CINQUE

「Grazie signorina」
「ありがとう、お嬢さん」


もう見慣れた光景。いつもと同じ道のり。それだというのに、心持ちが違うだけで随分と違う顔をみせる。あまりに単純な思考に呆れもするが、仕方ない。そんな調子だから、店に向かう足取りも不思議と速まった。気づくと到着していたのだ。いつもと同じ、可愛らしい色の扉を、指先だけで押して開く。

「いらっしゃいませ、………あれ?」

出迎えの挨拶をあげてすぐ、不思議そうに小首を傾げた彼女を前に苦笑する。いつものスーツ姿とは、印象がだいぶ違うからだろう。櫛も普段ほど丁寧にいれていないし、堅苦しい、というよりは派手なスーツで身を覆ってもいない。

「今日は、休みなんでね」

しかも久しぶりの、と軽い調子で付け加えて肩を竦めると、彼女は数回瞬きを繰り返したあと、ふふ、と笑みを零した。そうして、愛想よく「じゃあ、今日は特別なんですね」と、笑った。軽く口角をあげて返しながら、視線をショーケースに落とす。

今日も、つやつやと光るケーキたちは美味しそうな色をしていた。普段なら、そのまま考え込むところだが、今日は少し趣向を変えてみることに。

「オススメは?」
「そうですね……あ、季節限定の抹茶のチーズケーキなんて、いかがでしょう?」
「もしかして、今日の服装をみてのことか?」

そう指摘すると、恥ずかしそうにはにかんだあと、伏し目がちに頷いて「綺麗な色のセーターですね」と素直に認めた。その様子に、胸が暖かくなる。頬がゆるみそうになるのは、堪えた。流石に、こんな場面で表情をゆるめるほど、色惚けはしていないつもりだった。だが、やはり認めざるをえない。おれは、確かに、彼女に惹かれている。

「じゃあ、そのチーズケーキをひとつ」
「かしこまりました」

平静を装った声で注文をすれば、返ってくるのはいつもどおりのにこやかな声。ケーキをひとつ、詰めるのを待って会計を済ます。その中でいつ、声をかけようか思案していた。如何せん、突然のことだ。どう誘いだしたところで、不自然さは残るだろう。それに、万が一断られたら―――?プライドと欲望の狭間で動けなくなってたとき、まず動いたのは身体の方だった。

「え……?」

気づくと、ケーキをいれた袋を手渡そうとする彼女の手をつかまえていた。彼女の身体が、視線が、一瞬かたまる。己の思考も、一瞬かたまる。だが、口が開いて滑らかにスルスルと言葉を紡ぎだしていた。まるで、熱に浮かされて喋るように。勿論、片手はしっかりと握りしめたまま。

「できれば、今日、仕事終わりにでもデートにつきあっていただけないか?」

「え……」
返答を躊躇うような、数秒の間があいた。
「………でも、わたし、遅いですよ?」

遅い、ということは、彼女は外で会うことを具体的に、しかも時間さえあえば前向きに考えているということで―――思わず口の端がゆるむ。

「構わない、待つさ。言ったろう?今日は、休みだと」

そういったら、おずおずと頷いた彼女をみて、ぞわりと、身体の内側から撫でられるような感覚がした。心臓が血液を忙しなく全身に送りだしている。瞬間、血が沸騰したようだ。

「Grazie signorina。………じゃあ、今夜。楽しみにしてる」

喜びに、自然と口をついたもうひとつの母語。それから、彼女の手の甲に唇を落としてキスをひとつ。肌に、触れるか触れないかというところで音をたてる挨拶のようなキス。

はっとして、彼女の手に落とした視線をあげると、目をまんまるに開いて驚いていた。一瞬、しまったと後悔したが、もう遅い。だが、結果として、そんなに悪くないこととなった。彼女の顔が、みるみるうちに、染まるように赤くなるのをみれたのだから。

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