ふたりの世界

神経質そうな細長い指がわたしの背中をなぞり上げ、その感覚にぞくりと皮膚が震えた。

「終わりだ、なまえ。服を着ていいぞ。―――で、どうだ、効果はなにか実感したか?」

シーザーの声は意外なことに、か細く震えていた。期待による興奮か不安による怯えか、どちらか判別つかない。おそらく両方だと思う。

わたしはいま、「新薬」投与の実験対象とされている。それも、シーザーには珍しく、壊すためじゃなくて治すため。でも、正直なところふだん破壊しかやってない彼には、望み薄だな、ってこっそり思ってる。もちろん、期待してないわけではない。効果がなかったとき、シーザーを責めたくないから、そう思い込もうとしているというだけ。

「いえ、いまのところ特に何も変化はありません」
「そ、そうか……、それは、残念だ」

ぽつり、ぽつりと零れるようなシーザーのことばには失望が浮かんでいて、胸が締め付けられる心地がした。

「―――そんな、きっと、すぐには効果がでないだけですよ」

慰めの言葉はもう耳にははいっていないようだった。先程からつけていた「新薬」の構成成分表に目を落として考え込んでしまっている。わかりやすく肩を落として落ち込むシーザーを、うつぶせのままみつめる。なんとなく、まだ服を着る気にはならなかった。ひんやりとした診察台は、肌に心地よい。

自分の命のことは、諦観していたのだけれど、なんとかしようと必死に足掻くシーザーをみていると、まるで他人事のように、なんとかしてやりたくなる。ただ、そう思ったところで、それが罷り通らないからこそ、命というのは難しい。


わたしは、ある疫病が定期的に流行るちいさな村の出身だった。そこの村のものは、40まで生きれば長命なほうで、30に届く前に大抵、命を落とす。シーザーによると、ある遺伝子の影響らしい。その遺伝子は、疫病に対しては有益に働くけれど、人の寿命を「奪う」シロモノだという。わたしにとって人生とは30年ほどのものだったから、ふつうはもっと長生きすると聞いたときは、たいそう驚いた。そして、当然のことながら、命が惜しくなった。なんで、わたしたちだけ―――――、そう思ったから村をでた。なんでもいい、縋るものが欲しかった。

最初はそんなこと信じられなかった。外の世界の人たちが嘘をついているんだと。でも違った。おかしいのはわたしたちの方だった。事実を認めざるをえない状況になってからは、なぜ、わたしたち、いや、わたしだけがこんな目に合わなければならないのだと、やり場のない怒りで頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。こんなだったら、事実なんて知らない方がよかったなんて、理不尽に怒りもした。強烈な憤怒に怨恨を世の中に撒き散らかしていた。荒んだ人間には、自然と荒んだ人間が寄ってくる。気づくと、実験体として妙なところに流れ着くことになった。

シーザーに拾われたのは、本当に偶然が重なってのことだった。致死性の猛毒を撒き散らして死ぬ疫病に対抗しうる遺伝子をもつわたしに彼が興味をもった。わたしも、シーザーに縋るような思いで助けを求めた。

最初は、疫病の研究と、それに対抗する働きについて調べていたシーザーだけれど、なかなか原因がつかめず、躍起になっていた。プライドの高い彼は「わからない、できない」ということが耐えられないらしい。わたしはというと、半ば諦観し、されるがままになっていた。

でも、いつの間にかシーザーとふたりで過ごす時間が増えていた。そうして、気づくと、このおマヌケで、それでいて狂気を抱えたマッドサイエンティストを好きになっていた。そもそも、わたしには、もうシーザーしかいなかった。



まだ真面目な顔をして、シーザーは書類にじっと目を落としている。目を伏せると、その睫毛の長さがいっそう際立って綺麗だった。

不健康なまでの白肌に、濃い藍色の髪がよく映えた。猫のようにつりあがった、形の良いアーモンド形の瞳に痩せた高い鼻。黙っていたら綺麗なつくりの顔をしているのに、いつもは、わざとらしいほど作った表情がそれを台無しにしてしまう。だから、こうして黙っている瞬間は貴重で、ひそかな愉しみでもあった。こめかみを手袋をはめた人差し指がかくと、長いゆるくカールした髪がひと房、揺れて流れた。あぁ、いいなぁと、なんとなく思った。

シーザーが、ようやく視線に気づいたのか、目をあげると、ばっちりと視線があった。透きとおるようなオレンジ色の瞳。これも、わたしが好きな色のひとつ。

「おい、なまえ。なんでまだ服をきてねぇんだ」
「まだシーザーから、ご褒美のキスをもらってません」

意地悪っぽく、くすりと笑っていうと、シーザーの反応はいつもどおりのもので。

「そ、そんなことを、だなァ、いってる場合かッ……」

いいながらも、あからさまに動揺して頬を染めるシーザーは愛おしい。むくり、と診察台の上で身体を起こす。勿論、上半身は何も纏っていないまま。シーザーは、それをみてさらにうろたえている。意外と初心なところがある。「実験体」だと考える人体を切り刻んてでもなんとも思わないくせに、わたし相手だと妙に緊張するそうだ。おかしな可愛げがある人だった。プライドが高くって、そのくせおっちょこちょい。

「ほら、シーザー。はやく」

目をつぶって待っていると、小さな溜息のあと、頬にやわらかく手があてられる感覚がした。素肌の感触。シーザーが、あの手袋を外したんだろう。すこし冷えていて骨ばっていて薬品のにおいがするこの手がわたしは好きだった。

唇に優しい感触がふってきた。薄く目をあけると、目を細めてわたしをみつめるシーザーと視線があった。それが真剣な瞳で、どきりと胸が高鳴る。

「おれが、なんとかしてやるからなぁ……」

囁くような静かさで呟かれたひと言が、胸の奥までじわりと染入るようだと思った。いつもだったら、「流石、期待してるよ」なんて軽口をいってごまかすのに、いまはそんなこと、とてもできそうになかった。死への恐怖を見透かされていた実感があった。死は怖い。身体の欠陥と向き合わなければならない瞬間は、いつも恐ろしい。刃物の鋭い切っ先を喉元に突き付けられ、生きるか死ぬかを迫られるような、そんな肉薄した心地がする。

「うん………」泣きそうな、情けない声がでたけれど、慰めるようにまたシーザーが優しい口づけを落としてくれた。今度は、額に、やわらかな感触があった。たまらず、ぎゅうとシーザーの細い身体を抱きしめた。肌に直接触れるシーザーの体温はぬるく安心するものだった。



死の外科医と呼ばれる有名な医者であり海賊でもあるトラファルガー・ローが、パンクハザードにやってきた際、病気をあっという間に治してくれること、そして、それにシーザーがすねて数週間いじけていたことは、また今度の機会にでも、ね。

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