電話にでたのは、感じの良い男の声だった。一方で、わたしがその日初めてだした声は、恥ずかしくも掠れてまともに聞けたものではなかった。ぼさぼさの前髪をかきあげながら電話口に向かって返事をする。
「…………はい、」
「こんばんは。なまえ様に御届け物があるので、玄関までお願いできますか?」
御届け物?と、心当たりはまったくなかったものの、届いているものは仕方ない、と蹌踉と立ちあがって玄関に向かう。裸足に冷たいフローリングの床が滲みた。スリッパはどこにしまったのかと考えて、今日まではクロコダイルが毎朝用意してくれていたことを思いだした。
それに気づくと、心臓が掴まれたように苦しくなる。――早く受け取って、また、眠ってしまおう、そう思って扉をあけたわたしは、凍り付いたように固まってしまった。
だって、扉を開けて、そこにいたのは、
「なまえ様、御届け物です」
黒のスーツに真っ赤な薔薇の花束を抱えたクロコダイルだった。
「クロコダイル?」と、思わず声が零れた。目の前の光景が信じられなくて、それでも、名前を呼んだら頷いた、目の前の人物は、やっぱり―――。思わず両手で口を覆った。そうでもしないと、叫びだしてしまいそうだった。
クロコダイルは、片手に携えていた携帯電話をしまうと、口元に浮かんでいた微笑みを消してこちらに真剣な眼差しを向ける。
「なまえ、お前に会いに来た」
「クロコダイル、会いたかった……」
酷い顔をしているだろう、酷い声をしているだろう、でも、クロコダイルから目が離せなかった。クロコダイルは、微かに苦笑を漏らし、片手でわたしの頭をそっと撫でた。やわらかい。うつらうつらとした眠りの中で、追い求めていた感触だった。
「突然消えてすまなかった。すべての契約を白紙に戻すのに手間取っちまった。だが、これで、最初から、――出会いから、やりなおせる。おれは、恋人サービスで派遣されたヒューマノイドではなく、お前も契約者ではない。なまえと、なまえに惚れてる、ただのクロコダイルとして、もう一度、会いたかった」
うん、と返事をしたものの、クロコダイルのいっていることは半分も理解できてなかったと思う。目の前にクロコダイルがいる、それだけで、すべて意識が持っていかれてしまう。熱に浮かれたように頭がうまくまわらない。
「おれは、なまえを愛している。だから、傍にいたい。いさせて、くれないか?」
クロコダイルが、わたしを真直ぐに見つめている。鋭い双眸が、射抜いている。真剣な瞳が、わたしの気持ちを覗きこもうとしている。涙で歪んだ視界で、クロコダイルを捉えたまま、わたしは、ひと際大きく頷いた。
クロコダイルが嬉しそうに顔を綻ばせた。そうして、花束を片手に抱えたまま、わたしを強引に掻き抱くものだから、あっという間にクロコダイルと薔薇の濃厚なかおりにつつみ、わたしは甘い幸福感で満たされた。