ミホーク

※流血・暴力表現注意



あざやかな晴天が続いたあと、重たく垂れ込める雲が空を翳らせ、そうして、堰を切ったように雨が降りだす瞬間。とても嫌なかんじがして、背筋が震える。気持ちがわるくなる。

それはきっと、平和な日常がいきなり、うばわれたときの恐怖をおもいだすからだとおもう。網膜をチラチラと紅い火が揺れる。ぎゅっと瞼を閉じても逃げられない。そうして、過去をおもって胸がくるしくなる。胸元をにぎりしめて痛みをやりすごす。



生まれ育った小さな港町が、何の前触れもなく、海からやってきた荒くれものが襲われた。海賊なのか、人さらいなのか、それとも、ただの無法者なのか、いまとなってはわからない。けれど、男たちは、殺戮と略奪を愉しんだ。そうするだけの力をもっていた。人を切り、血を撒き散らし、町を焼き、女を犯し、金品を強奪する。燃え盛る業火を背景に嗤う彼らは、臓物の上で踊る悪魔のようにみえた。ごちそうに歓喜する悪魔たち。

わたしが助かったのは、運が良かっただけ。細路地に逃れた身体を小さく折って震えていた。それでも、風に煽られていきおいを増す火に焼き殺されるのが先か、賊に暴かれ殺されるのが先か、わからない状況。ひたすら、夢であることを願っていた。すべて悪夢で、目を覚ましたら、いつもどおりの日常が待っていて―――

だが、現実は残酷だった。血の匂いが、舞い上がる土埃の匂いが、鼓膜に響く狂ったような哄笑が、決して夢ではないと告げている。目を瞑っていても、息を殺していても、逃げることのできない現実だと訴えてくる。きつく閉じた瞼の裏で、ぱっくりと開いた口が、わたしを飲み込もうと踊っている。もう、いっそ死んでしまいたかった。

ふいに、おおきな音が響いて、わたしは現実に引き戻される。驚きに縮こまらせていた首を擡げると、わたしが身を隠す細路地の前に、ひとりの男が斃れていた。うつろに開いた瞳孔がこちらをみている、気がした。力なく開いたままの口の端から血が滴っている。叫びかけ、すんでのところで噛み殺した。正面から一閃。綺麗に裂けて色鮮やかな臓器と白い骨がのぞいている。おぞましさに目を逸らす。心臓がつよく脈打って、胸からとびでそうなほど。寒くもないのに、身体の震えがとまらない。

今度は、野太い叫び声が聞こえて、はねるように顔をあげる。すると、視線の先に町を舐めるように焼く炎を背にひとりの男が立っていた。片手には大剣。足元には、また切り伏せたのであろう、うずくまる人影。

そこからの記憶は、古ぼけた映像のように途切れ途切れにしか思いだせない。現実味がまるでなく、心此処にあらず、といった状態で男が斬っていく様子を見つめていた。

町を制圧した賊を、たったひとりで切り伏せてしまった男の鮮やかな手捌きを息がある状態で目撃できたものは、どれくらいいたのだろうか。華麗な剣捌きで向かうものを切れ伏せてゆくさまは、あまりに滑らかで剣舞でも行っているのかと思わせた。艶めかしく剣先が揺れ、素早く鋭く肉を斬り骨を断っていく。斬られた方も、男に魅せられ斬られたことに気づくころにはこと切れているだろうと思わせるほど、見事に魅せる剣技だった。

わたしは、気づくと引き寄せられるように蹌踉しながら立ち上がり、細路地の壁に寄りかかり身体を支えながら、それでも目だけは必死に男の姿を見つめていた。

我が物顔で町を闊歩していた賊を片付け、逃げるように背を向けた最後のひとりを切り伏せたとき。町からはとうに人の声は消え、残酷な火が町を破壊する音だけが響いていた。わたしは、男から視線を逸らせない。魅せられる、とはこういうことをいうのかと思った。

轟々と業火が立ちのぼる。火柱が彼方此方であがっている。パチパチと炎がはじける音とともに、家屋が重く鈍い音をたてながら崩壊するのを聞いた。

身を隠すことも忘れてしまったわたしを、男の射抜くように鋭い視線が捉えた。男は、いち度視線を外し、剣をひと払いして赤い露を払うと、悠然とした仕草で剣を背に収めた。そうして、此方に向かって歩みよる男の姿だけが、時が流れを止めたかのように、網膜に映る。

あれほどの人数を切り伏せたのに、男は返り血ひとつ浴びていなかった。この人は、現実に存在するのだろうか。先程は、狂乱の宴に沸く賊が悪魔のように思えたのに、現実離れした力をいま、みせつけたこの人の方がよほど、おそろしい。

「――――生き残りが、いたとは」

独り言のような呟きが聞こえ、町の惨状を理解した瞬間、涙が自然と視界を歪ませた。堪らない吐き気に任せてわたしは吐いていた。胃液だけを何度もえづく。身体を折って、咳込むわたしを前に、男は無感情な声の響きのまま、ことばを重ねる。わたしは、ようやくのことで顔をあげて、男の顔をみた。

「せっかく拾った命、此処で捨てるには惜しいだろう、…………名前は?」
「………なまえ」
「そうか。なまえ。おれと来るか?」

男の声色は無感情だった。端正な顔がわたしを見下ろしていた。真直ぐに通った鼻梁、凛々しい眉。紳士然とした立派な風貌。だが、その下に鎮座する双眸だけが、いまだに町を焼く業火を受けて揺らめいている。

「そうだな、結果的にだが、命を救ってやった―――ということで、一年、おれの傍にいて仕えてもらうというのはどうだろう。一年くらい、なんてことあるまい。ちょうど、小間使いが欲しかった」

それとも、この死にかけの町とともに炎の中に捨て置かれ、血のにおいと死体に囲まれ命を終わらせたいか?男は、かわらず感情を反映させない淡々とした調子で続ける。まともに思考を働かすこともなく、わたしは力なく頷いていた。口の端だけを持ち上げて笑う男。鋭い瞳は、しかし、蜂蜜のように甘い金色をしていた。

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