15

ある日、ひとりで倉庫を掃除をしていたときだった。長いこと使われていない物置と化していて、日中、普段はほとんど誰も降りてこない空間。だから、物音がして不思議に思い振り返ると、見知らぬ男が立っていた。

驚いて、思わず抱えていた掃除道具を落とす。硬い床にあたって、鋭い音があたりに響いた。

それは、変に目が血走っているが、よく見ると間違いなくあの商人の男だった。わたしを買って、クロコダイルに献上した男。最後に見た時と比べると、やたら荒んだ様子だった。髪はつやを失い、適当にまとめられているだけで、来ている服も汚れが目立った。そして、わたしを見つけて、にやりと気味の悪い笑みを浮かべた。

「なまえ、探したよォ。こんなところにいたんだな」

じりじりと距離を縮められる。嫌な予感に、汗がにじんだ。

「来ないで、ください」

震える声で制止するが、聞こえていないようだった。男は熱に浮かされたように、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。一歩、また一歩、歩み寄ってくる。気づくと、不明瞭だった言葉が聞き取れるほどの距離になっていた。

「なぁ、フフ、おい、そう、冷たいこというなよ。誰がお前をここに連れてきてやったというんだ、感謝こそされても、恨まれるような筋合いはないだろうが………」

ぬっと伸びてきて手に腕をつかまれそうになり、恐ろしくなって、それを振り払うと、勢いがついた自分の手で相手の頬を打ってしまった。強くはなかったが、当たり所が悪かったらしく、乾いた音が響いた。

一瞬、静寂が訪れる。その異様な間は、そのあとに訪れる苛烈さを予感させた。

再びこちらを向いた男の顔からは、笑みが消えて、見開かれギョロギョロとした眼だけが奇妙な光を放っていた。目線をわたしに定めると、まるで狂ったように叫び始める。

「散々だ!お前を買ったせいで散々な目にあったんだ!業者に、違法な人身売買だと法外な金をふっかけられ、金の工面に困ってまわりからかき集めなければならなかった!なのに、なのに、政府に通報すると脅された!!まわりからの信用もッ……!」

半狂乱となった男の、そこから先の言葉は聞き取れなかった。こんなに様子がおかしいのに、まわりには助けをもとめられる人は誰もいない。

今まで取引のあった商人だから、無理に入り口で止められることもなければ、警戒もされなかったのだろう。加えて、従業員用の設備は、カジノや換金場といった金や客のいる場所と違って警備も手薄い。

男は、ヒステリックにまき散らして、さらに、お前が悪い、お前が悪いんだと喚く。

「それに、クロコダイルさまもだ!!おまえがッ!クロコダイルさまに気にいられたら!懇意にしてくださると思ったのに、あのあと音沙汰すらないッッ!!頼りにしていたのに!!!」

口角泡を飛ばして、叫び続ける男を、どうしようもなく見つめる。逃げなければ、逃げなければとおもうのに、足が竦んでその場から凍ったように動けない。動いたら、この狂人に食いつかれてしまう気がして。

「お前が、囲われ大事にされているという噂を聞いた。そうだ、クロコダイルは俺にまともな代金を払ってねぇんだ。じゃあ、お前は、つまり、まだ俺のものだろう?」

血走った目で見つめられて、肌が粟立つ。逃げろ、逃げろと、頭の中で警鐘が鳴り続けているのに、足が自分のものでないように動かない。

「あいつの留守を狙ってきた。鼻をあかしてやるんだ。あの化け物、おれをバカにしやがって……」

ゆっくりと、さらに距離を縮めてくる男の手には、鉄の棒が握られていた。そうして、意識を失う瞬間まで、わたしはゆっくりと振り下ろされるその鈍器を、じっと見つめていた。

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