだった。カウンターに並んで腰掛ける。あまり酒は強くない、というなまえはカルーアミルクを頼んでいて、やはり彼女はなにか甘いものでできているのではないか、という思いを強くさせた。

一杯だけ、といいながら、話は途切れず、気づくとふたりとも、二、三と杯を重ねていた。アルコールがまわったのか、ほんのりと頬を赤く染めるなまえは、幾分か饒舌になっている。

「最初は、――ごめんなさい、怖い方だと思ったんです。でも、ケーキを前にじっと考え込んでいる姿をみていたら、少しずつ、もしかしたら、勝手に怖いと思ってるけど、そうじゃないのかもしれない、なんて思って……、」

話したこともなかったのに、失礼でしたよね。ごめんなさい、となまえは微笑んだ。それに、唇だけで笑みをつくって返す。

「別に、構わねェよ。甘いものが似合わないと、いわれることは多い。特に、女にはよく笑われる。顔に似合わず可愛らしい、だとか、ふざけたことを」

嫌そうに顔を歪めながらいうと、なまえは楽しそうな笑い声をあげた。しばらく笑い続けたところで、目の端に涙を浮かべながら、こんなに笑っちゃってごめんなさい、でも想像ついて、それがなんか、おかしくて、なんて途切れ途切れに言い訳をする。その様子に、ふ、と頬をゆるめた。

それから、ひと休みするかのように沈黙が流れる。静かに酒を口にふくんだ。鼻腔にひろがるブランデーのかおりが心地いい。グラスをおろすと、からんと氷がなる。そのタイミングで、なまえが思いきったように口を開いた。

「あの………なんで、わたしを誘ったんですか?」

酒と、息をつく間もなく笑い続けたせいか、なまえの顔は火照るように上気していた。アルコールのせいで、瞳が潤んでいる。それに見つめられて、身体の奥底に火がついた。理由なんか、明らかだろうに。だが、敢えて言葉にしてやらない。

「それは―――、」

隣に座るなまえに身体を寄せる。ぴくりと動いたが、逃げる素振りはなかった。それを確認してから、そっと顔を近づける。

そうして、唇を通り越し、頬へひとつ、キスを落とした。

皮膚の触れ合うやわらかい音が響く。鼻先をくすぐる甘いにおい。砂糖菓子を彷彿とさせる、なまえのにおい。

「…………流石に、初めてのデートで嫌われたくはねェからな。二回目があるものと期待して、今日はこれだけにしておく。………だが、理由は、わかっただろう?」

口角をあげるだけの皮肉な笑みを形づくりながら、冗談めかしていったものの、なまえの耳にははいっていないようだった。こちらをみつめたまま固まっている。ぽかんと、惚けたように開いた薄紅色の唇を前に、キスを我慢しなければならないとは、なんという拷問なのだろうか、とふと思った。

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