煙中毒

スモーカーが、吐息にのせて紫煙をはきだした。白い紫煙は絶え間なく立ち昇っている。それが、照明を落としたここでは、銀がかった白髪とあわせて、まるで、彼の身体が空気に融けでているかのように濃厚にかんじられた。

スモーカーは、ひとり酒を舐めるようにのむ。バーテンダーのわたしは、ひとりグラスをふく。静かな店内だった。しとしとと嫌に冷たい雨が降る日はいつも、客足が途絶えがち。薄暗い店内にふたりきりの空間がひろがっている。


ちらり、とスモーカーに視線をやる。彼は、カウンターにゆったりと腰かけて、視線をぼんやりと窓へと彷徨わせていた。わたしもつい、視線を追って、窓へと目をやる。外の景色は燻るような雨で色彩を欠き、眠たくなるほどぼんやりしている。


「雨、やみそうもないですね」
「あァ………」


どこかうわの空の相槌が返される。大きく胸元があいた白いシャツにネイビーのカーゴパンツというリラックスした格好で、今日はきっと非番なんだろうなと思った。仕事おわりの厳めしい格好でくることもあれば、今日みたいに私服であらわれることもある。休みの日のスモーカーは、ふだん張りつめている神経を休ませるかのように、ぼんやりとしていることが多かった。

それでも、結局することはいつも同じ。たわいのない話をすることもあるけれど、大抵はこうして静かに時間を過ごす。この何気ない時間が、わたしにとっては寛ぎのひと時。こっそりスモーカーのにおいに意識を傾けるのが好きだった。特徴のある葉巻のかおりが鼻腔をくすぐると、なぜか胸がざわついた。色はふんわりと柔らかいのに、危険なにおいがする。どこかに野性の獣が潜んでいる柔らかさだった。

視線を落として、グラスを磨くことに専念していたら、からりと、グラスの中で氷が揺れる音で我に返った。顔をあげると、スモーカーが残りの酒をちょうど飲みほしたところで、暗い鳶色の瞳と目が合った。

「――――なまえ」

急に名前を呼ばれてどきりとした。上擦りそうになる声を抑えて、平静を装い返事をする。

「スモーカーさん、おかわりですか?」
「………いや、」

スモーカーが、空のグラスをこちら側へ押しやった。今日はこれでもう終いにするつもりなのかな―――、少しばかりの寂しさを感じながらも、そう思って、ふきかけのグラスを置いてスモーカーへと一歩近づいた。

そうして、空のグラスをとろうとした手をのばしたときだった。ふわりと、煙のにおいがきつくなった。気づくと、スモーカーが、わたしの手を掴んでいた。

その手の力強さを意識したとき、どきどきと心臓が壊れたように脈打ちはじめた。どういうことだろう、何がおきているんだろう、そんな問いよりもまず、スモーカーがわたしを捉えているということに、胸が高鳴った。

身体で生み出される熱が、血液にのって全身にめぐる。掴まれる手も熱ければ、顔も耳も熱かった。頬だって、きっと、おもしろいくらい紅潮していることだろう。首の下から汗がふきだす。

スモーカーが、わたしの手を掴んだまま、立ちあがった。上半身を傾けると、さらにぐんと距離が縮まる。視界で紫煙が色濃く揺れる。頭がこれを現実だと認識できないほど、そのにおいにのぼせてしまいそうだ。

―――いったい何が起こっているんだろう、ようやく思考が追いついて、スモーカーの顔をみつめたとき、葉巻を挟んだ唇からことばが発せられた。


「このあと、時間はあるか?」

近距離から吐き出される葉巻の煙が、もう、肺から血液にとりこまれて、身体中にめぐっている。相変わらず心臓はおかしくなりそうな程、血液を身体に送り出している。そのくせ、空気中の酸素が薄くなった気がした。渋い煙のにおいが、脳みそを痺れさせる。何にも反応できない。

焦れたように、スモーカーがさらに距離を縮める。力強い瞳が、わたしを射抜いている。

「―――いいだろう?」

思わず、喉がなった。声にならなかった吐息が唇からもれる。その近さに、口づけをされるかと思った。熱い昂ぶりが胸のうちからせりあがり、反射的に唇を引き締めた。かたい表情のまま、うなづく。

スモーカーが笑みをこぼした。同時に吐き出された紫煙が、その熱が、彼の中に潜む昂ぶりを予感させた。

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