中毒症状

バーカウンター越しではないスモーカーは、予想よりもずっと背が高くしっかりとした、海兵らしい体躯だった。咥えた葉巻からもくもくあがる紫煙に圧倒される。

「このあと、時間はあるか?」

そう問われて頷いたのが、もう遠い過去のことのように思えた。こうして、スモーカーとふたり並んで歩いてる、そのことの現実感があまりに薄く、夢を見ている心地がした。街は、そう遅い時間でもないのに、まるで誰もが寝静まってしまったかのような静謐を保っている。ふたり、連れだって、煉瓦で舗装された細い路地をいく。あてどなく彷徨っているようでもあり、目的をもって歩いているようでもあった。ただ、先をゆくスモーカーの背中を追う。

オーナーには心の中だけで謝り、はやめに店じまいをすることにして、いま、スモーカーと街を歩いている。冷たい燻るような雨は、傘をさしていても空気にまじりそっと体温を奪っていく。寒さに、ふるりと静かに身体を震わせた。

どこにいくんですか、とも、なんで誘ったんですか、ともなんとなく聞けなかった。聞くタイミングはとうに逸してしまった。

ふと、スモーカーが歩みをゆるめた。それにつられて、わたしは足をとめてしまう。少しだけ先をいっていたスモーカーが、振り返って、正面から対峙する形になる。近い距離だった。腕ひとつのばせば届いてしまう距離。バーカウンターが挟まれていないぶん、触れようと思えば触れられる距離。そこで、スモーカーはじっとわたしを見つめている。

それから、傘を首と肩の間に挟んで留めると、器用にジャケットを脱いでわたしの肩にかけた。残滓のように残るスモーカーの体温と葉巻のにおいが濃厚に香った。ジャケットをかけるためにまわされた両腕が、わたしを抱きしめるのかと思った。心臓が嫌になるほど高鳴っている。

「寒ィだろ、着てろ」
「えっ」

瞳を覗きこむようにみつめて、それだけいうと、すっと近めた距離を離してしまう。ぶっきらぼうに、また前を向いてひとりで歩き始めてしまった。スモーカーの上半身を覆うのは白いシャツ一枚で、みているこちらが寒々しいと感じほどだった。小走りで追いつくと、スモーカーが前を見据えたままひと言、ぽつりと呟く。

「どこにいこうだとか、何も考えねェまま誘っちまって、悪かった」

その表情はどこかバツが悪そうでもあり、そのくせ不機嫌そうでもあった。本当に、街をあてどなく彷徨っていたのだろうということが感じられた。

「――あの、なんでわたしを誘ったんですか?」

素直な疑問が、自然と口をついてでた。ずっといいたかったことがいえて、胸の中の蟠りが融けたようだった。それを受けたスモーカーは一瞬、戸惑ったような顔をした。

「わからねぇのか?」

スモーカーが、眉間に皺をよせる。足をとめる。誰もいない路地にふたりぶんの傘が転がった。スモーカーに強引に抱き寄せられ、傘からつい手が離れたからだ。

「――お前が気になってしょうがねぇからだ」

きつく抱きしめられたままかけられた声は、熱を孕んで、くぐもったものだった。それが、近距離から身体に響く。密着したまま囁かれ、身体の底から熱が生じて、わたしの頬を紅くさせる。スモーカーはまだ離れない。両腕をまわして、しっかりとわたしを抱きしめている。彼の葉巻のにおいでうめつくされる。上からふる霧のような雨が、身体を濡らすも、熱はひきそうにもなかった。

胸がうるさい。心臓が血液を勢いよく全身に送り出している。

「これからも、こうして、お前と外で会いたい。馬鹿正直にいっちまうと、独り占めしたいんだ―――餓鬼っぽいとは、いってくれるなよ」

いいながら、少しばかり身体をかがめてこちらを覗き込む。スモーカーが、片腕は背中にまわしたままに、わたしの頬に手をあてた。雨で湿った、冷たい手だった。思わず身体が揺れてしまう。相変わらず雨は変わらず降りつづける。前髪が湿ってぺっとりと額にくっつく。けれど、そんなのどうでもいいくらい、わたしはスモーカーの瞳に釘付けだった。

「手、冷たかったか?悪ィな」

微かに頬をゆるめながら、それでもスモーカーの手が優しく、頬を伝って首の下へと移動した。

「――――で、会ってくれるのか?」

渋い声をさらに低めた、掠れた声色。でも、心臓を一掴みにするような真剣さがあった。首筋をゆるやかになぞるスモーカーの指が熱い。辿られた肌が痺れを感じる。脈動はおさまらない。葉巻の煙がくゆっている。―――返事をしなくちゃ、そう思って、思いきり吸い込んだ空気は、彼のにおいがした。

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