何も視界を遮るもののない大海原では、夕日の紅がいっそう艶やかに空を染める。
刻一刻と変化する夕空を眺めるのが、わたしの日課だった。白ひげ海賊団の雑務係として、日中は朝からクルーの汚れ物の洗濯だったり、朝食、昼食の準備に追われているわたしにあてがわれた休息時間、それがいま、夕食前の、夕焼けが映えるこの時間。船尾楼デックで、海風を頬に受けながら、ようやく腰をゆっくりおろして落ち着ける。
「なまえ、また夕日をみてんのかい?」
マルコは、おつかれ、といいながら冷えたレモネードを手渡してくれる。お礼をいってから受けとると、手元でからんと涼しい氷の音が鳴って、頬がゆるんだ。マルコが隣に腰をおろす。その逞しい肩に甘えるように、そっと頭をもたれかけさせると、「どうした?」のことばとともに柔らかい笑い声がこぼれた。
本来なら、まともに口をきけるような間柄ではない。ただのいち雑務係と、白ひげ海賊団の、押しも押されもせぬ一番隊隊長だ。ふつうにしてたら、関わり合いになることなんてなかっただろう。わたしは憧憬の目でマルコを隊長としてみつめ、マルコはわたしを同じ船にのる家族として大切にする、それだけのはずだった。
ただ、お気に入りの場所と、お気に入りの時間を共有している、そんな些細なきっかけで、こんなに近しい距離になるのだから、人生とはまったく、不思議なものだと思う。
マルコの腕が、そっと肩にまわされる。海風はまだ昼の熱を引き摺って生温い。けれど、じっとしていると、日中、汗をかいた身体から体温が奪われていく。だからこそ隣によりそう熱が感じられた。あたたかい。レモネードをひと口ふくむ。甘さと酸味がちょうどよくて、疲れた体には心地がいい。ほう、とうれしいため息を零した。
ゆっくりとわたしの肺を満たすのは、汗と潮のかおり。けして甘いとはいえない匂いだけど、わたしは、いま、わたしたちを包むその匂いが好きだった。
マルコの顔をちらりとみやる。まっすぐに海をみつめるその顔が、夕日の紅に照らされていた。眠たげに垂れた瞳は太陽の赤を反射している。笑って細められると優しくなり、ふんわりと暖かいブランケットで包まれているような気持ちになる、その目が好きだった。
あまりに幸せで、落ち着かない気分になり、マルコの肩にもたれかけさせた頭を、猫が甘えるようにこすりつけてやると、マルコは、くすぐったそうな笑い声をあげる。
「……おい、どうした、なまえ?」
「ふふっ………しあわせだなって思ったの」
ふぅん?と、曖昧な返事をするマルコ。わたしは、もたれかけさせた頭をあげ、マルコと視線をあわせた。よく日焼けした肌に、それに映える金色の髪。それから、いっとう好きなふたつの瞳。好きという気持ちが胸の底からこみあげてきて、どうしようもなく、それを伝えたくて、そっと唇をあわせた。ちゅっと、触れるだけで、すぐに離す。
わたしの肩にまわされたマルコの腕に、きゅっと力が込められたのがわかり、胸がどきりと高鳴った。
マルコのあったかい目が好きだ。家族をみる優しい眼差しが好きだ。でも、いまの蕩けてしまいそうになっている目も好き。情欲の炎が奥にちらちら、我慢するように燻っていて、まるで夕焼けみたい。
大海原を覆う空は、もう紅を過ぎ、藍色のベールに覆われつつあった―――夜闇が訪れるまで、もう少し。今度はマルコが、わたしをひきよせて、口づけた。