cantarella

※現パロ



ある肌寒い秋の日のことだった。しとしとと細く長い雨が降っていたことを憶えている。初めて、ローに話しかけられたのは、そんな陰鬱な天気の日。大学の講義室で、ろくに話したこともない彼にひきとめられ、わたしはひたすら戸惑っていた。「一晩でいいから、泊めてくれ」と頼まれたからだ。

「………いくところが、ねェんだよ」

肉が薄い、だが、嫌味なくらい形の良い唇が力なく言葉を紡ぎだす。端正に整った顔は、整然と整いすぎるあまり表情を失うと生気を感じさせなかった。落ち窪んだ瞳を取り囲む隈は濃く深いのに、それすら彼の美貌を彩るスパイスのように思える。だが、あまりにも覇気というものが失せていた。彼からは、不思議な儚さが感じられた。

「頼む」と、掠れた声の懇願に似た響きを受け、気が付くと、魔法にかけられたかのようにわたしは頷いてしまっていた。頷いてから、それが何を意味するかを理解して、焦った。俄かにローの眼の色が変わった。力なく色味が失せていた灰色が、強い意志の力を灯す。眉が不敵に歪められ、そこにつくられた笑みは心臓を掴むような艶やかさがあった。

「あぁ、じゃあ、世話になる」

そういいきった男の声にはすっかり力が戻っていて、先ほどまでの項垂れていた様子は幻だったかのように跡形もなく消え去っていた。儚げなまでの美しさも消え、そこに残るはふてぶてしい顔をして、狡猾そうな笑みを浮かべる男の姿だった。

―――――――そんな出会い方だった。






「なまえ………、」

いつか聞いたときと同じように、ローが掠れた切なげ声でわたしの名を呼ぶ。結局、ローは「一晩」といいながら、それ以降もときどきわたしの部屋を訪れた。それは連日に及ぶこともあれば、突然一週間ほどあくこともあった。玄関の前にその姿を認めたときは、心臓が驚きと、なぜか喜びで跳ねた。私のところに来ない空白の間、何をしているのかはわからないけれど、聞けなかった。聞いたら、この関係が壊れてしまうような気がしていた。もう、ここにローが来なくなるのではと思うと、どうしても聞けなかった。

ローはいま、帰ってきたばかりのわたしを正面から抱きしめている。耳元に吹き込むように、妙な色気のある声でわたしの名前を呼ぶ。それにわたしが弱いことを知ってて、わざとやっているから意地が悪い。

「なんで、こんなに遅かったんだよ」
「友達と、カフェにいってて。でも、いまは合鍵、あるから平気だったでしょう?」
「………冷てぇこと、いうじゃねぇか」

その声の哀しそうな響きに、脈拍がはやまった。わたしを甘く責めるような声色だったから。でも、そんなことするはずないということも、知っている。きっと、ローにしたら軽い冗談みたいなものなんだと思う。

ゆっくりとローが密着していた身体を離した。わたしの瞳を覗き込む。相変わらず濃い隈で縁取られた灰色の瞳には、からかうような色が浮いている。ほら、と残念におもったときのこと。

ローの顔が近づいてきたと思ったら、その唇がわたしの鼻先に触れて、離れた。

「――――おしおきだ」

いうと、皮肉気に、唇の端をゆがめてローが笑う。その表情に、耳の後ろに心臓がうつったかというくらい、脈動がうるさくなる。ローは、決して唇にキスはしない。合鍵を欲しがり、こうして抱きしめて、鼻先や頬、額にはキスするのに、核心に触れるようなことは、決してしない。

こうして、ローがここにいるのをうれしく思うのに、同時に泣きたくなるような切なさも感じる。わたしは、ローの何なのだろう。それが、どうしても聞けなかった。もう、わたしはとっくにこの人を好きになっていたからこそ、聞けなかった。

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